
「制御システム」や「電子機能システム」を専門とし、特に超音波工学と圧電材料学に精通する桐蔭横浜大学専任講師・石河睦生が、“なぜか不思議と幅広い”ネットワークを活かし、「都市伝説になるかもしれない」事業家・アーティスト・科学者を紹介する本連載。
その第5回に登場するさいばひでおみさんは、広告代理業やタレントマネジメント、テレビやCMなどの映像制作の会社「ゼンプロコーポレイテッド」の経営者として長く奔走されています。特にマジックアーティストのプロデュースに力を入れ、ロサンゼルスやラスベガスにおいて長期公演を成功させてきた実績を持ちます。さらに、そこで培ったノウハウを武器に、現在はアジアで新たなエンターテインメントを創出しようとしています。
今回は、多くの事業者が「日本のエンタメを海外へ」と模索する中で、すでに海外市場での展開を実現してきたさいばさんに、その経験や見えてきた課題、そして今後の可能性について伺います。
石河 さいばさんと僕が出会ったのは、フリーメイソンという団体のお話を世に広めるきっかけにもなった『石の扉: フリーメーソンで読み解く世界』(新潮社)という本の著者・加治将一が「今度、映画を撮る」とおっしゃったのがきっかけでした。
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加治先生が例えば「多くのフリーメイソンが明治時代の日本で活動(暗躍ではいと思う笑)していた」という仮説を書かれていて、確かにそういった事実や逸話も残っていて、近年のことなのに謎も多い明治維新は面白いなぁと僕も思っていたんです。そうしたら加治先生が坂本龍馬暗殺の真犯人を題材にした『龍馬裁判』という映画を作る! と言いだされました。そこで「石河、何か手伝え!」と。そして、その映画の助監督として齋塲さんがいらっしゃったのが 最初の出会いでした。
10年以上前だったと思うんですが当時、齋塲さんは金髪だったんですよ。で、僕より年上の方で金髪の人が僕の周りにはあんまりいなかったので驚いて。僕みたいに、研究者という狭い世界でしか生きてない人間からすると、「金髪のおじさんがいるテレビ業界やべえぞ」と思ったのを覚えてます。
さいば そこですか(笑)。そのころ、もともとはシルバーに染めてたんですけど、シルバーが落ちて金になったところだったんです。
石河 そんな見た目だけど、お話をしていると物腰が柔らかくて、見た目のイメージと全然違うんだな、とも思いました。
制作プロデューサー・助監督として『龍馬裁判』の制作を進めていく中で、無理難題の連続というか、映画の制作って大変なことばかりで。特に助監督は、監督の意向を全部叶えなきゃいけないような立場で。 監督が「なんでできないんだ!」みたいになっているのも目の当たりにしながら、こなしていくようなことがたくさんあって…。最終的に映画は完成しましたがさいばさんが、俳優陣からなにから全て調整されて、オーディションして作ってったのを間近で拝見しました。その一連の流れから、その後、何故かすごく親しくさせていただくことになりました。
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さいばさんはいつも、ものすごい量の仕事をこなしていて、 お会いするときは常にシルバーのアタッシュケースを身に離さないんです。一度「何が入ってるんですか?」と聞いたら「パスポート」とお答えになって。「なんでパスポートが入っているんですか」と聞くと「海外から呼ばれたらすぐ行けるように」みたいな。もう、 半端ない量の仕事を変態的にやられてると思うんですよね。
その後いろんなプロジェクトでご一緒しましたけど、大体予定通り行かない中で、常にさいばさんがなんとかしてくれました。そんなさいばさんはラスベガスをはじめ、国内外で映像を中心にエンターテイメントの制作をされていますよね。現在のキャリアに至るスタートはどんな感じだったんでしょうか?
さいば どこから話せばいいかな。学生時代からだと長すぎちゃうんで、ちょっとショートカットして30歳ぐらいからの話にします。社会に出てからテレビの制作とか、広告代理店にもいたりしたんですけど、 30歳の時に独立してテレビの制作会社をはじめました。
たまたま古巣の先輩方からたくさんテレビ制作の仕事をいただいたわけですね。それで、ただ番組を作るだけじゃなくて、”作り方の改革をしよう”と思ったんです。今はまた変わってきましたが、その頃のテレビ制作って昔ながらの作り方をしていて、例えば弟子を横につけて「お前が鉋かけるなんて10年早えんだ」みたいなことを言いつつ、やってみせて、それを真似させて覚えさせるみたいな状態があって。それでは生産性も悪いし事業として成り立たないと考え、作り方から変えなきゃと思ったんです。今から約30年ほど前の話ですが、今でこそ普通のパソコンで編集できるような、ノンリニア(デジタル映像編集の一種)の編集機はまだ、ほとんど導入されていなかったので、まずはそれを買いまして。すると、編集時間が5分の1ほどになった。そうして、浮いた時間でできることがまたすごく増えたんです。制作費も落とせるし、 時間も短く済みます。その制作方法を元にしたら、すごく繁盛したんですよ。そういう発想の仕方が、今もベースにあります
石河 生産性をあげるための工夫を常にしているということですか?
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さいば 生産性をあげるというよりも、やり方を見直して改革することです。世の中の全てのことって、誰かが挑戦した形の結果だと思うんですよ。 いろんな挑戦があると思うんですけど、その中で自分ができることを一つでも見つけて挑戦したいと思ったんです。
挑戦しないのは「催眠術にかかってるから」
石河 なるほど常にご自身で改革するという発想がベースにあるんですね。でもその改革って今ある姿から変わることでもあると思います。人って、若い頃は変化を恐れませんが、いろんな経験積むと、変化が怖くなってくるじゃないですか。さいばさんは変わることに躊躇がないのですか?
さいば 僕は多分、そういうことに関しては鈍感なのかもしれないですね。
石河 さいばさんは変わることに躊躇しない。人や“事”に対して愛情がめちゃくちゃあると思いますが、その半面では「ここまで来たからいいや、次!」みたいに淡々としていますよね。改革に必要なのは鈍感さなんですかね。
さいば 多分、そういう類の催眠術にかかってるんですよ。「やりたいから、やる」という催眠術。逆に、 それができない人たちは「変わると危ないな」「リスクがあるな」という思い込みの催眠術にかかってるんですよね。でも実は、どんな人でもみんな、何かを変えてると思うんですよ。だって「いつもはあそこのコンビニにいくけど、今日はこっちのコンビニに行ってみよう」と、変えたりしますよね。やってることはそれと一緒なんだけど、 そういう風に見てないだけなんで、その視野が広いかどうかという程度だと思いますよ。
石河 そうか。無意識も含めて自己催眠をかけてるということなんですね。今後、なかなかチャレンジができていない人がいたら、さいばさんみたいな人に引っ張ってってもらうのがいいな。
無茶ぶりからアメリカの“マジックの殿堂”へ
石河 そうしてテレビ制作の事業が軌道に乗ってうまく稼いでいった中で、海外へ進出してましたよね。実際にはなにをしていたんでしょう?
さいば テレビやCMを制作するだけじゃなくて、自分たちがやってることを世界に認めてほしいなって思い始めたのが31〜32歳でした。 そんな時に、たまたま制作していたイベントに、ちょっと空き時間があったんですよ。30分ほどの時間で、自社がマネジメントしていたタレントの子たちでグループ組んで、何か面白いことできないかなと思って。彼女たちを知らない人でもそこに立ち止まって見てもらえて、しかも面白いことってなんだろうと考えた時に、歌って踊ってマジックをする、はだれもやっていないなと思って、その子らに無理やりマジック道具と鳩を買ってきて、「やってくれ」って言ったんです。
石河 それが『情熱大陸』(TBS系)でも取り上げられたAi and YuKiのお二人ですか?
さいば そうそう。彼女たちは、もちろんマジックなんてやったことがなかったんです。だから「誰か先生をつけてほしい」って話になるじゃないですか。でもそれをあえて、「いや、一回自分たちで考えてみて」って、ものすごい無茶ぶりをしたんです(笑)。
例えば、マジシャンがよくやる鳩のマジックって、普通は帽子からポンッとスマートに出したりする、ああいうのを想像しますよね。でも、彼女たちはちょっと違ってて、鳩を無理やり出すような、勢いで見せるスタイルだったんです。当然、技術的にはそんなに上手じゃなかったんですけど、逆にそれがインパクトのある演出になっていて。私も、いろいろアドバイスしていくうちに、「歌って踊ってマジックをするグループ」ができあがっていったんですよね。
石河 マジックができるから結成したのかと思ったら、違うんですね。
さいば そのスタイルで30分のショーをやってみたところ、意外と好評で。それがきっかけで、なんとなく全国各地のイベント会場に呼ばれるようになり、かなりいい感じに広がっていったんです。年間300本くらいのペースで公演するようになって、あっという間にブームになりました。
ちょうど、 僕たちの地元にあるZepp名古屋で公演をやった時に、中京テレビの関係者でアメリカの“某人気IPショー”を日本に持ってきた人が見に来てくれて。そしたら「面白いね。これをアメリカで展開したい」と言ってくれて、アメリカのロサンゼルスにある”マジックキャッスル”というマジックの殿堂にその話を持ってってくれたんです。
もちろん僕らはそのマジックキャッスルに行って、「雰囲気を味わいたい! ぼく、行ったことがあるよ!」って自慢して喜ぶくらいのつもりだったんですよ。そしたらまさか、マジックキャッスルの当時の会長のゲイ・ブラックストーンというマジックプロデューサーから「私にアメリカでプロデュースさせてくれ」と言われたんですね。
ロサンゼルスと決別…1件ずつ劇場を訪ねる日々
さいば 僕らは最初、とても驚きましたが、「いつかはそこでやりたい」と思っていたので、「では、お願いします」と答えて、アメリカに飛びました。現地では、マジックキャッスルで練習をすることになったんです。
そのとき僕らは、「ネタ見せのように順番にマジックをするだけじゃなくて、ちゃんとストーリーがあって、“勧善懲悪”の要素もあり、ショーとして楽しめるものにしたい」というコンセプトを事前に伝えていたんですが、それに近い形でプログラムを組んでくれたんです。
その後、ロサンゼルスでショーも行い、マジックキャッスルにも何度も出演しました。気づけば、憧れだったはずのマジックキャッスルに出ることが当たり前のようになっていて、「ここで練習してるくらいの感覚」になっていたんです。それで僕は、「ここまで来たら、次はラスベガスを目指したい」と思うようになりました。
石河 ひとつの山を登ったら、次の山が見えてきた、みたいな。
さいば ゲイ・ブラックストーンさんはマジック業界で一流とされ、アメリカを代表するショー&マジックプロデューサーです。そんな彼女に「次はラスベガスでやりたい」と相談したところ、「できるわけがない」と言われました。
「ラスベガスは、私たちですら簡単には行けない場所だ。そんなところに日本人である君たちが行けるはずがない」と。アメリカ人の感覚としても、「日本人がラスベガスで1年間連続公演なんてできるわけがない」という印象が強かったんだと思います。だから彼女は、「無理だ」と言い切ったんです。
でも僕らは、「それなら、もうあなたたちとは決別します」と伝え、自分たちだけでラスベガスに向かうことを決めました。現地には日本からの仲間と衣装なども一緒に運びましたが、マネージャーを含めた3人は日本に戻ってもらいました。
それでも僕はひとりでラスベガスに残り、1件1件、劇場を訪ねてはオーディションを受けたり、いろんな方法を試したりしました。いいところまで話が進むけれど、結局ダメになる……そんなことの繰り返しでした。
(構成=石河睦生)
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■さいば・ひでおみ
ゼンプロコーポレイテッド株式会社代表取締役。テレビ番組やCMの映像、エンターテイメントの制作を手掛ける。経営理念は「最高の人材」「最大の価値」「感動の波紋」。日本人アーティストとして初めてラスベガスで1年間の長期単独公演を実現した女性デュオ・イリュージョニスト「Ai and YuKi」のプロデュースをはじめ、海外でのエンタメ制作に実績を持つ。