写真 多くの企業が新入社員を迎え入れる春。新卒はもちろん、転職してきた人たちで職場の空気は一変する。とはいえ、せっかく就職したにもかかわらず、すぐに退職してしまう人もいる。業務内容や職場環境が合わなかったなど、人によって理由はさまざまである。
メディアでは新入社員の“常識はずれ”な言動にフォーカスされがちだが、当然、企業体質や職場の上司・先輩に問題があるケースも少なくない。
◆みんなの前で「根性がない」「使えない」
「能力次第で年収1000万円も可能」。そんな触れ込みに惹かれて入社した会社が「ブラック企業」だったら——。
吉野まどかさん(仮名)は、外国語教材を販売する会社に入った。求人情報には「語学力を活かせる国際的な環境」などの魅力的な文言が並んでいたが、入社初日から面食らってしまったという。
まず、驚いたのは待遇面だった。「能力次第で1000万円も可能」といっても最低賃金スタートで、成果が出てもほとんど昇給しない仕組みだったのだ。
さらに衝撃的だったのは、上司の態度である。
「前任者のことをみんなの前で『根性がない』『使えない』とボロクソに言っていました。後日その上司から電話がかかってきて、私は身構えてしまったのですが、なぜか『プー太郎(※無職になること)だけはダメだぞ。お前はやればできるんだ』と励ましてきたんです」
その不自然なギャップに、吉野さんは「これは飴と鞭の演出なのかな?」と背筋が寒くなったという。
◆「朝活」の名のもとに早朝出社を半強制
職場の雰囲気も異様だった。事務所は薄暗いビルの一室で狭く、常に監視されているような感覚が拭えなかった。仕事内容も求人情報とは大きく異なる。
「営業のリストは自力でつくり、何十件も架電します。そんな毎日に疲弊し、1週間で3人の新人が辞めました」
勤務時間も、募集要項には「9:00〜17:00」とあったが、実際は「朝活」の名目で1時間早く出社することが半強制されていた。
「朝活は読書とかヨガではなく、通常業務を行います。圧力といいますか。朝がいちばん効率的だから、“やる気のある人”は早く来て仕事をしなさいって」
◆「早めに辞めてよかった」
社長は典型的なワンマンで常に自画自賛。社員はだれもがイエスマンに徹していた。そんななかで突然、社長が吉野さんを「美人だ」とベタ褒めするようになったのだ。
「私はもしかすると社長の愛人候補にされているのでは……と不安になりました」
吉野さんは限界を迎え、別室で大泣きしながら退職を決意する。
「ただ、退職を申し出るのは本当に怖かったです。すんなり辞めさせてもらえる感じではなく、上司は『説得するから夫を呼べ』と詰め寄ってきました」
辞めさせてもらえないかもしれない……。しかし、上司は夫の職業を聞いた途端、態度が一変。すんなり退職を認めたそうだ。じつは当時、吉野さんの夫は労基に関係する仕事に就いていたそうだ。
「求人情報は華やかでも、実際はまるで違うこともあります。私は直感を信じて早めに辞めてよかったです」
◆「お前なんでナビ使うの?」新人への理不尽な叱責
後藤正人さん(仮名・20代)は、コロナ禍で就活に苦戦しながらも新卒で商社に入社。「定年まで勤め上げる」と意気込んでいた。
最初の3か月は研修として本社での座学や各部門の業務体験。同期にも恵まれ、大学生活の延長のような雰囲気でゆるやかに過ごしていた。だが、そこからが“地獄”だったという。
7月、地方部署の営業部へ配属が決まる。内向的な性格の後藤さんは、体育会系の商社営業は向いていないと感じたが、配属変更の希望は通らなかった。ここで成果を上げるしかない。後藤さんは気持ちを切り替えた。
最初の実務は、教育担当の先輩から今後引き継ぐ予定のクライアントの定例会議への参加だった。
「客先までは車で片道約1時間です。私は専門的な知識もなく、顧客体質もわからないなかで、ひたすら会議で発せられている単語を議事録に書き続けました」
なんとか会議を終え、後藤さんの運転で会社へ戻ろうとした。運転席に座り、ナビを設定しようと思ったら、助手席にいる先輩から予想外の言葉が飛んできた。
「お前なんでナビ使うの? 新人ならふつうは1回通った道ぐらい覚えるだろう」
後藤さんは意味が分からず、恐怖を感じた。言われるがまま記憶を掘り起こしながら運転するが、道を間違えるたびに先輩は舌打ちし、ため息をついた。
「緊張で体に力が入ってぎこちない動きになると『お前、運転下手すぎ、事故ったら責任とれんの?』と何度も叱責されました」
◆上長も冷たい態度「新人はツラいのが当たり前だろ」
これも新人の通過儀礼だと我慢しながら1週間ほどが経過したころ、コロナ感染者の増加に伴い、週2出勤・週3リモートの体制に切り替わった。
リモートの日は報連相(報告・連絡・相談)のために電話やメールでコミュニケーションを図るが、先輩からは基本的に無視される。一方、先輩からの電話には1コールで出ないと「お前さっさと出ろよ!」と言われてしまう。後藤さんは、次第に追い詰められていった。
「わからないことがあって先輩に聞くと、『そんなんもわからないの?』『お前は全てにおいて能力が低いわ』って。1か月ほど経過すると、もう先輩に話しかけるのが怖くて。手が震えて、動悸が止まらなくなりました」
完全に“昭和”。もはや、これは後輩イジメといってもいいだろう。
後藤さんも上長に先輩との関係について相談したが、「新人はツラいのが当たり前だろ」と一蹴されてしまった。
自分が甘えているだけなのか、それとも会社が悪いのか……。後藤さんはわからなくなっていた。
◆「1年目で休職なんてできると思うの?」
配属から2か月が経った日の朝、出勤の準備をしようと思ったが、まるで金縛りにあったかのように布団から起き上がれなくなり、そのまま会社を休んでしまった。
心療内科を受診すると、医師からは休職を勧められた。診断書をもらい、後日、上長面談の際に提示したが、なんと「1年目で休職なんてできると思うの?」と断られてしまったのだ……。
後藤さんは頭が真っ白になり、思わずその場で「辞めます」という言葉が口から出た。
「辞めれば、もう先輩に会わなくていいんだって。目下の生活資金や今後のキャリアのこと、失うモノへの恐怖よりも会社から解放される喜びの方が圧倒的に大きかったんです」
同期たちは後藤さんを心配し、社内的にも新卒の在籍期間としては“史上最短”ということで、社長との面談までセッティングしてくれた。
「退職に至るまでの経緯を話すと、社長は『貴重な意見として今後の社内体制へ反映させる』と言ってくれました。もう私が辞めることには変わりませんが……のちに聞いた話では、自分のいた事業所は無くなり、本社に統合されたそうです。やはりハラスメントが問題になったとのこと」
後藤さんは10月末に退職。その後、年内は自宅療養し、生活資金を稼ぐために学生時代から描いていたイラストの仕事で独立。現在は縁あって地元企業へ中途採用で入社し、会社員とイラストレーターの“二足のわらじ”生活を続けているそうだ。
「前職の商社は年収450万ほどで、 現在は会社の収入が400万円、イラストの収入が50万円〜100万円という感じです。だいたい同じぐらいの年収ですが、今は会社だけに縛られず、ストレスフリーで好きなことができるので心にも余裕がありますね。辞めてよかったです」
その会社を辞めても人生が終わるわけではない。いくらでもやり直せるのだ。
<取材・文/藤井厚年>
【藤井厚年】
明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスで様々な雑誌・書籍・ムック本・Webメディアの現場を踏み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者として活動中。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。趣味はカメラ。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi