
世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第9回】スティーヴン・ジェラード(イングランド)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。
第9回は名門リバプールの歴史に名を刻むミッドフィールダー、スティーヴン・ジェラードを取り上げる。2000年代に右肩上がりで繁栄していったプレミアリーグにおいて、彼は常にピッチの中央で存在感を示した。そして、赤いユニフォームが本当に似合っていた。
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スタジアムを訪れると、いくつかの気づきがある。
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日が暮れると極端に寒くなる座席があったり、風がまったく流れない場所があったり、施工会社にクレームをつけたくなる。聖地ウェンブリー・スタジアムは放送ブースからトイレが遠く、かつて大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)が本拠としていた川崎球場は用を足すことをはばかれるほど汚かった。
リバプールの本拠アンフィールドには、重低音が響いていた。カーンとかパーンといった乾いた音ではなく、ボゴッ、ドズッ、バギッなどなど、濁音が聞こえてくる。
スティーヴン・ジェラードの「キック音」は、ほかの選手と明らかに違う。
力量が周囲に伝わってくる。インステップならまだしも、インサイドやインフロントでも重低音を響かせるのだから、初めて聞いた時の衝撃は大きすぎた。パワフル、かつ柔軟な下半身を持つジェラードならではの「スゴ技」である。
ただ、10代後半までは恵まれた骨格に筋肉の成長が追いつかず、不調を訴えたこともしばしばある。
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「朝、起きた時に背中、腰が痛くなる。ケガもしていないのに、試合や練習を休まなくてはならない。不愉快だったな」
ジェラードの述懐である。成長期ゆえの悩みだが、歯がゆかったに違いない。
また、若き日の彼は荒くれ者でもあった。
相手の足首を狙うようなスライディング、プロレスまがいの低空ドロップキック、両足ストンピングが物議を醸した。勝利への渇望が暴走したとはいえ、許される行為ではない。ジェラードに限らず、当時のイングランド人選手は危険なタイプも少なくなかった。
1998年11月のブラックバーン戦で、ジェラードはプレミアリーグにデビューした。ポジションは右サイドバック。翌シーズン、ポール・インスがミドルスブラに移籍したあとを受け、中盤にコンバートされている。
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【度肝を抜く20メートルのミドル弾】
四半世紀ほど前のリバプールは辛酸をなめていた。マンチェスター・ユナイテッドの天下が続き、2000-01シーズンのカップトレブル(FAカップ、リーグカップ、UEFAカップ)も、リバプールの伝統と格式を踏まれれば溜飲を下げたとは表現できない。ビッグ4の位置づけもマンチェスター・U、アーセナル、チェルシーに次ぐ4番手。プライドが傷つき、自信が揺らぐ。
「やっぱり4番手は癪(かん)にさわったよ。だからこそ、自信を取り戻せたあのシーズンは、俺たちリバプールにとってはターニングポイントになった」
引退後のジェラードが2004-05シーズンの重要度を語っている。そう、後世に語り継がれる 「イスタンブールの奇跡」だ。
奇跡の予兆は、チャンピオンズリーグ・グループステージ最終節にあった。ベスト8進出の条件は2点差以上の勝利だったが、オリンピアコスのリバウドに先制を許した。本拠アンフィールドでも3ゴールは厳しいか。いや、リバウドの1点はドラマの呼び水でしかなかった。
後半開始早々、フロラン・シナマ=ポンゴルが決めた。76分、ニール・メラーが押し込んだ。逆転したとはいえ、このままではグループステージで撤退を余儀なくされる。残り4分。時間がない。
その時、ジェラードの右足がうなった。
およそ20メートルの一撃は、彼ならではの弾丸ミドル!
「なんなんだ、こいつーーーっ」
この一戦をテレビで解説した筆者が奇声を挙げるすさまじさだった。
決勝トーナメントに進出したリバプールは、曲者レバークーゼン、優勝候補のユベントス、チェルシーを連破して決勝進出する。
しかし、決勝の地イスタンブールでは3点のビハインドを背負い、ハームタイムを迎える。大舞台で3点差を覆せる可能性は絶望的までに低い。しかも相手は百戦錬磨のミランだ。リバプールがあきらめていたとしても不思議ではなかったのだが......。
【プレミアリーグ優勝は最後まで届かず】
後半、様相が一変する。
54分、ジェラードのヘディングで1点を返した瞬間、リバプールはサポーターとともに意気上がり、突然ミランは慌てはじめた。パオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・ネスタといった名DFは苛立ちを隠さず、カルロ・アンチェロッティ監督が「落ちつけ」と声を枯らしても効果はなかった。
その後、リバプールはウラジミール・スミチェルとシャビ・アロンソのゴールで同点に追いつき、PK戦の末にチャンピオンズリーグを制した。しかし、すべてを変えたのはジェラードのヘディングであり、ハームタイムの喝(かつ)だったという。
「おまえら、このまま終わったら一生、笑い者だぞ。恥ずかしくないのか」
キャプテンの言葉でリバプールは奮い立ち、今日の隆盛へとつながっていく。
残念ながら、ジェラードはプレミアリーグで優勝できなかった。PFA(プロ選手協会)が選ぶ年間ベストイレブンに8度も選ばれているというのに、イングランドの最強リーグは制していない。
2013-14シーズンは最終盤まで首位に立っていたにもかかわらず、チェルシー戦でジェラードがスリップする痛恨のミスで敗れ、クリスタル・パレス戦は3-0から追いつかれてドロー。その結果、優勝をマンチェスター・シティにさらわれている。
ジェラードの右足から繰り出されるロングフィードは正確無比で、くさびのパスも何度となく対戦相手の急所をえぐっていた。勝利の女神とやらは「いけず」がすぎはしないか。
もしあの時、ジェラードが決断していたら、一度くらいはプレミアリーグ優勝も......。
2005年、チェルシーの監督だったジョゼ・モウリーニョが自ら交渉に乗り出し、ジェラードを獲得しようとしていた。プレミアリーグ制覇を熱望していた彼の心は移籍に傾き、公式発表を目前に控えていたが、土壇場で翻意している。
【モウリーニョが贈る最高級の賛辞】
「スティーヴィーを誘ったのは、一度や二度ではないよ。チェルシー、インテル、レアル・マドリード......私はいつでもどこでも『スティーヴィーを獲るべきだ』とクラブに進言し、自ら口説いたこともある。彼とクロード・マケレレ、フランク・ランパードで中盤を構成するのが私の夢だったんだよ」
モウリーニョが贈る最高級の賛辞だ。
「プレミアリーグのテッペンには立てなかったので、生きている間はずっと後悔するだろうね。でも、リバプールでプレーしていなかったら、この悔しさも味わえなかったわけだし」
後悔を甘受するとは、なんという正直な告白だろうか。
いや、やはり青いユニフォームはイメージできない。引退して数年の時がすぎても、ジェラードの心には、まだ赤い血潮が脈打っていた。生涯リバプールLOVE。かっこいいじゃないか!