松原聖弥を変えた明星大学での4年間 高校時代は補欠だった男は真摯に野球に向き合いプロ野球選手になった

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2025年04月21日 07:40  webスポルティーバ

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「なんで私がプロ野球選手に⁉︎」
第10回 松原聖弥・後編

前編:「松原聖弥は恩師の言葉を糧にプロ野球選手となった」はこちら>>

 異色の経歴を辿った野球人にスポットを当てるシリーズ『なんで、私がプロ野球選手に!?』。第10回後編は松原聖弥(西武)の「衝撃の大学デビュー」からお届けする。

【名将を激怒させた送球難】

 ノッカーが打ち抜いたボールは、セカンド方向に弾んだ。

 松原聖弥はゴロを捕球すると、一塁ベースについたファースト目がけてボールを投げる。だが、高校時代からイップスに悩む松原には、リリースの瞬間にボールがすっぽ抜ける感覚があった。指から離れたボールはファーストが飛び上がっても捕れない悪送球になり、一塁側ベンチの円陣の輪のなかへ消えていった。

 ベンチ前でミーティング中だった相手大学の監督は、カンカンに怒ってしまった。

「おい浜井、ちょっと来い! あのセカンド、どうなってるんだ!」

 怒鳴り声をあげたのは、東京国際大の監督を務めていた古葉竹識(こば・たけし/2021年逝去)だった。かつて広島東洋カープの監督として、3回のリーグ優勝に導いた名将である。

 怒鳴られた明星大監督(当時)の浜井澒丈(ひろたけ)はしきりに謝罪しつつ、「初めてのスタメンで緊張しているんです」と古葉をなだめた。結局、セカンドで先発するはずだった松原は、試合開始直前になってDHとして出場することになった。

 2013年春季リーグ戦を前に組まれた東京国際大とのオープン戦で、浜井は入学したばかりの松原を先発メンバーに抜擢した。旧知の仲である仙台育英監督の佐々木順一朗(現・学法石川監督)からは、「浜井さん好みの足の速い選手です」と推薦を受けていた。とはいえ、入学時点で浜井は松原をとりたてて評価していたわけではなかった。

「目立たない選手だったんですけど、やっていくうちに『この子は面白いな』と感じていきました。リーグ戦前になって、一軍に入れたんです」

 試合前に古葉を激怒させた一件があったにもかかわらず、松原は決勝タイムリーヒットを放って勝利に貢献した。浜井はますます松原の魅力を感じるようになった。

「あんなことがあったのに物怖じしないし、勝負強いな」

 浜井はアマチュア球界で知る人ぞ知るベテラン指導者である。社会人野球の大昭和製紙、ローソンで監督を務め、明星大の監督に就任。首都大学2部リーグに低迷していたチームを立て直すべく、力を注いでいた。

【開幕戦でまさかの4番・DH】

 そんな浜井は、リーグ開幕戦で思いきった手を打つ。1年生の松原を「4番・DH」で起用したのだ。

「4番バッターが決まっていなかったし、まだチーム力がないから誰を使っても同じようなもの。それなら松原に経験を積ませてやろう」

 一方、松原は戸惑いを隠せずにいた。

「なんで高校時代に補欠だったヤツが、3学年上の人もいるなかで4番なんだ......と思ってしまいました。しかも初出場ですから。4番なんて、小学生以来でした」

 期待を込めた抜擢だったが、起用は裏目に出る。松原は4打席連続三振という最悪の大学デビューを果たした。

 試合後の夜、浜井のもとに電話がかかってきた。相手は仙台育英の佐々木である。

「浜井さん、こんなことしてもらったら困ります!」

 松原の4番起用と4三振の結果を知り、いてもたってもいられなくなったのだ。高校時代にベンチ外だった選手にもかかわらず、佐々木は松原の動静を気にかけていた。当時の心境を佐々木はこう語る。

「いきなり使ってもらってありがたいんですけど、喜びとともに『4番じゃないでしょう』という思いがあって。大学1年生ですぐ出る選手もなかなかいないし、8、9番ならわかるんですけどね。情報を聞いて申し訳なくて、浜井さんに電話したんです」

 23時頃には、松原本人が青ざめた表情で浜井のもとを訪ねてきた。

「明日の試合は勘弁してください。頭が真っ白で、夜も眠れません」

 だが、すっかり自信を喪失した松原に対して、浜井はこう告げる。

「明日も6番・DHで使うぞ!」

 浜井の強い決意を聞き、松原は「切り替えるしかない」と気持ちを入れ直した。

 翌日、先発起用された松原は二塁打を3本放つ大活躍を見せる。試合後、浜井は松原に「おまえはやればできるんだ」と励まし、意外なことを告げた。

「俺は来年の春までおまえを使わない」

 あべこべの言動に見えるかもしれないが、浜井には明確な狙いがあった。

「使うなら走攻守三拍子揃う選手として使いたかったんです。まずはキャッチボールができるようになること。あとは大学でしっかりとした生活を送って、体をつくること。1年かけて力をつければ、絶対に大丈夫だと思いました。松原には『2年春から必ず使うから』と伝えました」

 ここが松原にとって人生の転機だった。

【5季連続ベストナインの看板選手に】

 明星大の野球部は浜井の方針で体づくりに力を入れていた。単純にウエイトトレーニングで筋力をつけるだけではなく、身体操作性を養うマット運動もメニューに組み込まれている。松原は「走るメニューも多くて、毎日しんどかったです」と苦笑する。

 浜井は「社会人の時に体操の先生や大学教授にトレーニングを教わって、足が速くなる方法を知っていたんです」と語る。

 明星大にやってくる野球部員は、松原のように高校時代に実績のない選手も多い。そうした選手を体の使い方から鍛え直し、大学野球で戦える選手に仕上げていく。それが浜井の戦略だった。事実、高校時代に50メートル走のタイムが6秒3だった松原は、大学で5秒8まで縮めている。

 また、イップスを考慮してポジションは外野にコンバートされた。外野転向は守備に悩む松原にとって、心理的な負担を減らす作用をもたらしたという。

「外野になったことでバッティングに集中できるようになりました。守備も楽しくなりましたね」

 明星大のコーチを務める吉田祐三は、こんなシーンが強く印象に残っているという。

「松原はフェンスがあろうと、迷わず飛び込んでいくんです。打撃練習ではワンバウンドのボールをヒットにするシーンも何回か見たことがあります。この子は理性ではなく、本能でやっているんだな、本能に任せたほうが伸びるなと直感しました」

 猪突猛進のプレースタイル。フェンスに激突する恐怖心はないのかと尋ねると、松原はこう答えた。

「『あ、ぶつかるな』と思ってぶつかれば、痛くないんですよ。『ぶつかる』と思った瞬間に体が受け身の体勢になるので。それは今も同じですね」

 そして、明星大の首脳陣が目を見張ったのは、松原の野球に対する姿勢である。浜井は言う。

「毎日誰よりも早くグラウンドに来て、誰よりも遅く出る。貪欲に物事に取り組める子だと感じました」

 高校時代に自主練習をサボっていた松原の姿はなかった。

 2年春になって浜井の宣言どおりレギュラーになると、5季連続で首都大学2部リーグのベストナインに選ばれる看板選手になった。

 レギュラー定着後、浜井はことあるごとに松原にこんな声をかけるようになった。

「頑張ったらプロに行けるからな」

 その時点で明星大からプロに進んだ選手はいなかった。だが、浜井の実績を知らない松原は「はい」と返事をしつつも、話半分に聞いていたという。

【育成ドラフト5位で巨人入り】

 それにしても、高校時代に自主練習を怠けがちだった松原が、大学で別人のように取り組むようになったのはなぜか。本人に尋ねると、松原は「楽しかったから」と答えた。

「大学はリーグ戦ですけど、高校野球みたいにトーナメントだと自分みたいな計算できない選手は使えないじゃないですか。だから大学野球が楽しかったんです」

 ドラフト会議が近づくにつれ、松原を視察するスカウトも増えていった。明星大を訪れたスカウトに対して、浜井はこう豪語している。

「プロに入って数年経ったら、絶対にレギュラーを獲れますから。レギュラーになれなかったら、クビでもいいです」

 2016年10月20日、育成ドラフト会議5位で巨人が松原を指名する。同年の育成ドラフト会議では楽天2位で南要輔も指名され、明星大から初のプロ野球選手が誕生した。

 自分の名前が呼ばれて初めて、松原は浜井に対して「この人、ほんまにすごい人だったんや」と実感したという。

「今までも野球で有名な人について『あいつは教え子だ』とかよく言っていたんですけど、あまりよくわかってなくて......。ドラフトで指名されて初めて、浜井さんがすごい人だったことに気づきました」

 高校時代の恩師である佐々木は、感慨を込めてこう語る。

「浜井さんから『(指名が)あるんじゃないか』とお聞きしていました。『あの松原が?』という驚きは、そんなにはなかったんです。むしろ『ああいうのがプロに行くんだな』という感じがしました。高校野球の最後はダメでしたけど、よくぞここまで伸びましたよね」

 松原はプロ2年目の7月に支配下登録され、5年目の2021年にはレギュラーに定着して規定打席に到達。同年に放った12本塁打は育成ドラフト指名選手としては史上最多の記録である。

 プロ入り後、阪神戦で甲子園球場の芝生を踏みしめた松原は、不思議な思いがしたという。

「ああ、ここが甲子園なんや......。甲子園で野球やってんなぁ。こんな感じなんか......」

 アルプススタンドで太鼓を叩いていた自分が、今はプロ野球選手としてフィールドに立っている。それは信じがたい現実だった。

【トレードで西武に移籍】

 そんな松原も、近年は試練が続いている。松原本人が「なんであんなに振り回したり、いらんことをいっぱいしてたんやろ」と振り返るほど、迷走するシーズンだった。

 2024年6月24日には若林楽人とのトレードで、巨人から西武に移籍。今季は4月15日に一軍登録されると、安打を連発。貧打や故障者続出に苦しむチームにあって、希望の光になりつつある。

 松原を支えた人々も、それぞれに復活を待ち望んでいる。現在は芝浦工業大の監督に就任した浜井は言う。

「彼はどんなことがあってもくじけない、いいハートを持っています。とんでもなく意外性のあるヤツですから」

 現在は学法石川で指揮をとる佐々木は、愛嬌たっぷりに今の松原とのかかわりについて語った。

「学法石川のグラウンドに来てくれたこともあるんですけど、オーラがゼロなので『プロの松原だよ』と言わないと気づかれないんです。彼のいいところは、大学でもプロでもニタニタとして苦労しているように見えないところ。柔軟性があって、みんなからかわいがられるところなんです。育英の頃から、『矢貫(俊之/元・日本ハムほか)2世だな』という話はしていましたが、次は誰が出てくるのか楽しみですよ」

 高校時代の同期である小杉勇太は現在、学法石川のコーチとして佐々木を支えている。

「僕は『なんで松原がプロに?』とは思いませんでした。ポテンシャルは認めていましたからね。プロで活躍してもあいつは変わらないし、忘年会にも来てくれます。変わったところと言えば、でっかいクルマに乗っていることくらいですかね」

 松原聖弥の奇跡の物語は、まだまだ中盤。これまで切り拓いてきた道なき道を思えば、そんな予感がしてくる。


松原聖弥(まつばら・せいや)/1995年1月26日、大阪府生まれ。仙台育英時代、3年夏はベンチ外。明星大では5季連続ベストナインを獲得するなど、チームの中心選手として活躍。2016年に育成ドラフト5位で巨人から指名を受け入団。18年7月31日に支配下登録されると、21年には育成出身選手として初めて規定打席をクリアし、打率.274、12本塁打、37打点、15盗塁をマーク。24年6月にトレードで西武に移籍した。

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