
世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第10回】アルバロ・レコバ(ウルグアイ)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。
第10回はウルグアイが産んだ「稀代のファンタジスタ」FWアルバロ・レコバだ。個性の強い選手ばかりが集まった2000年前後のインテルにおいて、まったく異質な存在だった。アスリート化した近代サッカーでは、二度と現れないタイプのストライカーだろう。
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愛称は『チーノ』(イタリア語で中国人)である。コンプライアンス全盛ともいうべき昨今の日本であれば、間違いなく物議をかもす。
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だが、インテルで一世を風靡したひとりのウルグアイ人FWは、穏やかな笑みを浮かべながら淡々とプレーしていた。
アルバロ・レコバである。
ファンタジスタ、もしくはマジシャンと評される類(たぐい)のレフティであり、彼がボールを持った瞬間、「さぁ、どんな魔法を見せてくれるんだい」と胸をときめかせたファンも少なくないだろう。
レコバが活躍した1990年代後半から2000年代中期までのインテルは、綺羅星(きらぼし)のごときタレントを揃えていた。
ロナウド、クリスティアン・ヴィエリ、エルナン・クレスポ、ズラタン・イブラヒモヴィッチ、イバン・サモラーノ、ディエゴ・シメオネ、アドリアーノ、ロベルト・バッジョ......。マッシモ・モラッティ会長の情熱に、多くのスター選手が引き寄せられた時代である。
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ところが、1990年代は一度もスクデットを奪えず、2006-07シーズンの優勝も、ユベントスが八百長工作で栄冠を剥奪された末の産物だ。素直に喜んでいいものだろうか。
【セリエAデビュー戦で衝撃のゴール】
「戦術に縛られて、選手には自由がなかった。もっと俺たちに任せてくれれば、二度や三度はセリエAでも優勝していたよ」
レコバ本人が当時を振り返る。
カルチョ・イタリアーノの愛好者は、老いも若きも戦略・戦術に口うるさい。ボードを使い、勝因と敗因を延々と分析するTVショーも存在した。そのなかでもインテルは「ロナウドが戦術」とメディアに揶揄され、ルイジ・シモーニ監督は「無知」と罵られもした。失礼な話である。
「俺たちと同じレベルでボールを蹴ったこともない連中が、ひたすら戯言(ざれごと)を繰り返す無駄な時間」
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レコバは戦略・戦術のTVショーを嫌ったが、彼は左サイドで気ままに振る舞うことが多かった。相手ボールになった際のリアクションが重視される近代フットボールでは、おそらく失格の烙印を押される。
パスコースを限定するわけではなく、ボールホルダーも追わない。ディフェンダーからすると迷惑千万だ。インテルのチームメイトであり、現在は同クラブの副会長を務めるハビエル・サネッティも次のように語っている。
「戦略・戦術を理解しようとはしていなかった。でも、ボールを持った際のアイデアはピカイチ。ディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシと並び称される存在、と断言できる」
たしかにレコバは特別だった。
1997-98シーズンの開幕節(対ブレッシャ)だった。インテリスタは、いや、世界中がロナウドに注目していた。バルセロナからやってきたブラジルのモンスターに、ありとあらゆる期待が集中する。レコバはベンチから戦況を見守っていた。
0‐1で迎えた79分、ウルグアイ人FWの出番が訪れた。ハーフウェイラインから20メートルほどボローニャ陣に入ったところで、レコバはルックアップしてボールをキープする。味方の立ち位置でも確認していたのだろうか。
次の瞬間、彼は「ボールの行き先なんぞ知ったこっちゃない」と言わんばかりに、左足を無造作に降り抜いた。およそ30メートルの長距離砲がうなりをあげてネットに突き刺さった。
【レコバの攻撃センスはピカイチ】
そして87分、今度はゴール正面40メートルほどの直接FK。レコバの左足から放たれた一撃は、クロスバーを舐めながらゴールに吸い込まれていった。
敗色濃厚だったインテルを「レコバひとりが救った」といっても過言ではない。チーノはロナウドを噂の片隅に追いやり、これ以上ないセリエAデビューを飾ったのである。
また、1998年1月のエンポリ戦の一撃も語り草である。左サイドのハーウェイライン付近から約50メートルの超ロングシュート。相手GKが少し前に出ていたとはいえ、咄嗟(とっさ)の判断で長い距離のキックを決めるのだから、さすがと言うしかない。
さらに、1999年11月のレッチェ戦ではDFを背負いながら2度のリフティングで楽々とかわし、最後は飛び出してきたGKの頭上を軽く抜いた。
サネッティの言葉を借りるまでもなく、レコバの攻撃センスはピカイチだった。守備の貢献度が低かったとはいえ、印象的なゴールが非常に多い。
シモーニ監督のもとで定位置を奪えず、インテルからベネツィアにローン移籍となった1997-98シーズン後半も、信じられない距離、角度からミドルやロングシュートを幾度となくサイドネットに沈めている。19試合・11ゴール。レコバは単騎でクラブを残留に導いたのだから、「恐れ入りました」と脱帽するしかない。
コパ・アメリカも、ワールドカップも、レコバとは縁遠かった。類稀(たぐいまれ)な才能をふまえれば、バロンドールに手がかかっても不思議ではなかったが、有力候補に挙がったことすらない。
「負傷もあったけれど、チーノがフルシーズン戦えていたら、バロンドールの候補に挙がったかもしれない。もう少しだけ真摯な姿勢でフットボールに向き合うべきだったんじゃないかな。せっかくの才能を活かしきれていなかったよ」
こう語るのはサネッティだ。レコバを高く評価するからこその厳しい言葉である。
【『俺の左足で虹を描いてやるよ』】
負傷による戦線離脱も少なくはなかった。好不調の波が激しく、つい1〜2週間前までは神がかっていたにもかかわらず、突如として凡人以下に身を落とす。監督にすると扱いづらい。
だが、祖国ウルグアイではレコバに憧れる選手が非常に多い。
ディエゴ・フォルラン、ルイス・スアレス、エディンソン・カバーニなど、近年のウルグアイを代表するストライカーは、「成長過程でレコバをイメージしていた」と公言している。やはり、あのシュートは強烈なインパクトを残していた。キャリアのなかで6回も直接決めたCKも鮮やかだった。
戦略・戦術に縛られ、マジシャンよりもアスリートが重用される今、レコバのようなタイプは二度と現れない。現れたとしても、トップクラブでは起用されない。窮屈な時代になったものだ。
「雨あがりのピッチなら、俺の左足で虹を描いてやるよ」
なんて粋なコメントじゃないか。ウルグアイが産んだ稀代のファンタジスタは、その発言も自由だった。
スリッピーだとか芝生が根づいていないとか、近頃の選手は言い訳が多すぎる。チーム広報が準備してきたかのようなコメントばかりで、面白みに欠ける。
プロスポーツは競技であると同時に、娯楽でもあるべきだ。レコバのようなタイプを時代おくれと断言すると、フットボールに未来はない。