
ロシアで生まれ、6歳のときに兵庫県姫路市に移住。今では関西弁を操る「めんどくさいロシア人」として活動している小原ブラスさん(32)。
自身のYouTubeチャンネル『小原ブラスの知らんけど』のライブ配信では、世間のニュースを独自の視点でぶった斬る“ブラス節”が炸裂(さくれつ)し、配信されるたびにネットニュースをにぎわせている。
「一部の発言を切り取るネットニュースに批判的なタレントさんが多いけど、私はどんどん書いてほしいですね。なかには、私の発言意図をしっかりくみ取った記事もあるので“ラブ”を感じるんです。何より、無料で私を宣伝してくれるなんてありがたいですよ(笑)」(小原さん、以下同)
ライブ配信は「気がラク」
現在は『5時に夢中!』(TOKYO MX)や『ABEMA Prime』などのテレビ出演をはじめ、コラム執筆など、活躍の場を広げているが、なかでも「ライブ配信」が一番しっくりくる、と話す。
「テレビに出演して面白いことが言えなかったときは、『私はこの世界に向いてない……』と、落ち込んでいます。それに自分のYouTubeチャンネル用に動画を撮影しても、後から見て『こんな内容じゃ投稿できない!』と感じ、お蔵入りにした動画もたくさんあるんです。
その点、生のライブ配信は“無責任”だから気がラクだし、完璧に作り込めないのがいいところ。配信の発言が切り取られて炎上しても『しょうがないじゃん。そのときはそう思ったんやから』って開き直れるし、自分を許せるんですよね」
完璧を求めた末にたどり着いたのが、ライブ配信だったのだ。
「ときどき配信中にアンチのコメントも送られてきますが『どうぞ嫌ってください』という感じ。ただ、ムカつくアンチコメントには反応したうえでコメントを消します(笑)。
批判的なコメントを見ていると、彼らは私のように“関西弁をしゃべるゲイのロシア人”という自分と異なる価値観を持つ相手に対して、恐怖心を抱いている印象がありますね」
ブラスさんは、どれだけ批判にさらされても、スタイルを変えるつもりはないと断言する。
「彼らに『私を批判するな』なんてことは言わないし、思ってもいません。嫌われるのはデメリットも大きいですが、その代わりに私は自由を手に入れている。
アンチは自分にとって心底どうでもいい存在なので、ダメージもありません。本当に傷つけたいなら、私に好かれてから『おまえなんか嫌いだ』って言えばいいんですよ。まずは私に好かれる努力をしてみては?」
嫌いなものとは距離を置くこと
また、自分に向けられた批判の声や世の中のニュースを見るにつけ「多様性という言葉にがんじがらめになっている人が多い」と感じているそう。
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「今の世の中っておいしくないものが出されても“まずい”って言っちゃいけない雰囲気がありますよね。それでも私は、自分にとっておいしくないものには“まずい”と言うようにしているんです。
だって嫌いだって言わないと、ずっと私の前にまずいものが出てきちゃうでしょ。嫌いなものと適度な距離を保つためには、ハッキリ言う必要があるんです。
それぞれの意見や存在を認めたうえで、“嫌いなものは嫌い”と言える環境にならなければ、多様性の実現は難しいでしょうね」
そんななか、2024年末に話題になった「パーカーおじさん論争」では、多様性の芽吹きを感じたという。
「本当にくだらなくて面白い論争でしたよね(笑)。パーカーを着るおじさんをキモいと感じる人がいて、それに反抗するパーカーおじさんがいる。
誰も悪くないし、どちらの意見もあっていいんですよ。心底どうでもいい話題なんだけど『嫌いなものに嫌いと言っていい』という事例がひとつ増えたように思います」
くだらなさの中に、多様性のヒントが隠れていたようだ。
「みんなもっと自分勝手に生きたらいいのに」と話すブラスさんだが、その考えに至るまでにはさまざまな苦悩や葛藤があった。
正義のために命は懸けられない
高校生時代に『ニコニコ動画』で生放送を行うユーザー、通称“ニコ生主”としてネット上で人気を獲得した。その後、ブラスさんと同様に日本語が流暢(りゅうちょう)な大阪出身のロシア人女性・中庭アレクサンドラさんとともに「ピロシキーズ」を結成。
ユーチューバーとして知名度が上がっていく一方で、息苦しさを感じるようになっていったという。
「20代前半までは“人に好かれよう”と無理をしていたと思う。また、私の見た目と体形って、私が好きなタイプのゲイ男性にはあんまりモテないこともあって、自分をどう見せたらいいかは悩んできましたね。
でも、ウクライナとロシアの戦争が始まって、すべてが変わってしまったんです。戦争の話題に触れなければ『今までロシアで売ってたくせにダンマリか』と叩(たた)かれ、プーチン大統領を批判すれば『ロシアでデモ活動をして誠意を見せろ』と叩かれ……寄付をしたと言えば『好感度を上げようとしている』と批判されました。
あらゆる手を尽くした結果、“万人に媚(こ)びるのは無理だ”と悟ったんです」
全方向から敵意を向けられた彼は、ワガママに生きる決意を固めた。’22年には、初のエッセイ『めんどくさいロシア人から日本人へ』(扶桑社)を上梓(じょうし)し、自身のルーツや戦争と平和への思いを正直に綴っている。
「この本には、私は戦争で他人が苦しんでいる姿を見ると悲しいと感じるから『悲しい』とは言うけれど、正義のために自分の命は懸けられない。自分の命がいちばん大切、と書きました。
その後も私のコラムや受けた取材で同じ内容を繰り返し発信していると、アンチもあきれて声が小さくなってきたんです。結局、あきれさせたもの勝ちなんですよね」
最近は、寄せられたアンチコメントに対して「まずは私の本を買ってから出直しな!」と、自著のAmazonリンクを貼って返信する。“言い逃げ”は許さない、ストロングスタイルだ。
「ちなみに、私がファンの人に言われてうれしいのは『ブラスさんの考えがすべて正しいとは思わないけど、スカッとしました』という言葉。推しの考えをすべて肯定する必要はないんです。
ファンの中には、私の意見を全肯定してしまう人もいるんですけど『ちゃんと自我を持って』と伝えています」
さまざまなメディアで自らの生き方を発信し続けるブラスさん。今後は「“私”が楽しくラクに生きられる世の中をつくりたい」と野望を語る。
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「私は誰にも媚を売りたくないし、誰にもなびきたくない。それこそが私にとっていちばんラクに生きられる道なので、そのためなら何でもしますよ。
例えば、日本で外国人が嫌われすぎると自分が住みにくくなるので、そうならないようにフォローするし、私が長生きするためなら地球環境問題の解決にも協力します。
もし、自分の考えが少数派で叩かれるとわかっていても、私が生きやすくなるなら逆張りの意見もどんどん主張していきます。
将来に対して明確な目標はありませんが、主流の意見に抗(あらが)う『プロの天の邪鬼家』にはなりたいかな(笑)」
誰のためでもなく、自分のために戦い、自由な生き方を選んだブラスさん。今後も彼の“生きざま”から目が離せない。
取材・文/大貫未来(清談社) 撮影/矢島泰輔
小原ブラス(こばら・ぶらす)1992年、ロシア・ハバロフスク生まれ。母の再婚を機に6歳で兵庫県姫路市に移り住む。そのルックスから放たれる流暢な関西弁が話題を呼び、ワイドショーやバラエティーで活躍中。ゲイというセクシュアリティーもオープンにしており、幅広い層から支持を集める。著書に『めんどくさいロシア人から日本人へ』(扶桑社)がある。
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