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7日に鎮火が宣言された岩手県大船渡市の大規模山林火災。国内では平成以降最大の約3370ヘクタールを焼失し、今も現場には生々しい焼け跡が残る。2月26日の発生から鎮火までには41日を要し、住民らは地域の再建に向け少しずつ歩み始める。あの日々から間もなく2カ月。改めて関係者に当時の状況や課題を聞いた。【聞き手・工藤哲】
大船渡地区消防組合消防本部の荻野渉・総務課長
――発生から間もなく2カ月になりますが、改めて当時の状況を教えて下さい。
◆私は発生当初、火が起きた場所に近い合足(あったり)地区の現場で消火活動を指揮しました。その前には隣の陸前高田市から大船渡市の方に延焼した山林火災が起きていて、転戦して現場近くに行ったらまるで噴火したかのような、30年余りやってきて今まで見たことがないほどの煙でした。
14年前の東日本大震災の時にはライフラインが麻痺(まひ)して夜は活動を止めることもありましたが、今回の火災は消火を止めれば家が燃えてしまうので、1軒でも民家への延焼を食い止めることを最優先にし、夜通しの作業でした。途中で風向きが変わったりするので息をつくこともできませんでした。
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風で火の粉が飛び散って、あたりは点々と燃えていました。乾燥が続いて燃え広がりも早く、高い木の上の方から燃え移り、地上隊だけでは消火は難しく、ダムからの給水も立地上容易ではなかったため、ヘリによる上空からの海水も加わりました。海水は山林の土壌や消防車の機器にとって本当は良くないのですが、あの状況なのでやむを得ませんでした。
――鎮圧や鎮火までにかなり時間を要しました。
◆いったん鎮圧はしたものの、木の根とか太い幹の奥に火が長くくすぶっており、掘り起こさないと地表からは分かりづらい熱も含まれます。雨が降った後も白煙が上がっていました。燃えた範囲はあまりに広く、煙が上がったり消えたりしたため鎮火の判断は慎重にせざるを得ず、時間を要しました。
――消防活動の教訓は。
◆震災の時と違って電話や通信が比較的通じたことは大きなプラスでした。当初から移動型の専用車が到着し、電源や電話、ネット環境が確保されました。お陰で震災の時にはまだ使っていなかったLINE(ライン)グループによる隊員同士のやりとりが不便なくできました。
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また震災後に三陸道が整備されたことで、関東や東北などの消防隊が応援に駆けつける時間が大幅に短縮されました。焼失してしまった家もあり、非常に悔やまれる形になりましたが、震災の教訓が生かされた部分もあります。各地から消防隊が駆けつけていただいたことで鎮火につながり、感謝しています。
――再発防止に必要なことは。
◆春先の時期は特に乾燥し、風が強くなる時期なので、野焼きやごみ焼きなどには特に注意が必要です。状況から考えて自然発火はなかなか考えづらく、たばこやたき火など、さまざまな要素があり得ます。わずかな火でも今回のような大火になり得るので、今まで以上に警戒が必要です。今回の活動を記録にまとめ、今後の教訓として役立てられればと思います。
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