「お前は俺のキャリアに最悪の仕打ちをしたことになる」 代理人が語ったムニアインのサウジ移籍に対する嫌悪

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2025年04月23日 18:34  サッカーキング

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ビルバオ退団やアルゼンチン移籍の背景を語ったムニアイン [写真]=Getty Images
 サン・ロレンソに所属するMFイケル・ムニアインが、昨夏のアスレティック・ビルバオ退団と、アルゼンチン移籍の背景を語った。

 イケル・ムニアイン。1992年12月19日生まれの32歳は、ロマンチストであり、フットボールに対する愛と情熱に溢れる“王様”だ。ムニアインは、カピタンとして40年ぶり通算24度目のコパ・デル・レイ(国王杯)優勝に貢献し、クラブ神話に登場する“青いはしけ船”に乗った直後の昨年4月に、アスレティック・ビルバオ退団を発表した。トップチームで15年を過ごした同選手は、退団時はクラブ歴代2位(今はオスカル・デ・マルコスに抜かれて3位)の記録だった公式戦通算560試合に出場。そして現在は、アルゼンチンの名門であるサン・ロレンソでプレーしており、今シーズンは負傷離脱により出遅れたものの、復帰後は公式戦7試合連続で出場している。

 そんなムニアインが、スペインメディア『Movistar+』制作のドキュメンタリー作品の主役として登場。アスレティック・ビルバオ退団と、アルゼンチン移籍の背景を告白している。

 2022年夏に3度目の就任となったエルネスト・バルベルデ監督の下で、アスレティック・ビルバオは1年目こそ成績は振るわなかったが、2年目に国王杯優勝、3年目の今シーズンはラ・リーガで4位、ヨーロッパリーグでもベスト4進出と躍進を遂げている。その一方で、ムニアインのプレータイムは徐々に限定的となり、ラストシーズンは計953分にまで減少。指揮官が志向するスタイルに合わなかった他、若手選手の台頭により推し進められた世代交代に飲まれた形となった。

 ただクラブ側は、2024年夏に満了を迎える現行契約の延長オファーを提示。が、「心はここに残れと叫んでいるけど、頭と足はそれ以上のものを求めている」として、ムニアイン自身が断っていたのだ。当時を振り返った同選手は、「人生のクラブで、とても長く充実したキャリアを送れたこと、なにより待ち望んでいたコパ・デル・レイを獲得して終えることができたのは、本当に嬉しかったよ。ただね、新しい世代に一歩を踏み出させるときがきた、とも感じていた」と退団の背景を明かした。

 続けて、「コパ決勝の前に、もう答えは出ていたんだ。大きなストレスを感じながら、最愛の人たちと何度も話し合ってきた。向き合いたくもない問題に直面して、とても難しい決断を下さなければならなかったのだからね。あの決勝戦は、(アスレティックでタイトルを獲る)正真正銘のラストチャンス、最後の望みだった」と最愛のクラブに対する気持ちと、プレーヤーとして勝負したいという気持ちで揺らいでいたと口にした。

 また、自身について「フットボール愛好家であり、このスポーツのロマンチスト。とても情熱的な人間だよ」というムニアイン。昨夏よりプレーするサン・ロレンソ加入の決め手も、「多くの人々がアルゼンチンに行くという決断に驚いていたけど、それは僕の中にあった思いだった。僕は、どんなときも心が告げるままに歩んできた」とし、「人間は自分の内なる声によって、動かなければならない。僕を感動させ、夢中にさせたのは、このクラブだった」と心が惹かれたからだと強調した。

 そんな“王様”を象徴するエピソードが、このドキュメンタリー内で語られている。ムニアインの代理人を務めるオマル・ロドリゲス氏は、昨夏にサウジアラビアのクラブからもオファーが届いたことに触れつつ、「サウジアラビアのクラブと2回のビデオ通話の後、私に対して『もしこれらのクラブのどれかに移籍しなければならなくなったら、お前は俺のキャリアに最悪の仕打ちをしたことになる』と言ってきたんだ」と告白。続けて「我々が持っていたどのオファーも、アルゼンチンリーグの条件を経済的には上回っていた。(昨年の)6月時点で、サン・ロレンソに移籍する可能性は1パーセントだったよ」と新天地探しの一幕を振り返っている。

 最後に、今後について「僕の目標は楽しむこと、人々を楽しませること、そしてサン・ロレンソで大きなことを成し遂げることだ」と語ったムニアイン。誰よりもフットボールに誠実で、高尚であり続ける“王様”は今日も、アルゼンチンでキャリアを謳歌している。

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