ペルーサの青葉賞制覇から15年 無敗かつ4馬身差の圧勝劇を振り返る

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2025年04月22日 07:00  netkeiba

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10年の青葉賞を制したペルーサ(撮影:下野雄規)
 GI制覇は果たせなかったものの、個性的なキャラクターで多くのファンの支持を集めたペルーサ。そんな彼が無傷の4連勝で重賞初制覇を飾った10年の青葉賞を振り返る。

 ペルーサは父ゼンノロブロイ、母アルゼンチンスター、母の父Candy Stripesという血統。父の初年度産駒であり、07年セレクトセール当歳で1億円(税抜)で取引された。馬名はアルゼンチンの著名なサッカー選手であるディエゴ・マラドーナの愛称に由来する。

 父と同じ美浦・藤沢和雄厩舎から2歳秋にデビュー。新馬、500万下に続き、皐月賞トライアルの若葉Sも制したが、皐月賞は見送り。日本ダービーに目標を定め、トライアルの青葉賞に向かった。

 重賞初挑戦となった一戦、ペルーサは同じく無敗のトゥザグローリーやハートビートソングを抑え、単勝1.4倍の圧倒的1番人気に推された。若葉Sで下していたヒルノダムールが皐月賞で2着に健闘していたこともあって、決して過剰人気という雰囲気ではなかったが、その評価が間違いではなかったことをレースで証明する。

 道中は中団で脚をためて、直線に向くとグングン加速。残り300mで先頭に立つと、一気に後続を引き離し、終わってみれば2着のトゥザグローリーに4馬身差の圧勝。日本ダービーで1強ムードだった皐月賞馬ヴィクトワールピサに強敵が現れたと、多くのファンが感じたのだった。

 その後、ペルーサは日本ダービーで6着となったのち、出遅れ癖が顕在化。強烈な末脚で同年天皇賞(秋)で2着、11年には3着に食い込む活躍を見せるも、長く勝利から遠ざかることになる。それでも8歳時の札幌日経オープンでは青葉賞以来、実に5年3か月8日ぶりの白星をゲット。これはアドマイヤセナの5年2か月16日の記録を約1か月更新する、当時のJRA史上最長勝利間隔の新記録だった。まるで漫画のような激動の競走馬生活、その雄姿はファンの記憶に残り続けるに違いない。

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