渡辺久信が驚愕した3人の好打者 「空振りした時の音がマウンドまで...」「通用した唯一のボールはスッポ抜けだけ」

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2025年04月28日 07:51  webスポルティーバ

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渡辺久信インタビュー(中編)

 西武のエースとして活躍した渡辺久信氏に現役時代に対戦したなかで、特に印象に残った打者を3人挙げてもらった。それぞれの打者の凄みを振り返りながら、自身の移籍理由、監督たちとのエピソード、さらにはセ・パの野球の違いについても語ってもらった。

【推定162mの特大アーチを被弾】

── 対戦して印象に残っている打者を3人挙げてください。

渡辺 私が若かった頃、一番印象に残っているのは門田博光さん(南海ほか)です。当時、ナンバーワンの打者でした。特に40歳だった1988年には打率.311、44本塁打、125打点という成績で、「不惑の本塁打王」と呼ばれました。通算本塁打は567本で、王貞治さん(868本)、野村克也さん(657本)に次ぐ歴代3位です。

── どのあたりがすごかったのでしょうか?

渡辺 公称170センチと小柄ながら、とにかくスイングスピードが速かった。空振りした時に「ブルン!」と音がして、それがマウンドまで聞こえるほどでした。ほかの投手も「あの音、聞こえた?」と話題になるほどでした。いざミートされると、打球がまるでピンポン球のようにスタンドまで飛んでいく。とにかくすばらしい打者でしたね。

── 2人目は誰でしょうか?

渡辺 外国人選手では、ブーマー・ウェルズ(阪急ほか)が印象に残っています。1990年にラルフ・ブライアント(近鉄)が、東京ドームの天井スピーカーに当てた推定170メートルの打球が最長とされていますが、それ以前の記録は、1988年に私がブーマーに西宮球場で打たれた場外ホームラン。推定162メートルでした。

 ブーマーは打球の軌道が特徴的で、いわゆる高い放物線を描く"アーチストタイプ"ではなく、カット気味に放ったようなライナー性の打球がそのまま伸びていく感じです。長打力はもちろんですが、三冠王を獲ったように巧打のアレベージヒッターで、頭のいい打者でした。

── 最後のひとりは誰ですか?

渡辺 なんだかんだ言って、やはりイチロー(オリックスほか)が一番すごかったと思います。彼が高卒1年目のルーキーの時に何度か対戦し、抑えたのですが「この新人はほかの打者と感性が違う」と感じました。だから「来年はレギュラーを獲るだろう」と思っていたのですが、2年目はあまり出場機会がなかったので、どうしたのかなと。ですが、仰木彬監督が就任した1994年にブレイクし、もう手がつけられない打者になっていました。1994年から2000年まで、7年連続で首位打者を獲得。私は1997年まで対戦しました。

── 実際にイチロー選手と対戦して、どのあたりがすごいと感じましたか。

渡辺 どこに投げても打たれてしまう。唯一ヒットを打たれなかったのが、私がノーヒット・ノーランを達成した1996年の試合くらいです(笑)。三遊間や二塁前のボテボテのゴロでさえ内野安打になる。抑えられるゾーンがとにかく少ない打者でした。

── イチロー選手と対戦する時、有効な攻めはあったのですか。

渡辺 緩いカーブを投げてファウルフライに打ち取ったことがあり、その次の打席も同じ球を投げたらホームランにされました。一度投げた球の軌道をしっかり頭にインプットしてしまうんですね。通用した唯一のボールは、コントロールミスの"スッポ抜けの球"くらいですかね(苦笑)。

【ヤクルト移籍を決めた理由】

── 1997年限りで西武を自由契約となり、ダイエー(現・ソフトバンク)から誘いがあったとか。

渡辺 はい。でも私は野村克也監督の「ID野球」を体験してみたくて、ヤクルトへの移籍を選びました。

── 1992年と1993年の日本シリーズでは、西武とヤクルトが死闘を繰り広げました。捕手出身の森祇晶監督と野村監督の違いは?

渡辺 森監督は細かいことはあまり言わず、選手に任せてくれるタイプでした。ただ、結果が出ないと、選手に対して「チクチク」と言うこともありましたけど。一方の野村監督は選手にはあまり言わず、マスコミを通して「チクチク」と言ってくるタイプでした(笑)。

── 野球スタイルについてはどうでしたか?

渡辺 冗談はともかく、森監督の時代は戦力が充実していたので、それをうまく使いこなして、リードを守り切る「手堅い野球」。その戦い方はじつにオーソドックスでした。野村監督のヤクルト時代は選手層が厚いとは言えず、いわば「弱者の戦法」でした。野村監督は多彩な作戦や奇襲を駆使して、マスコミも巧みに利用する戦い方でした。

── パ・リーグとセ・リーグで、投手として感じた違いはありましたか?

渡辺 パ・リーグはDH制があるので、本当の意味で打者が1人多く、球場も広い。だから、パ・リーグの投手は基本的に「力」で勝負します。2ボールになると高めのストレートで押すことが多い。広い球場なので本塁打にもなりにくいですし、投手を交代させにくい環境なので、先発が長いイニングを投げて育つ土壌があります。対して打者も、それを打とうとして成長していく。

── セ・パ交流戦が始まったころ(2005年)には、パ・リーグの打者の打球音が圧倒的だったと言われています。

渡辺 そうですね。セ・リーグは狭い球場が多く、変化球主体でかわす投球が多い。そのため、打者が真っ向勝負に慣れていない印象があります。セ・リーグでは勝負どころで投手に打順が回ってくるので、先発が交代させられやすく、結果としてリリーフ投手が育ちやすい。一方で、捕手のリードは緻密で、変化球主体の野球でした。最近では、セ・パの野球の違いもだいぶなくなってきたと感じます。

後編につづく>>

渡辺久信(わたなべ・ひさのぶ)/1965年8月2日、群馬県出身。前橋工高から83年のドラフトで西武から1位指名を受け入団。2年目に8勝11セーブを挙げ、リーグ優勝に貢献。86年には最多勝、最高勝率、最多奪三振のタイトルを獲得するなど、西武黄金時代の中心投手として活躍。98年、ヤクルトへ移籍。99年から2001年は台湾・勇士隊で選手兼コーチとしてプレー。引退後は解説者を務め、04年から西武二軍コーチ、05年は二軍監督を兼任し、07年は二軍監督専任。08年に一軍監督に昇格し、就任1年目で日本一に導く。13年限りで退任し、シニアディレクターに。19年からGMとなり、昨年は5月28日から監督代行を兼任し、チームの指揮を執ったが、シーズン終了後に退団

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