【選抜高校野球】横浜を日本一へと導いた村田監督の「執念の采配」 1球継投、超前進守備、伝令...

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2025年03月31日 18:20  webスポルティーバ

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 異例の行動だった。

 5回終了後のグラウンド整備の時間。横浜・村田浩明監督の姿はブルペンにあった。高校野球の監督は、試合中にベンチを出ることはほぼない(選手がケガをしたときは除く)。3対1とリードしている状況で、なぜ村田監督はわざわざベンチを出て行ったのか。

【指揮官が異例のブルペンへ】

 理由はひとつ。レフトで先発出場していたエース左腕・奥村頼人が投球練習をしていたからだ。伝令の選手を行かすのではなく、自ら足を運び、直接声をかけるためだった。

「『この回(6回表)ピンチになったら行くよ。頭入れといて』と。決勝なんで。先はないんで。この試合を勝ち切るために監督が動くとなったら、選手に響くかなと。心の部分ですね」

 とにかく悔いは残したくない。自分ができることはすべてやりきる。そんな思いが溢れているかのような行動だった。

 その気持ちは6回表の守りに出る。四球と送りバントで一死二塁となったあと、4番の福元聖矢に対しての3球目を織田翔希が暴投。一死三塁としてしまう。走者が三塁に進んだとはいえ、まだ2点のリードがある。

 さらに、横浜は後攻。1点もやれない場面ではないにもかかわらず、内野手に前進守備を指示したのだ。しかも、オンラインよりはるかに前の超前進守備。強打者で打球が速い福元が打席だけにリスクが大きいように思われたが、ここにも村田監督の気持ちが表れていた。

「(選手たちが)守りに入っていたので、逆に攻めることを意識づけさせたかったんです」

 2ボール1ストライクからの4球目。織田が内角直球を投げ込みファウルを打たせ、カウント2−2と追い込む。前の試合までと同様、次の球も内角直球を続けるのか----と思いきや、そうではなかった。

 なんと村田監督が動いたのだ。織田に代えて、左腕がマウンドへ。だが、バトンを渡されたのは、同じ左腕でも奥村頼ではなく、背番号18の片山大輔だった。なぜ、奥村頼ではなかったのか。

【1球継投の理由】

「野球は1回から9回まである。長いですから。出せる選手から出しました」

 なぜ、2−2からだったのか。しかも織田は、代わる前の1球は内角へいいストレートを投げている。

「強打者にインコースを続けるのは難しいと思いますし、目線をずらしたかったのもある。それと、織田は爪がダメだったんです。(カウントの途中からの交代は)練習試合からずっと言っていますし、公式戦でもやったことがあります。勇気を出さないと、こういう舞台では勝てない。一番のポイントと思ったので代えました」

 2点リードしているとは思えない思いきった采配。これに片山が応える。マウンドに上がった1球目。左打者の福元に投じたのはスライダー。外角を狙った球が抜けて内側に入ったが、福元はまったくタイミングが合わず空振り。1球で三振に仕留めた。この継投と片山の1球について、捕手の駒橋優樹は言う。

「(村田監督から)センバツが始まる時に『1球のためにマウンドを任せることもあるぞ』と言われていたので、びっくりはしませんでした。右の織田から左の片山に代わったので逃げる球がいいだろうと思った。マウンドに行って、『スライダーでいくぞ』と言ったら、片山も『スライダーがいい』と言ったので、自信を持って投げさせました。打者の反応も初球が一番難しいと思うので、できれば1球で決めたかった」

 完全にストレート狙いのスイングをして空振り。1球で打ち取られた主砲の福元はこう言ってうなだれた。

「変化球一本の場面にもかかわらず、未熟な部分が出てしまった。(変化球が来るのは)打席のなかで冷静になれたらわかることだったと思います」

 片山は一球でお役御免。満を持してエースの奥村頼に託したが、そう簡単にいかないのが決勝戦。奥村頼は代わった直後、浮いた変化球を5番の荒井優聖に捉えられる。打球はセンター前へ。完全にヒット性の当たりだったが、センターの阿部葉太がダイビングキャッチで得点を許さなかった。

「よく守ってくれました。ポジショニングがよくて、迷わずいってくれた。あれは大きかったですね」(村田監督)

 指揮官の攻める気持ちが選手にも伝わり、阿部葉も思い切って勝負をかけた。もし、これがヒットになっていたら、片山の"1球継投"の意味がなくなっていたかもしれない。流れを大きく引き寄せるスーパープレーだった。

【負けないために何をすべきか】

 流れという意味では、この試合、何度か智弁和歌山に行きそうな場面があった。一度目は1回裏。一死一塁で阿部葉の一、二塁間への打球が一塁走者の為永皓の足に当たってしまう(守備妨害で走者アウト。記録は安打)。抜けていれば一、三塁は確実だったが、二死一塁。チャンスがついえたと思われたが、ここで阿部葉が捕手・山田凛虎のクセを見抜いてディレードスチールを決める。キャプテンが再びつくったチャンスに奥村頼がライト前へタイムリーを放って先制した。

 二度目は6回裏。無死一、二塁で5番の小野舜友が送りバントを二度空振りしてカウントは2−2。そこからヒッティングに変えてセンター前へ抜けそうな打球を放つが、打球がマウンドに当たって跳ね、ショートの前へ。安打のはずが併殺打になってしまった。だが、ここもこのまま終わらない。次打者の池田聖摩が死球のあと、7番の駒橋がセンター前へタイムリーを放って4点目。この後、エラーと4連打で5点を加えた。

 相手に流れが行きそうな場面で好守、好走、好打が出る。これぞ、公式戦負けなしのチームというプレーで、6回表まではどうなるかわからなかった展開を完全に横浜ペースに変えた。

 ただ、どんなに有利な展開になろうと村田監督だけは変わらなかった。9対1とリードした7回裏。二死一、二塁で打席に途中出場の9番・江坂佳史という場面で攻撃の伝令を送った。

「表情が硬かったのでそれを伝えたのと、あとは『好きな球を打っていいぞ』と」(伝令に出た野中蓮珠)

 8回表はエース・奥村頼が3本の長単打で2点を取られると、この試合4人目の投手となる山脇悠陽に継投。一死三塁から山脇が自身ひとり目の打者を三振に仕留めて二死とすると、8点差があるにもかかわらず伝令を出した。村田監督は言う。

「智辯さんの圧がすごすぎたので。(周りが見えず)自分でやっている子が多かった。バラバラしちゃってたので、もう一回タイムをかけました」

 9回表も山脇が2四球を出すなど乱れたこともあり、優勝まであと1アウトの二死満塁から伝令を出した。

「タイムの使い方は慎重にいきました、今日は」

 そうつぶやいた村田監督。その裏にはこんな思いがある。

「負け続けてきたので......夏は2年連続(神奈川大会決勝の)8回に点を取られて負けて。悔しいというか、立ち直れないぐらいの感情がありました。それでも、選手たちは前を向いていた。僕も勝ちたい、勝ちたいじゃなくて、負けないためにはどうしたらいいかだと気づかされました」

 指揮官として、やるべきこと、できることはすべてやる。それが、継投であり、伝令。そして、自らブルペンへと足を運ぶこと。直接言葉をかけること。とにかく「後悔したくない。すべてやり切るんだ」という気持ちだけだった。

 必死な指揮官の想いに選手が応え、ついてきた結果が公式戦20連勝。21点を取って清峰(長崎)を下した2006年以来、19年ぶりの日本一だった。

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