
近年、学生駅伝界で低迷が続く明治大学の再興を託された大志田秀次・新駅伝監督。実績組をはじめ、各学年に好選手がそろっている。チームが強くなるためのカギは「選手の自主性」と語る名将が就任早々に行なったのは、これまでの取り組みを振り返り、結果につながらなかった要因を見出し、選手との対話を進めることだった。
新たな挑戦は、すでに始まっている。
後編:大志田秀次・明大駅伝監督インタビュー
前編:大志田秀次氏が語る明大駅伝監督を引き受けた背景と『失敗を経験に』の哲学
【『自主性』とは、選手が具体的に考えて行動すること】
昨年度の明治大は全日本大学駅伝、箱根駅伝ともに予選会で落選。三大駅伝を一つも走ることなくシーズンを終えた。とはいえ、潜在的な戦力が足りなかったわけではない。新年度のチームでも4年生には世羅高校(広島)時代に全国高校駅伝優勝経験のある森下翔太と吉川(きっかわ)響、3年生にはチーム上位の5000m13分台の自己ベストを持つ綾一輝(八千代松陰・千葉)と大湊柊翔(学法石川・福島)をはじめ、各学年に力のある選手が顔をそろえる。
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大志田監督は指揮官就任が発表された3月上旬以降、まずは昨シーズンの取り組み過程を見直し、結果につながらなかった要因を突き詰めた。そのうえで、選手個々との意見交換を図ることからスタートしている。
――明大の選手の印象はいかがですか。
大志田駅伝監督(以下、同)「(4月上旬の)記者会見で言ったように、素質が眠っているチームというのが第一印象でした。ではなぜ結果につながってこなかったか。まずはこれまでの取り組みを見聞きして調べてみると、チームの上位10人が狙った大会にそろって出られていなかった点が見えてきました。つまり、それ以前の準備の部分に問題があったということです。
これは明大に限ったことではありませんが、たとえば高校時代まではチームでやっていた練習前後の準備やケアを大学に来たら疎かにしてしまい、それがケガの要因になっているのにそのことに気づいていないといったことが往々にしてあるものです。
明大のカラーとして『自主性』という言葉を耳にしますが、自主性とは選手が自分の好きなように、自由にやるという意味ではありません。日常生活や学業をしっかりやることはもちろん、競走部の部員である以上、速く走るためにはどうするのか、どういうトレーニングをするのか、故障を未然に防ぐにはどうしたらいいのか、故障した場合にはどのように治療していくのか、なかなか回復できない場合は違う治療法も考えるべきなのか−−。自主性とは、それらのことを選手自身が具体的に考えて、行動に移していくことです。
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違和感という言葉にしても同じです。『違和感があります』というのは、具体的にどういう状態であるのか。それらを言葉にして伝えることは非常に重要なことなのです。
選手個々がそうしたことにきっちりアプローチしていけば、もともと力のある選手が多いわけですから、明大は強くなれると考えています」
――まだそれほど時間が経っていませんが、選手からの反応はいかがですか。
「最初は私が出したことに対して、一部にはこれまでと同じようにやりたいという意見もありましたが、私は、そこは譲れなかった。いい結果を求めるためにいろいろな側面でチーム組織が変わっていかなければならないときに、走る選手たちが変わらなければ何も変わらないよ、ということを伝えました」
――中大では選手たちの意見が集約されてのコーチ就任、東国大ではゼロからチームを作り上げていきましたが、明大は歴史もあり、すでに実績のある選手もいるところからのスタートです。最初の段階ではそのあたりの難しさはあるのかもしれません。
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「選手たちや学生スタッフが記した過去の活動内容を振り返ってみると、例えば、『記録会や大会への出場が少なくて、(狙った大会で)相手の強さに参ってしまった』という反省があり、それを受けて今度は試合数を増やすわけですけど、それに対して『結果が出なかった』と、そこで終わってしまっていたんです。
『失敗を経験に』というのが私の指導方針ですが、選手自身が自ら立てた目標に対しての分析を継続していかないと、強くなることは難しいです。
ただ、選手というのはこだわりがある一方で、強くなりたいわけですから、納得すればきちんと取り組む素直さは持っています。一緒に過ごす時間が増えていけば、関係が築けると思います」
【2025年度の目標は選手が掲げた本戦出場とシード権獲得】
大志田監督は、「自主性」こそがチームを強くする源であり、だからこそ選手個々とのやり取りを重視する。合宿所内に各選手の年間目標を貼り出しているが、その目標に向かう短・中期的な進捗は「選手個々が状況を認(したた)めて、それを監督やスタッフと擦り合わせて進めていけばいい」と言う。それは他人の目を意識することより、常に自分自身と向き合うことに集中でき、ひいては自主性を育むことにつながるという考え方があるからだ。
大きな目標に向かって、具体的に細かいことを落とし込み、積み重ねていく。そのスタイルは以前と変わらない。
ただ、そうした姿勢や精神論のみを強調するのではなく、時代に合った具体的な強化指針も出し、すでに進め始めている。
――選手強化、練習方法のアプローチはどのように考えていますか。
「近年の長距離界の流れを汲めば、厚底シューズの進化への対応策を中心に、身体のケアやコンディショニング全般にアプローチすることは必要になってくると感じています。故障したあとの治療にフォーカスするのではなく、どうやってケガなく厚底シューズの反力を生かした走りができるようになるのか。そのあたりを選手個々と話しながら、それぞれの目標に対して、突き詰めていくつもりです。
例えば1万m27分台を目指すなら、1km2分45秒と考え1000mを10本、2000mなら5分30秒で5本、3000mなら8分20秒を切るタイムで3本、これを練習で出せるようにするために、どのような練習を重ねていくか。そこから体づくりであったり、食事面のケア、治療、あと効率の良いフォームを求めていきます」
――何か新しく取り入れたことはありますか。
「動作測定です。体の関節部分に測定器のセンサーをつけて行なうもので、走行時における各所の力の入り具合であるとか、左右のバランスを検証するものです。今は人数を絞って試験的に実施していますが、ある選手は、そのデータから歩幅に改善の余地があることがわかったのですが、それはその選手が以前から同じことを感じていた部分だったのです。
選手自身の感覚がデータや第三者の意見として示されると、説得力が出てくる。それが先ほどお話しした自主性にもつながってくるので、可能な範囲で進めていければと思います」
――どういうチーム作りを行なっていきたいですか。
「競走部の部員としての自主性を養い、自分たちで成長していけるチームになることです。今はまだやれていない部分もありますが、能力の高い選手は多いので、その部分がしっかり整ってくれば、結果に結びついてくると思います」
――現在いるメンバーには箱根駅伝を経験している選手が6人います。今シーズンの目標は箱根本戦出場とシード権獲得を掲げています。
「選手たちが掲げた目標ですので、まずは選手個々と話を重ねながら、選手自身で成長できる体制を整えられればと思います。1年、1年、結果を求めていきますが、中期的に見れば、来年はもっと強くなれますし、今年の新入生が最上級生になった時には5番以内に入れるくらいのレベルに行ければ、2031年度には優勝争いが展開できるチーム力を備えられるのではないかという青写真を描いています」
【優しいおじさん? 4年生3人の第一印象は?】
新たな明大の舵取りを任された大志田監督だが、選手たちの目にはどのように映っているのだろうか。現在の3、4年生にとっては入学後3人目の監督となり、当初は戸惑う部分もあったことだろう。ただ、選手である以上「強くなりたい」という思いは変わらぬもの。特に4年生にとっては、学生最後のシーズンを託す監督となる。
部員のなかで一番最初に大志田監督に会ったという主将の室田安寿(宮崎日大高・宮崎)は、初対面のときのことを次のように思い返す。
「どのような実績がある方かは知っていましたし、話してみると、優しいおじさん、という印象でした(笑)。ただ、具体的な話を聞いていくと、大志田監督の考え方は幅広い層の選手に対して、速く走れるようなアプローチなのかなという印象を持ちました」
自他ともに「強いメンタルの持ち主」と認めるエース格の森下は、「自分は結構意見があるタイプなのですが、初めて話した時に嫌な顔をせず聞いていただき、大志田監督の考え方も話していただいた。一緒に考えて自分が強くなれる、強くしてもらえる方という印象でした」と言い、森下と高校時代に日本一を経験している吉川は「初めてお会いしたのに以前から知っていた方のように、話しやすく接していただいたのが印象的でした」と振り返る。
まだ1カ月強という時間ではあるが、大志田駅伝監督の考え方が浸透し始めていることを感じさせるのは、森下のコメントだ。
「大志田監督の考え方は個を強くするというもので、自分も共感する部分が多い。みんなチーム、チームと言いがちですが、それ以前に個が弱すぎた。やっぱり個が強くなることでチームも強くなっていくと思っているので」
ちなみに話を聞いた3人の4年生は、東国大時代の大志田監督とは、スカウトで接する機会がなかったという。
果たして新時代に向けてスタートを切る明治大は、どのようなケミストリー(化学反応)を醸成していくのか。大いに注目したい。
●Profile
おおしだ・しゅうじ/1962年5月27日生まれ、岩手県出身。選手歴:盛岡工高―中央大―本田技研工業(現Honda)。中大時代には箱根駅伝に2回出場し、4年時には8区で区間賞を獲得。個人では1500mを軸に活躍し、1986年アジア大会では金メダルを獲得した。現役引退後の1991年からHondaで指導者としての活動を始め、1996年には中大のコーチとして箱根駅伝総合優勝に貢献。2011年に創部されたばかりの東京国際大の監督となり、創部5年目の2016年に箱根駅伝初出場、2020年には初のシード権獲得(5位)に導いた。また、全日本大学駅伝には2019年に初出場でシード権獲得(4位)、出雲駅伝では2022年に初出場初優勝を遂げた。2023年から2年間はHondaのエグゼクティブアドバイザーを務め、2025年4月に明治大駅伝監督に就任した。