
ミュージシャンをはじめ多くの人が“歌”で自己表現を追求する日本のエンタメ業界。指先ひとつで音楽も歌も半自動的に生まれるこのAI時代で、人間の歌や声が生み出す価値を、声楽家・歌唱指導者が分析していく本連載。そのナビゲーター「純子の部屋」純子が、まさかの大ピンチ! 声楽家として、歌唱指導者としての成功の裏で、酷使してきた喉が徐々に声帯を蝕み今回、ついに手術となった。幸い、かなり信頼できる名医に出会い、全身を任せて望んだが…。
本稿は、「デジタル時代の生歌サバイバル」の特別編として、普段は爆音講師として名高い「純子の部屋」純子が、ミュートモードで原稿を自ら執筆。“歌”で自己表現を追求する時代に、もしかしたら誰もが直面することになるかもしれない声帯手術の全容とその後を、爆笑レポートしていく!
手術が決まってから、当日まで1か月あった。私の受ける手術名はマイクロラリンゴサージェリー(喉頭微細手術)といい、かなりカッコいい名前だ。簡単に言うと、全身麻酔をした後で嚢胞を切除するというもので、それに向けてやらなければならない事がたくさんあるらしい。
声帯の手術に備えて歯型をとった。口内から奥までやわらかい管を入れ手術する精密作業で、万が一、ぐらつく歯や差し歯があった場合に取れてしまわないよう、必要になるモノらしい。
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そして、麻酔科医の先生による全身麻酔の説明があった。実は14年ほど前に全身麻酔をした経験があり、目が覚めた後に強烈な吐き気に襲われ、6時間ほど嘔吐し続けたことがある。これがなかなかのトラウマになっていることを伝えると、「わりかし女性にはそういう方がいらっしゃいます。点滴の中に吐き気止めもいれるので安心してね」と言われ、大変救われた。
単細胞で切り替えが早く、「この先生の励ましでがんばるぞ!! 」と思えるところが、自分のメンタルの良い所だと思っている。
採血も無事終えたところで一安心かと思いきや、「あと、ネイルは手術の時は落としてね」と、私の鬼ロングキティ盛り盛り爪をみながら教えてもらった。
大阪ボイスセンターの担当医、望月隆一先生によると「手術自体は15分くらいかな。まぁ師匠の牟田先生の全盛期やと10分」。望月先生の、牟田先生への師としての敬意を強く感じた。診察での会話はめちゃくちゃ面白いが、仕事となるとギャリッと変わることが、なんとなく想像できた。
私もお二人の著書や論文、手術に対しての技術(5000件以上行われており一度のミスもない)はもちろん、たくさんの文章に触れてみた。それらには、治癒への熱意、患者さんの声などもたくさん掲載していらっしゃった。( https://www.jstage.jst.go.jp/article/jibiinkotokeibu/126/8/126_990/_pdf )
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紹介状を出して頂いた牟田耳鼻咽喉科の牟田弘先生と私は10年来の付き合いなのだが、大阪ボイスセンターの望月隆一先生とも、今後も何か新しい声帯への情報があれば、ぜひご教示頂きたいなと思っていた。
術後1か月は声を出せない=強制的にニートとなるのが個人事業主の辛いところね、これ。と言わんばかりに、東京名古屋大阪と休みなく仕事をこなし、当日提出する為毎日体温を測り記入し続けた。術後の事も考え、沈黙する期間が多い時の為にヘルプマークも市からもらった。
教え子への指導も一段落つき、いつもの出張用キャリーとカバンに荷物を詰め込み、翌日の入院を待つこととなった。この時、この大荷物が後に大変な災いをもたらすことになるとは夢にも思わずに…。
入院から手術へ
入院当日。14時入りということもあり、意気揚々と病院へ突撃した。
自分の記憶がある限り、この日が元気のピークだった。あまりに速いピークだが”声帯”というものの特性は、たくさんの恩恵があったのだという事を思い知らされることとなる。
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いざ病室へ。希望通りに個室を用意してもらった。第一印象は「なかなか軽やかな感じで、いいじゃないの」だった。この日が最後の晩餐となり、明日は絶食となる。仕事の兼ね合いで夜型の自分はなかなか寝られないこともあり、ほとんど寝付けないまま、翌日を迎えた。ここからが地獄の始まりである…。
手術の時間ははっきり覚えている。14時45分、ノーブラ、パンツありで手術衣に着替える。前日にたまごっちを見て話が盛り上がった看護師さんが、手術場へ歩いて付き添ってくれた。
ここの病院の手術フロアは地下牢かよってくらい響くコンクリートのような造りで、無表情で座ってる人たちが数人。謎の恐怖感が急にきた。その間、情けない事にずっと看護師さん(たっぷり年下のかわいらしく親切な女性)に手を握ってもらっていた。
手術室へ入室をうながされると、そんな私の恐怖が何らかのフリだったかの如く、明るい洋楽が流れていた。曲名はわからないが絶対みんな知ってる超有名曲だ。とにかくHappyオーラ全開曲。
処置台に寝かされ、手際良くいろんな身体の部位にピップエレキバンみたいなのが全身に貼られた後、酸素マスクもつけられた。5曲目くらいに差しかかると、さすがに私も知っているジャクソン5の”I Want You Back”が流れた。「そりゃ私も生きて戻りたいわい!!」と心の中で爆笑してるうちにテンションが上がってきた。
女性看護師さんが二人、男性看護師さんが一人だったと思う。この時の執刀ドクター待ちやテンションの勢いに任せて、「この流れてる楽曲の選曲は望月先生ですか?」と聞いてみた。すると、看護師さんが半笑いで「そうですね〜だいたい何枚かCDがあって、その中からランダムに選んでるっすね」というような返答が来た。
そういえば、昨年白内障で手術した時の入場曲もABBAの”Dancing Queen”だった。外科に携わる先生方は洋楽が好きなのだろうか?もし自分の希望曲が通るなら、絶対Prefuse73の”Sleeping on Saturday and Sunday Afternoon”を流してほしい。こう言うと語弊があるが、歌モノはどうしても脊髄反射で仕事モードになるから聞かない。プライベートでは専らクラシック。もしくは、無音かエレクトロニカ、野鳥の鳴き声などの現象系が好きでよく聴いている。
そうこうしてるうちに、望月先生がB.Jのような出で立ちで登場。この時は全身麻酔入りたてなので、私は懲りずに再度先生に「この流れてる楽曲の選曲は望月先生ですか?」と訪ねた。
そうすると先生は「知らん。僕じゃない」
じゃあ一体だれが???!!!!!!!と同時に意識が遠のいていったのを覚えている。そしてこの勢いのまま眠ってしまったものだから、とんとんって体を起こしてもらう時に、「はいっ!!!(爆声)」で返事した記憶があり、周りが”うおっ”と驚いたのを見て私も驚いた。術中の記憶は全く無いが、この”うおっ”ていうのは、「こいつ手術でたった今声帯の一部切除したくせになんでこんな声出るねん」ということだったのだろうか。未だに謎のままだ。
望月先生に「キレイにとれたで、おつかれさま」と優しく言っていただいたのも覚えている。あの光景や先生の声のトーンは一生忘れない。自分の先生への感謝に対する貴重な経験だった。
術後
手物から先は、自分が体験した事のない連続で、かなりきつかった。まず、全麻後すぐなので嚥下がうまくできない。“お年寄りの死亡率第一位は餅”は身を持って深く共感する。
次に、言うても切除なので傷の部分が痛い。コロナや風邪の類ではなく、ウシジマ君のシーンにゴロゴロ出てくる物理裂傷の痛みだ。
あと、懸念していた吐き気はだいぶ抑えられてはいるが、裂傷とともに来る吐き気が、弱くてもなかなかきついものがある(つわりに近い)。ナースコールを押し、スマホのメモで「吐き気と喉の痛みが強いです」と伝えると、痛み止めの筋肉注射と、点滴にも吐き気止めを入れてくれた。
酸素マスクはまだつけたままで、寝た。次の日も夕方頃まではずっと寝ていたと思う。昼夜逆転生活なので、どうしても夜に起きてしまい、皆が寝静まる頃自分は覚醒していたが、まだ吐き気と痛みが強い為、下剤を尻に入れてもらった。
翌朝、10時に退院なのだが夜ほとんど寝ていないため、キャリーに物をつめたりトイレにいくのが手の甲の点滴でとにかく辛い。そんな時、芸人の中山功太がほぼ同時期に声帯の手術で1週間入院してたのを見て、自分も一週間栄養管理士の作ってくれる健康ごはんと共に延長すれば良かった…と後悔した。
というのも、この時点で全身麻酔から24時間経っておらず、手術の箇所は”声帯”だ。知らない人も多いと思うが、声帯はいろんな役割を担っていて、荷物を持ち上げる時、重いものを持って移動する時などにも大いに使われている。息を止めると声帯はピタッと閉じる運動をする為、術後ではこのピタッがなかなかやりづらい。
しかも内臓系の見た目には普通に見えるのも誤解されやすい。
そして、声帯は”筋繊維と粘膜が複雑に絡まった要素”から成り立つ器官で、手術後などは特に消耗が激しいのでなるべく使わない方が良い。これに”本日から話してはいけない”が加わる。
そんな中で最大のキャワキャリーにシナモンとMILKの3つのカバンを持って一人で移動するのはなかなかきつかった。おまけにこの日タイミング悪く生理が始まり、ただでさえ私は痛みが強いのに、声帯、生理痛、寝不足とダメージを受けたまま、病院から大阪ボイスセンターへ移動診察をしなければならず、この時がヒスと痛みのピークが到来。これまでとても親切にしてくれた看護師さんもおらず、退院後の移動や意思の疎通がなかなかスマホだけでは伝わらず、大変苦労した。
タクシーを呼んだのだが、アプリの「GO」を普段から使っていて本当に良かったと思える出来事があった。「GO」ではタクシーを呼ぶ際、外見の特徴などを伝えられるメッセージ機能がある。いつもは”金髪の女です”というあまり好まれないのではないかと思うメッセージを添えるのだが、今日はそれに加えて、“金髪です、言葉が話せません”とあえて詳しい背景などを省いたメッセージで呼んだ。
タクシー内に乗り込むとちゃんとメッセージを見てくれていたようで、とても静かで快適に移動の時間を過ごせた。そんな時、タクシーの運転手さんが何やらメモを書いていて、それを私の方に向け、“車内の温度はいかがですか?寒くないですか?”とわざわざ尋ねてもらった。私は大丈夫の親指いいねのジェスチャーで返したのだが、こういう小さな人の親切や細かい気配りがとても嬉しく、感激した。これは自分も使える!!見習わなければとポジティブにフリップ芸人となる事を決めた。
フリップ芸人爆誕
退院後にそのまま大阪ボイスセンターへ移動した。診察では、「手術直後で喉の痛みがあるだけだから、明後日までには痛くなくなると思う」と、画像も見せていただき、痛さの意味を理解した。先生の言う通り、幸い3日も経てば痛みもなくなった。
その間に、早速フリップを作った。人間として最低限のコミュニケーション用語のみを持ち歩くようにした。特に”ありがとうございます”を見せる時は、苦笑いを含む100%の人が笑っていた。それでも、私の場合は一時的に声が出せないだけで、一生話せない人の気持ちは計り知れないものがある。それと同時に自分がいかに言葉(大声)のみで伝えてきたか、ということも振り返るきっかけとなり、大いに考えさせられた。
牟田先生と望月先生は、共に「声のトラブルを起こしやすい人一位は歌手、二位は教員」とおっしゃっていた。なんと、自分はツートップとっていたのだ。これは馬連ならハッピーだが、お二人の意見は「今後喉の寿命を少しでも長く伸ばしたいのなら、歌が下手な子を教えない事」という助言だった。
それは最も的確だし、どのレッスンも分け隔てなく教えてた自分が今回の事を招いた原因でもあると思う。しかし、私の中では“下手=歌い方を知らない子”なのだ。歌い方を知らない子の気持ちは、自分が最初そうだったから気持ちが痛いほどわかる。わかる分、指導につい熱が入ってしまうのだ。
一度、この事についてもメンクリの相談で、「全てのレッスンを毎回250%の力で教えてしまうのですが、これはなんという病気ですか」と社会科見学的に尋ねたことがある。その時の先生の回答は「それは性格の問題」であった。この問題をどうすべきか、未だ沈黙療養を続けている現在の私の課題となっている。
この記事が出る頃には、恐らく仕事復帰している頃だと思うが、4/2現在の私は、「サウナ行っていいですか?」もNG、一度、「会話していいよ」と言われた途端、病院でしゃべりまくったので2分で再度禁止となった。望月先生の「僕があんたの手綱を握っとくから、言うことを聞くように」といった教えをしっかり守っている。
手術後の生活
19時起床、8時就寝となった現在絶賛ニートの私は、爪のみが唯一の楽しみで”爪モチベ”、”ネズミモチベ”(※純子先生は「ねりちゃぎ」というチンチラを飼っている)で通院以外はほぼ外に出ず過ごしている。
3歳からピアノをやっていたので爪が短いのだが、長いとこんなに手ってほっそりして見えるんや!!とか、指からはみ出る爪を人生で初めて体験した。基本痛ネイル(全く痛くないしかわいいのだが)中心にセルフでやってるけど、アイドルの子たちがネイルやる理由は、モチベと自己肯定感爆上がりの”やった事しかない奴にしかわからん聖域”みたいなものだと思う。アホみたいな鬼ロング爪で自販機のお釣りとるのに5分かかるのも、最早自分がカニになったようで面白い。
SNSは自分の仕事系の発信をメインにし、なるべく休止中は見ないようにもしてるしデジタルデトックスの恩恵を受けて、映画を100本以上観たり、通院の帰りに半額セールの面白い本を見つけたりと、普段のライフワーク界隈以外のものに触れる楽しさを結構ニートなりに満喫している。
ここで、声に携わるお仕事をされている方、目指してる人の予防と心構えについて何点か箇条書きで残したいと思う。
1.手術一週間前はサプリを摂るな!!
恐らく麻酔科医の先生の指導にもあると思うが、エビデンスの不確かでないものは1週間前から飲まないようにする。(麻酔との相性トラブルを回避する為)
普段飲んでる薬は薬剤師さんのチェックの元OKな事が多い。
2.術前は夜、寝ろ!!
当然だが入院生活は朝7時起床(血圧など測りに6:00な時もある)、22時就寝。私のような夜の世界に生きる人間にはこの時の2泊3日が逆に辛かった。
3.入院はできるなら一週間にしろ!!
2の延長線となるが、急性胃腸炎で一週間入院した時は栄養管理士さんの食餌療養、朝起きて夜寝る生活に戻れ、余計な間食もなくなり、一気に13kg痩せられた。朝起きて、夜眠るという光り輝く生活をなるべく過ごしておくと、術後のメンタルにも身体にも良い。
3.術後は片手生活だから、水買い込んどけ!!
自分は右手の甲に退院30分前まで点滴が繋がっていたので、最低限必要な水を買い込んだ。それでもトイレはうまく拭くことが難しく、最終パンツとタオルを何枚か捨てた。全身麻酔だけでなく片腕生活を侮ることなかれ。
4.荷物は小さいキャリーだけにまとめ、余白も開けろ!!
恋人や配偶者、家族がきてもらえれば多いに助かるが、自分の場合は独り身運転免許なし、さらにはこの手術をもってニートとなったので、使い捨てお箸、紙コップ、紙パンツ、使い古して捨てよっかな〜と思う下着で十分だった。余白があれば新しい書類などをもらってもそこにぶちこめる。
5.コミュニケーションはフリップに書け!!
術後、なかなか難しい話などが出てきたら普段は口頭で説明できる事が封じられることになるので手話か筆談しかない。自分は教員実習で手話の授業で“タコ”と“イカ”しか教わらなかったので、A4サイズにマジックペンで大きく書けるリングファイルを外に出る時は常備していた。これなら美容室でも「アシスタントさん、まじ軍神に似てるっすよね」とか気軽に会話できるし、診察やいつもいくお店にも「ありがとう」という最低限の感謝が伝えられるので、コミュニケーションで心の下がりがちな無音生活にも彩りが増した。
今こうして日常を沈黙で過ごす中で声のない世界に慣れつつある。でもそれは、本来の私ではない。声がなくても伝わる“ありがとう”と、声があるからこそ伝わる“ありがとう”は確かに、ある。
次に教え子に会う時はどんな声になってるんやろな。このネイルはちょっと短めにするつもりだけど、沈黙から学んで拾った言葉や体験を連れて行った、私で着々と復帰の日に向けて生活している。
純子、黙るってよ。でも、また大声でどんな教え子でも全力の爆声で話す日は近い。
(文=「純子の部屋」純子/構成=宮谷行美)