
連載・平成の名力士列伝40:逸ノ城
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、短い土俵人生ながら強烈なインパクトも残した逸ノ城を紹介する。
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【記録づくめの新入幕場所の衝撃】
"怪物"と呼ばれる新鋭は時おり出現するものだが、風貌も含め、この男ほど鮮烈なインパクトを残した力士はいない。
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モンゴルの首都、ウランバートル市から西に約400キロ離れたアルハンガイ県出身の逸ノ城は、出生時ですでに身長60センチ、体重は5000グラムもあり、周囲を驚かせた。父親も193センチの大男で、母親も175センチの長身。一家はゲルに住む遊牧民で「羊は300頭くらい。馬も30頭、牛は20頭、ヤギも50頭くらいいました。お父さんは羊の顔が一頭一頭、分かっていますよ」と証言したことがある。
中学生になってモンゴル相撲を始めると、14歳のときには県大会で優勝。大きな息子にはスポーツ選手になってもらいたいという両親の願望もあり、高2のときにウランバートル市内のスポーツ学校に転校すると柔道にも打ち込んだ。高校在学中に日本の鳥取城北高が同市内で開催した相撲留学生を選ぶためのセレクションに参加して優勝。のちの照ノ富士、水戸龍らと同じ飛行機で来日した。
日本の相撲にまだ不慣れな当初は、稽古で女子部員にも勝てずに悔し涙を流したこともあった。だが、下半身を徹底して鍛え直すと頭角を現し、高2の高校総体団体戦では度肝を抜くパワー相撲で同校の連覇に大きく貢献した。高校時代は5つのタイトルを獲得。卒業後は母校のコーチを務めながら実業団横綱に輝き、幕下15枚目格付け出し資格を取得すると、平成26(2014)年1月場所で初土俵を踏んだ。
所要4場所で昇進した同年9月の新入幕場所は初日から6連勝と突っ走った。7日目は勢の上手投げに屈して初黒星を喫したが快進撃はなおも続き、10日目の時点で全勝の横綱・白鵬を横綱・鶴竜とともに1差で追う展開となり、翌11日目には大関・稀勢の里戦が組まれた。
初の大関戦は頭から突っ込んでくる相手に対し、 "怪物"は冷静沈着に立ち合いで左に変わって叩き込んだ。初土俵から5場所目での大関戦勝利は年6場所制以降では史上最速。続く12日目も豪栄道を豪快な上手投げで沈め、2日連続で大関を撃破。「今場所で一番いい相撲」と胸を張る"怪物"だったが、翌13日目は横綱・鶴竜戦に抜擢されるとこう口を開いた。
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「明日は無理だと思います。横綱ですよ」
もはや謙遜にしか聞こえないほど、ザンバラ髪のホープへの期待は高まっていた。横綱初挑戦の一番もいきなり左に動いて叩き込み。昭和48(1973)年9月場所の大錦以来41年ぶりとなる新入幕での金星を挙げたが、初土俵から所要5場所での金星もまた、年6場所制では史上最速だった。勝ちっぱなしの白鵬がこの日敗れたため、優勝争いでもトップに並んだ。
14日目の白鵬戦は賜盃の行方を左右する大一番となったが、最強横綱の壁は厚かった。100年ぶりの新入幕優勝という快挙はならなかったが、新入幕の13勝は北の富士、陸奥嵐と並び(のちに尊富士も達成)、15日制では最多勝ち星。殊勲賞と敢闘賞を受賞したが、幕下付け出しから5場所目の三賞獲得も雅山と並んで史上最速と、記録づくめの衝撃的な幕内デビュー場所となり、当時の北の湖理事長も「まさかここまでやるとは。将来の横綱候補だ」と大絶賛するほどだった。
【体重過多による腰痛で不完全燃焼の土俵人生に】
翌場所は小結を通り越し、一気に関脇に昇進。新入幕から所要1場所での関脇昇進は昭和以降では初めて。さすがに苦戦するかと思われたが8勝7敗と勝ち越し、大関昇進は時間の問題と思われた。
しかし、関脇2場所目の平成27(2015)年1月場所で入門以来初の負け越しを喫すると、その後は低迷することになる。不振の要因は体重過多による腰痛だった。腰椎椎間板ヘルニアを患い、212キロあった体重を187キロまで落としたが、持ち前の"規格外"のパワーも削がれてしまった。そこで減量をやめると本来の相撲を徐々に戻り、平成30(2018)年3月場所からは5場所連続で三役に在位し、体重も自己最高の227キロをマークした。
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平成31(2019)年3月場所は賜盃こそ全勝の白鵬にさらわれたが、最後まで優勝を争って14勝。新入幕場所以来4年半ぶりの三賞となる殊勲賞を受賞したが、復活のきっかけとはならず、右膝や右肩の負傷、腰痛の再発などで十両へ陥落する憂き目にも遭った。
令和2(2020)年9月場所で4場所ぶりに幕内に返り咲くが、入幕後も目立った成績は残せなかった。令和4(2022)年7月場所、29歳にして初賜盃を抱いたが、衝撃的な幕内デビューから8年が経過していた。遅すぎた初優勝も起爆剤とはならず、令和5(2023)年5月場所前に突然の引退発表。
「腰の状態が手術をしてもあまりよくならなかった。2日前に親方(元幕内・湊富士)と話をして決めました」とその理由を語ったが、その表情に笑顔も涙もなく、"怪物"は不完全燃焼のまま土俵を去った。
【Profile】
逸ノ城駿(いちのじょう・たかし)/平成5(1993)年4月7日生まれ、モンゴル・アルハンガイ出身/本名:三浦 駿/所属:湊部屋/初土俵:平成26(2014)年1月場所/引退場所:令和5(2023)年5月場所/最高位:関脇
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