中距離時代の覇者にも名馬がズラリ 最後の「芝2000mの高松宮杯」から30年

0

2025年03月27日 07:00  netkeiba

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

netkeiba

95年の高松宮杯を制したマチカネタンホイザ(撮影:高橋正和)
 上半期の短距離王者決定戦、ならびに春のGI開幕戦として定着している高松宮記念(4歳上・GI・芝1200m)。同レースは97年まで高松宮杯として行われ、95年までは夏の中京開催を飾る芝2000mの名物重賞だった。そんな中距離時代の勝ち馬を見てみると、ビッグネームがズラリと並ぶ。最後の“芝2000mの高松宮杯”から今年で30年。節目を前に歴史を振り返ってみよう。

 JRAのホームページによると、高松宮記念は1967年に創設された中京大賞典を前身とする。その後、71年に高松宮殿下から優勝杯を賜ったのを機に「高松宮杯」へ改称。第4回の74年を勝利したのは、“元祖アイドルホース”のハイセイコーだった。中央移籍2年目のことで、宝塚記念から中2週での参戦ながら勝利。名古屋の競馬ファンにも雄姿を見せた。

 77年には“天馬”と称され、テンポイントやグリーングラスと「TTG時代」を築いたトウショウボーイが勝利した。また、81年のハギノトップレディ、83年のハギノカムイオーは、75年覇者イットーとの母仔制覇を達成。80年代後半〜90年代に入っても名馬が並び、88年にはオグリキャップが中央重賞5連勝目。90年にはバンブーメモリー、91年にはダイタクヘリオスと、名快速馬2頭も白星を飾っている。

 競走体系の整備がさらに進んだ90年代。有馬記念3年連続3着の珍記録などで人気を集めたナイスネイチャも94年に勝利した。距離短縮になる直前の95年には、個性派で知られたマチカネタンホイザが快勝。前年秋にジャパンCを競走除外、有馬記念を出走取消となり、約9カ月ぶりの実戦で、ひさびさの勝ち名乗りを上げたのだった。

 96年に距離短縮となり、上半期のスプリント王者決定戦にレースの役割は変わった。その後、98年に現在のレース名「高松宮記念」に改称。今後も春の中京開催を彩るビッグレースとして、名勝負の舞台となっていくことだろう。

    ランキングスポーツ

    前日のランキングへ

    ニュース設定