立花もも新刊レビュー 金原ひとみ・村田沙耶香 傑作の呼び声高い小説が同時期刊行 比較して見える共通点

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2025年05月01日 06:10  リアルサウンド

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(左から)金原ひとみ『YABUNONAKA ヤブノナカ』(文藝春秋)、村田沙耶香『世界99』(集英社)

 発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する連載企画。数多く出版されている新刊小説の中から厳選し、今読むべき注目作を紹介します。(編集部)


金原ひとみ『YABUNONAKA ヤブノナカ』(文藝春秋)

  こんなにも、人の言い分は食い違うものなのかと、読みながらくらくらしてしまった。文藝誌『叢雲』の元編集長・木戸悠介は、かつて担当していた作家・長岡友梨奈と、ちょっといい雰囲気になった瞬間がある、と信じてロマンティックな思い出を抱き続けている。だけど当の友梨奈は、それを「ゾッとした」「寒々しい」記憶として刻んでおり、編集者としての彼のことも軽蔑している。


  そんな木戸が、過去に関係をもった女性からSNSで性加害を告発されるのだが、ふつうに恋愛していただけのつもりの木戸には、その告発がピンとこない。自分だって、精神的にも物理的にも時間と労力を割いて向き合ってきたのに、と理不尽にすら感じている。そんな食い違いの積み重ねで、人は加害者になり、被害者になる。それは、この世界のそこかしこで起きている現実だ、と読みながらぞわぞわしてしまった。友梨奈が、自分とはタイプの異なる娘のことを理解しようとして、的外れな分析と解釈を重ねていることも、おそらく彼らはどこまでいっても、決定的にわかりあえないのだろうということも、きっと自分と周囲との関係にも現在進行形で起き続けていることだと、わかるから。


  友梨奈のなかには、〈善悪の判断をし、悪を徹底的に潰さなければならない、間違っているものを排除し世を正さなければならないという、それはもう悪のような正義感が渦巻いている〉。男女の不平等は許さないし、弱者が泣き寝入りするしかないような世の中はおかしいと声高に主張する。その言い分は、正しい。けれど、自分と直接的に関係のないことにまでそんなに心を砕かないでほしい、そうでなければ壊れてしまう、と年下の恋人が心配するように、危ういものでもある。友梨奈は作家だから、正義感を貫けば人間関係が破綻して、社会に居場所がなくなってしまう人たちとは違うから、そんなにも正しさを振りかざして強く出ることができるのだと娘が指摘するように、誰もかれもがそんな生き方を選べるわけではなく、むしろ人としてまっとうなことを言っている彼女を疎んじる空気のほうが、世の中には強い。


  だから、つい、思ってしまう。友梨奈の言いたいことはわかるけど、ちょっと過激すぎる。もうちょっと、グレーゾーンを持ったほうがいい。そして、ぞっとする。だってそれは、波風を立てずに黙っておけ、ということと同義だ。どうして社会を構成する一人であるという自覚をもって、問題の一つ一つに向き合わないのか。考え続けるのをやめてしまうのか、という友梨奈の怒りが突き刺さり、同時に、どうにもならない現実を前にあきらめを持つことも必要なのだと悲鳴をあげる娘・伽耶の言い分にも、心を寄せる。そんなふうに、食い違うそれぞれの言い分に、それぞれ納得しながら読み進めるうち、何が正しいのかわからなくなってしまう。


 〈結局のところ、自分の意志など時代や環境の中で作られていくものであって、自由意志など幻想に過ぎない〉と友梨奈が自覚しているように、たぶん明確な、普遍的な正しさなんてないのだ。だからこそ、あまりに急激に価値観が覆され続けている現代では、人々の食い違いも断絶も激しくなっている。でも、それでも、一人でも多くの人が生き延びられる社会をつくるために、理解し合えない他者と共存していくために、私たちはどうするべきなのかという問いが、本作には詰め込まれている。



村田沙耶香『世界99』(集英社)

  正しさなんてものは、簡単にひっくりかえされてしまうのだという現実は、『世界99』を読むとよりいっそう、おそろしいものとして迫ってくる。『ヤブノナカ』で描かれた木戸の性加害は、その当時の価値観ではさほど非難されるようなものでもなかった、というような背景もある。ゆえに、木戸よりも現代の価値観をインストールしているはずの五松という男が、雑に扱ってもいいと勝手に決めた女性を加害することのえげつなさが際立つのだが……。


 『世界99』では、状況さえ用意されれば、女性だって容易に同じ行動に出る、ということが描かれる。主人公の空子は、幼いころから感情を理解せず、人の言動をトレースすることで生き延びてきた。コミュニティによってまるで違う人格を駆使しているのがバレて、揉めることはあるけれど、その理由も相手が勝手に想像して、「傷を抱えているんだ」などと物語をつくってくれるから、あまり問題にはならない(『生命式』に収録された「孵化」という短編に登場する主人公と通じるので、あわせて読んでみてほしい)。


  主人公たちは、その社会で特殊な存在のように描かれるけれど、相手によってそれなりに人格を変え、価値観が似通っているように見せかけることは、私たちだって日常から行っていることである。自分の意志も、善悪の基準も、倫理観も、コミュニティによって容易に変動する。マジョリティは数の多さから自分たちが正しいと思い込むし、マイノリティはその傲慢さを批判的にまなざすことで自分たちの正当性を得る。「気づいてしまった」人たちは、数が多かろうと少なかろうと、自分たちだけは真理にたどり着いていると信じることで、揺らがない。自分にもなんだかんだ問題はあるけどおおむね間違ってはいないはずだし、少なくとも悪ではないと、自覚している人がほとんどだろう。そのグロテスクさを、本作では、ピョコルンという人工生物とラロロリン人と呼ばれる特定遺伝子を持った人たちを通じて浮かび上がらせる。


  ピョコルンは、人がかわいいと思う要素を詰め込んだ人工生物だ。女性が家事労働を一手に引き受け、性的に搾取されることが当たり前だった空子の幼少期、母親は奴隷のように家族に尽くし、ピョコルンの世話もしていた。やがてピョコルンが、家事だけでなく、男女問わず性交渉もできるように改良されると、かつて自分たちがされていたような扱いを、ピョコルンにするようになっていく。


  ラロロリン人に対する扱いも変動し続け、優秀であるがゆえにもてはやされたかと思えば、妬みの反動で差別され、恵まれない人たちに奉仕すること前提で存在を許されるようになっていく。周囲の思考をトレースし続ける空子は、自覚的に価値観を変容し続けるけれど、自覚がないだけで、誰もがいつのまにか「だってそういうものだから」で矛盾や理不尽を受け入れ、適応していく。その節操のなさは、今を生きる私たちとまるっきり同じであるし、それゆえにひび割れていく世界のあり様も、他人ごとではなくてぞっとする。


 『ヤブノナカ』と『世界99』。それぞれ読み心地はまるで違うし、題材も異なるように見えるけれど、根底にある性加害への怒りや、弱者を搾取する構造、そしてうつろい続ける価値観に対する人々のおそれと戸惑いは、共通しているように感じられる。日本を代表する二人の作家が、それぞれの集大成とも呼べる作品を、このような形で同時期に刊行したことに、何か意味があるのではないかとも。


  一気に読むと、どちらも「食らいすぎて」しまうので要注意なのだけど、ぜひあわせて手にとってみることをおすすめする。



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