
♪ヒヤ、ヒヤ、ヒヤの、ひやきおーがん−。30代以上の関西人には、おなじみのフレーズだ。老舗製薬会社「樋屋製薬」(大阪市)の薬「樋屋奇応丸」のCMソングだが、実は同社内でも長年、誰が作った曲か不明だった。同社が改めて作曲者を調べたところ、「童謡界のレジェンド」の作品だったことが昨秋に判明した。
【写真】ヒヤ、ヒヤ…と言えば。明治時代とみられる貴重なパッケージも
樋屋奇応丸は、同社が江戸期から販売する薬。乳幼児の食欲不振や夜なきなどに効果があり、直径1・7ミリ以下の丸薬で生薬を原料とし、乳幼児から大人まで服用できる。CMソングは、1960年からラジオで流れ、テレビは80年頃〜2000年頃に西日本を中心に放映された。短調のメロディーと印象的な歌詞は、「関西電気保安協会」などと並んで関西人の耳に刻まれたCMソングだ。
ただ、樋屋製薬社内では、1959年に在阪テレビ局が催したCMソングコンクールを機に生まれたことは分かっていたが、作曲者は長年不明だった。2022年、創業400年を機に社史を精査することになり「CMソング」の歴史も探ることになった。
担当の松山直樹営業企画部課長は、ネット情報や会社に残る資料を調べ、作曲者を「越部信義」としたXの書き込みを見つけた。投稿者に連絡を取ると、1960年発行の雑誌にCMソングコンクールの記事が掲載され、作曲者に越部さんの名前があることが判明した。
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越部さんは、「おもちゃのチャチャチャ」「はたらくくるま」「勇気一つを友にして」などの童謡のほか、国際賞「京都賞」(稲盛財団主催)の「祝典序曲」などを手がけた名作曲家。主な活躍は60年代以降で、「樋屋奇応丸」は無名時代の作だった。
また、雑誌には越部さんのインタビューもあった。越部さんは、CMソングは「単純明快で、けれん味が必要」とし、乳幼児向けの樋屋奇応丸をあえて短調の曲にした理由を「大衆の耳に引っかかるように作った」と話していた。
作曲者の判明は、社内での反響も大きく「どうやって調べたの」「キダ・タローさんだと思っていた」などの声が上がったという。一方、作詞者の下田良一氏は情報がなく、どんな人物か現在も分かっていない。
1622(元和8)年創業の樋屋製薬は、東大寺(奈良市)の秘薬だった薬を、庶民が安価で買えるよう小粒に加工し、「奇応丸」として売り始めた。1837(天保8)年の大塩平八郎の乱や、1945(昭和20)年の大阪大空襲などによる3回の社屋全焼を乗りこえ、大阪の庶民に親しまれる製薬会社となっている。松山さんは「すごい作曲家の作品だったことに驚いた」とし、「放映終了後も長く多くの人に親しんでもらっているCMソングなので、いつか再び流せる機会をつくりたい」と話している。
【樋屋奇応丸CMソング歌詞】
赤ちゃん 夜泣きで 困ったな
カン虫 乳はき 困ったな
子どもが腹いた どうしましょ
下痢した カゼ熱 泣きたいわ
そんな時には 樋屋奇応丸
ヒヤ ヒヤ ヒヤの 樋屋奇応丸
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(まいどなニュース/京都新聞・辻 智也)