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ラグビー日本代表22キャップを誇る内田啓介さん(33)が、4月から母校の京都工学院高(前伏見工)で保健体育教諭としてスタートを切る。
リーグワン1部の埼玉パナソニックワイルドナイツを23〜24年シーズン限りで引退。アシスタント広報に転身し、チーム運営に携わってきた。
4月1日、チームは3月31日付での退団と合わせ、京都工学院高への赴任を発表。24年度に実施された京都市の教員採用選考試験に合格していた。
チームを離れる前に教育現場の課題が日々報じられる中、新たな挑戦を選んだ理由や覚悟を聞いた。
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新年度初日に、内田さんの新たなキャリアの全容が明らかになった。この日から「古巣」となった埼玉を通して、決意を発信した。
「僕が経験してきたこと全てを自分の母校でもある高校生に還元し、素晴らしい人間、選手を育てて、ゆくゆくは1人でも多くワイルドナイツに入団させるのが、今の僕の目標の1つでもあります」
仲間との別れは、すがすがしいものだった。埼玉が拠点を構える熊谷市。練習場でメディアに対応する内田さんに、汗を流した選手が次々と歩み寄ってきた。
「また、すぐに熊谷来るんでしょう?」
「逆に京都に来いよ!」
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現役引退から1年。強固な信頼関係は揺るがない。
教員は中学生のころに志した。「ミスターラグビー」と呼ばれた平尾誠二さんらが巣立った京都・陶化中(現凌風小中)の出身。やんちゃな先輩たちが真剣にラグビーに取り組む姿に「こんなに華がある人に見えるんだ」と驚いた。恩師の稲田雅己さんの指導に「そういうモチベーションを与えられる教師って、素晴らしい仕事だな」と思った。
伏見工では高校日本代表に選出され、筑波大3年時に代表初キャップを獲得。パナソニック1季目から公式戦で活躍し、南半球最高峰スーパーラグビーの日本チーム「サンウルブズ」も経験した。攻守の要となるSH。日本を代表をする1人だが「人生プランは変わっていない」と、教員転身への情熱はぶれなかった。
大学では代表活動で教育実習参加がかなわず、21年夏に実現させた。
実習初日はチームの始動日。それでもオーストラリア代表ヘッドコーチなどを務めた世界的指導者、ロビー・ディーンズ監督が「自分の人生にコミットしなさい」と送りだしてくれた。
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名将からは「目の前に、とらわれすぎるな」と教えを受けてきた。例えは川下り。目の前の大きな岩ではなく、水の流れを見るよう促された。ラグビーにも通じ、失点に一喜一憂するのではなく、80分通したリーダーシップを求められた。
「悩んでいる時に『楽しめ』と言われるのは簡単です。そこでの『とらわれるな』という言葉は大きかった。リーダーは問題に対して何か言うのではなく、水の流れを読んでプロセスを決める。あとは『問題に対して意見するのは、解決策を見つけられている時だけ』という教えもあります」
チームは多国籍。ラグビー特有の文化は、今後の教育現場にも当てはまるだろう。相互理解、意思疎通…。求められるものをグラウンド内で身に付けてきた。
「友達みたいな先生になりたいです。威厳もあるけど、普段はフランク。『上から』ではなく、導きながら一緒に歩いていきたい」
教員不足がさけばれて久しい。それでも、なぜ中学からの夢を追うのだろう。
「最初は憧れでした。今は強気かもしれないですが『僕ならできる』と思っています。ゆくゆくは管理職になりたい気持ちもあります。組織作りの面白さを感じてきたので、それを教員の世界でもやりたいです」
世界を知る男の、新たな挑戦が始まる。【松本航】
◆内田啓介(うちだ・けいすけ)1992年(平4)2月22日、滋賀・大津市生まれ。小学2年生でラグビーを始める。伏見工を経て、筑波大では主将。大学3年で日本代表初キャップ。15年W杯はバックアップメンバー。高い身体能力でWTBもこなし、サンウルブズ、タスマン(ニュージーランド)でもプレー。大学では代表活動などで教育実習に行けず、コロナ禍に通信制の大学で不足分の単位取得。群馬県内の高校で教育実習に臨んだ。愛称うっちー。179センチ。
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