『チ。』最終章の「違和感」を解読――作者・魚豊が伝えようとした“フィクションの力”とは

0

2025年04月02日 08:00  リアルサウンド

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

魚豊『チ。―地球の運動について―』(小学館)

 「地動説」の研究と発展に命を賭けた人々の姿を描いた、魚豊(うおと)による大ヒットコミック『チ。―地球の運動について―』(小学館)。前クールに放送されたアニメ版の高評価も記憶に新しいところだが、先ごろ、長塚圭史脚本、アブシャロム・ポラック演出による舞台化(2025年10月上演予定)も発表され、ますます同作への関心が高まっている。


※以下、『チ。』のネタバレを含みます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)


  ところでこの『チ。』、近年の漫画界を代表する傑作の1つであることに間違いはないと思うが、最終章の展開についてだけは、コアなファンの間でも賛否両論、様々な意見が飛び交っている。


  要は、(詳しくは後述するが)全4部で構成されている同作の第1章から第3章までは一続きの世界なのだが、第4章にあたる最終章で、唐突にそれまでとは異なる(ようにも思える)世界の物語に移行するため、混乱してしまう読者が少なくないのだ。また、第1章で命を落としたはずのある人物が、最終章で何事もなかったかのような顔をして再登場するため、より多くの読者の混乱を招いているともいえるだろう。


  つまり、読者の多くが疑問に思っているのは、『チ。』の最終章は、果たして第1章から第3章までと同じ世界の物語なのか、あるいは、パラレルワールドの物語なのか、ということなのだ。そこで本稿では、その「疑問」について、自分なりの見解を述べてみたいと思う。


最終章で生じる「違和感」こそが、作者の意図

  まずは、物語全体の流れを整理するため、第1章から最終章までの基本的な情報(設定)を以下に箇条書きしてみよう。


○第1章……【主人公】ラファウ/【時代】15世紀(前期)/【場所】P王国
○第2章……【主人公】オクジー/【時代】第1章から10年後/【場所】P王国
○第3章……【主人公】ドゥラカ/【時代】第2章から25年後/【場所】P王国
○最終章……【主人公】アルベルト/【時代】1468年/【場所】ポーランド王国


  と、このように、同作では章ごとに主人公が変わっていくわけだが、前述のように、第1章から第3章までは、一続きの世界の物語として違和感なく読むことができる。ところが、最終章でいきなり、それまでは濁されていた時代と国名が明確になり、主人公も架空のキャラクターではなく、歴史上の人物になるため(最終章の主人公「アルベルト」とは、やがてコペルニクスの師となる若き日のアルベルト・ブルゼフスキのことである)、読む者の中に違和感を少なからず生じさせてしまうのである。


  もちろん、その「違和感」は、作者が意図したものにほかならない。なぜならこの『チ。』という物語は、「知」の探求に魅入られた人々の継承の物語であると同時に、読み手に「疑うこと」を促す物語でもあるからだ。そういう意味では、読者に「疑問」や「違和感」を生じさせる最終章の展開は、極めて正しい終わり方であり、「答え」はそれぞれが考えればいい、ということになるだろう。


最終章の世界は、パラレルワールドか否か

  とはいえ、それでもやっぱりモヤモヤする!という読者は少なくないはずだ。そういう人たちのために、以下に私の考えを述べたいと思う。


  最初に「結論」――あくまでも私見に過ぎないが――を述べさせていただくならば、『チ。』の最終章は、第1章から第3章までの物語とは異なる世界(パラレルワールド)の物語なのだと私は思う。以下にそう考える理由を2つほど挙げてみたい。



【理由1】「少年・ラファウ」と「大人・ラファウ」
 冒頭で述べた、「最終章で再登場する第1章で命を落としたはずの人物」とは、ラファウのことである。そう、第1章のラスト――12歳の若さで、自らの“信念”を貫くため、この世を去ったはずのラファウが、最終章ではなぜか、成長した「大人」の姿でアルベルトの回想の中に現れるのだ。


  ちなみにこのラファウ、少年時代のアルベルトの家庭教師として登場するのだが、それがいったい西暦何年の話だったのかは明らかにされていない。ゆえに、「大人・ラファウ」の年齢については、こちらで推測するほかないのだが、くだんの回想シーンで描かれている「少年時代のアルベルト」の背丈や言動からして、おそらくラファウがアルベルトの家庭教師だったのは、アルベルトが10歳くらいの頃の話ではなかったかと思われる。


  そのうえで、いくつかの“仮定”と、作中で明記されている情報をもとに自分なりに計算してみたのだが、「大人・ラファウ」の年齢は、たぶん34歳前後(もし最終章の「現在」である1468年まで生きていたら47歳)。


  もちろん、これはあくまでも私の推測であり、じっさいに最終章で描かれている彼のヴィジュアルから、もう少し若い年齢(20代前半とか?)をイメージしている人の方が多いかもしれないが(実のところ私もそうだ)、まあ、「34歳だ」といわれれば、そう見えなくもないのではないだろうか。


  ならば、最終章のラファウは、なんらかの“裏技”を使って、生き延びることができた第1章のラファウなのだろうか。たぶんそうではないだろう。


  魚豊がラファウというキャラクターを通して描こうとしたのは、“同じ人間でも、何かのきっかけで全く違う存在になりうる”という可能性の問題であり、そういう意味では、同じ熱き「タウマゼイン」を心に抱きながら、結局は逆のベクトルの人生を歩むことになった「少年・ラファウ」と「大人・ラファウ」は、やはり「別の世界の人間」なのだと私は思う。


※ちなみに「大人・ラファウ」が、絵のイメージどおり20代の青年だとすれば、年齢的な矛盾が生じるため、それはそれで、最終章がパラレルワールドであることの証になる。


【理由2】「架空の人物たちによる世界」と「史実交じりの世界」 
  そしてもう1つ。第1章から第3章までは、あくまでも「架空の人物たちによる物語」として描かれているのだが、最終章だけが「史実が混在する物語」として描かれている、という点も無視はできないだろう。


  第3章のクライマックス――第54話である人物が、「君らは歴史の登場人物じゃない」という、そこにいたるまでの物語を覆すかのようなメタなセリフをいうのだが(おそらくは、このあたりから、物語は2つの世界に分岐し始めている)、じっさい、次の章(最終章)の主人公・アルベルト・ブルゼフスキは、「歴史上の人物」である。


  つまり、魚豊は、物語の最後に、「フィクションが現実におよぼす力」を描こうとしているのだともいえ、だとすれば、やはり第1章から第3章までの世界(フィクションの世界)と、最終章の世界(現実の世界)は、パラレルな関係にあると考えた方が自然なのだ。


大事なのは常に「?」と考え続けること

  とはいうものの、最終章の世界とそれまでの世界は、完全に分断されているわけではないだろう。その鍵を握っているのは、第3章の主人公・ドゥラカが死の間際に放った伝書鳩の存在だ。


 作中では、はっきりとは描かれてはいないが(というよりも、あえて、いかようにもとれるように濁しているのだろうが)、ドゥラカの想いを託された鳩は、並行世界の境界線をすり抜け、手紙を“どこか”に届けたのだと思われる。それがさらに名もなき郵便配達人によって“誰か”のもとへ「誤配」され、その場を偶然通りかかったアルベルトの耳に、「地球の運動について」という大きなヒントを残すことになるのだ(その直前の場面で、アルベルトと、ラファウ、オクジー、ドゥラカの姿が重なるのは、異なる2つの世界が接続し、4者の“想い”が交わることを暗示しているのだろう)。


  偶然と必然、有名と無名、架空と現実が入り混じった、なんというものすごいエンディングなのだろうか。繰り返しになるが、魚豊が『チ。』という壮大な物語の最後に描きたかったのは、「フィクションが現実に与える力」なのだと私は思う。そう、漫画に限らず、強烈な物語を読んだ後は、必ず現実の世界も変わって見えるものだし、逆に、我々読み手の声が、描き手に(あるいは作品に)なんらかの影響を及ぼす場合も少なくない。


  いずれにせよ、物語(フィクション)というものは――あるいは、歴史(現実)というものは、多かれ少なかれ、そうやって相互に影響を与えながら作られていくものなのではあるまいか。


  大事なのは、描き手も読み手も、自分の頭で考える(疑う)こと。そして、数多くの物語に触れることで、想像という名の経験を増やし、現実の世界を生き抜くための選択肢を増やすこと。『チ。』の最後のカットで、アルベルトの頭の上に浮かんでいる「?」の意味は、ことのほか大きいのである。



    ランキングゲーム・アニメ

    前日のランキングへ

    ニュース設定