●この記事のポイント
・サム・アルトマン氏らが2019年に立ち上げたプロジェクト「World」のイベント「At Last.」が4月30日にサンフランシスコで実施された
・「World」の狙いは、World IDの付与を通じて「人間であることの証明」を世界規模で普及させること
・「World」プロジェクト日本代表の牧野友衛氏は「AGI(汎用人工知能)の時代が明日来ないとは限らない」という
OpenAIのCEOであるサム・アルトマン氏らが2019年に立ち上げたプロジェクト「World」。仮想通貨「Worldcoin (ワールドコイン:WLD)」の文脈における大胆なトークン付与や値動きなどが語られることが多いが、その真の狙いはより壮大だ。すなわち、AGI(汎用人工知能)がボットやフェイクを量産し得る時代が迫りくるなか、World IDの付与を通じて「人間であることの証明(Proof-of-Personhood)」を世界規模で普及させること。この記事では、Webへの信頼そのものが崩壊しかねないAI時代の中でWorldが臨む壮大な挑戦の背景と内容を改めて解説し、同プロジェクトの日本代表を務める牧野友衛代表への取材内容を交えて日本国内での戦略について深掘りする。
●目次
日本では「World」に対する認知はまだ必ずしも進んでおらず、話題に挙がる際も同プロジェクトの仮想通貨「Worldcoin」や、OpenAIのCEOとしてのアルトマン氏に紐づけられることも多い。現地時間4月30日にサンフランシスコで実施されたアルトマン氏(Chairman)とアレックス・ブラニア氏(CEO)らによるイベント「At Last.」でも、VISAと提携した「World Card」の発表や「スーパーアプリ化構想」などユーザー目線で関心の高いトピックが最終的には注目を浴びた。
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一方、Worldcoinの展開それ自体や金融のあり方を変えうるVISA連携のニュースでさえ、WorldにとってはあくまでWorld IDを取得してもらうための「手段」にすぎないのも事実だ。約40分のイベントのうち冒頭7分弱だけ登壇したアルトマン氏が、その限られたスピーチ時間の多くを「AGI時代の信頼(Trust in the age of AGI)」というテーマでWorld IDの重要性の説明に割いたことからもみてとれる。
では、具体的に彼らはAGI時代には何が起こると考えているのだろうか。AGIを含むAIが計り知れないポジティブな影響をもたらすポテンシャルがあることを大前提に、下記のような警鐘を鳴らす。
現時点でもすでにチャットボットや生成AIが、人間そっくりの文章や画像・音声を容易に生み出せるようになり、SNSやレビューサイト、アプリ上などWeb空間には大量のボットや偽アカウントが出現している。Worldによると、2023年のインターネットトラフィックのうち実に49.6%がボットによるもので、リアルな人間(50.4%)とほぼ同水準だった。
この流れを、過去に例を見ない規模で加速させうるのがAGIである。今はまだボットやスパムの問題は人的リソースやコストなどの制約を受ける「人海戦術」の域を出ないが、AGIが人間と同等以上の能力をもって自律的に活動できるようになると、この制約が取り払われてしまうからだ。
その上でreCAPTCHA認証や電話番号認証といった従来の仕組みを突破できる可能性もあり、「何が人間で、何が人間じゃないか」を確実に区別できるような手段はなくなってしまう。
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結果的に、出処が不明なコンテンツやデタラメなフェイクニュースが増えることで検索・レビュー・広告などあらゆる側面で信じるべき情報がわからなくなったり、オンライン取引における詐欺が横行して経済活動が麻痺したりする事態が起きうる。氾濫する偽アカウントがいたずらに世論形成を操作したり、投票システムをハイジャックしたりすることも想定され、民主的プロセスへの深刻な影響もあり得るだろう。オンライン上で当然のように行っているあらゆる活動の根拠になる「信頼」が瓦解する事態を招くというのだ。
この来るべき課題に対するWorldの答えこそが、World IDを通した「人間性の証明(Proof-of-Personhood)」の普及である。Web上のアカウントやアクセス主体が、実在する唯一無二の人間であることを、プライバシーを保護しつつ証明する仕組み作りを目指している。
その始点となるのが、人間であることを証明する独自のデバイス「Orb」だ。Worldが開発した球形の生体認証デバイスで、ユーザーの虹彩(瞳)の固有パターンのスキャンなどを通し、その人がこれまでに登録されていない唯一無二の人間であるかを判定する。
個人の「身元(Identity)」を特定するのではなく、あくまで「唯一性(Uniqueness)」を確認する。取得したデータは本人のスマートフォンに送られ、Orbから即座に消去される。World側には氏名・年齢・性別といった個人情報は伝わらず、保存もされない。
その後、Orbで認証を済ませたユーザーに発行されるのが「World ID」であり、これこそがWorldが世界規模で普及させたい「人間証明書」になる。
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World IDは「その人が実在するユニークな人間である」ことを示すデジタルパスポートのようなもので、ユーザーごとに一つだけ所有が可能。ブロックチェーン上に記録されるが、個人を特定する情報は含まない。World IDでサービスにログインする際も、ゼロ知識証明(Zero-Knowledge Proofs)という暗号技術によりサービス提供者側にユーザー固有の情報は明かされない。要は「この利用者は過去に認証された人間である」という事実だけが確認でき、誰であるかは分からないわけだ。
ユーザーはその「World ID=人間である証明」を用いて、スマートフォンアプリ「World App」にログインできるようになる。先日のイベントでは、送金や決済ができるウォレット機能やユーザー間のコミュニケーションができるチャット機能のほか、デーティングやSNSなど様々なジャンルのミニアプリを搭載していく「人類のためのスーパーアプリ化」の構想がぶち上げられた。
VISA加盟店でWorldcoinが利用可能になるリアルカード「World Card」や、Stripeを利用するサービスでWorld Appでの支払いができる提携など、エコシステムを広げる取り組みが続々と発表されている。
重要なのは、こうした施策はすべて「人間であることを証明されたユーザー=World IDを付与されたユーザー」を増やすという目的にリンクしているということだ。仮想通貨ではなくWorld IDを軸とするプロジェクトであることを強調する意味もあり、当初「Worldcoin」だったプロジェクト名を昨年には「World」へと変更している。
World App内外で利用できるサービスが増え、World IDを取得するメリットが大きくなればなるほど、認証プロセスを経るユーザーは増えるだろう。結果としてグローバル規模でリーチを拡大し、「AGIが脅威ではなく武器になる」世界をつくることこそがWorldの真の狙いである。
ではなぜ今取り組むのか。「AGIの時代が明日来ないとは限らないから」だとWorldプロジェクトを推進するTools for Humanity日本代表の牧野友衛氏はいう。東京はシンガポールやアルゼンチンなどと並んで2023年にWorldの技術が最初に正式に利用できるようになった都市の一つであり、日本は重要な市場と位置づけられてきた。
牧野氏は2000年にAOLに入社して以来、Google、YouTube、X(当時はTwitter)、TripAdvisorなどテック企業の日本法人に勤め、重職を歴任しながらWeb業界の歴史を20年以上も第一線で見てきた人物。アルトマン氏らの野心的な目標を受け、日本での導入拡大を指揮している。
World IDを取得し「人間であること」が証明された認証ユーザーは世界全体で1200万人超(2025年5月時点)。その中で日本の存在感はまだ必ずしも大きくないというが、中長期的に「日本の認証ユーザー数を1000万人規模まで増やす。そうじゃないと十分な規模とはいえない」と牧野氏は意気込む。
そのための戦術は大きくは2つで、アクセスが簡単になるように「Orb」の設置数を増やすことと、メリットを感じてもらえるようWorld IDを活用できるユースケースを増やすこと。その両輪が必要になるという。
2025年5月2日時点の公式HPの記載では、日本におけるOrbの設置数は60カ所。東京や大阪、愛知などを中心に北海道や沖縄などへも展開が進む。博報堂とパートナーシップを結びながらタリーズやBEAMSなどと提携して設置箇所の拡大を図っている。これをまずは「短期的に1000個まで増やす」(牧野氏)ことを目標に掲げる。
ユーザーメリットの拡大の面でも企業アライアンスを中心に続々と取り組みが生まれている。その一つが先のイベントで発表された「Tinder Japan」との提携だ。
Match Groupとの提携の中でTinder Japanが最初の取り組みとなる
「ペアーズ」なども傘下に持つ世界最大のマッチングアプリ会社Match GroupとWorldがパートナーシップを組み、その第一弾として「Tinder Japan」にて年内を目途に運用が始まる予定だ。具体的には、プロフィール認証を行う際に「World IDで認証」するオプションが提供され、ユーザーが実在する人間であることを証明する。なりすましや業者ボットの排除を図り、18歳未満の不正利用防止にもつながるとみられる。
他にも、1000万人規模のユーザー基盤を持つ若者向けSNS「Yay!」や、対戦型オンラインゲーム「TOKYO BEAST」でもボット対策としてすでに導入されるなどユースケースは着実に出来上がってきている。
今年3月からは岡山市奉還町とのコラボ企画も始まり、商店街の中の約50店舗が参加している。World IDの登録でもらえるWorldcoinを商店街の商品券と交換できるという内容だ。人気動画クリエイターの修一朗氏や東海オンエアのりょう氏とPR動画を撮影するなど、若年層を取り込む施策も打ってきた。目的はやはり「World ID」の登録拡大である。
こうした企業や行政などとのアライアンスを通じたユーザー拡大は、グローバルで見ても「日本は積極的に事例をつくることができている」と牧野氏は話す。チケット転売の防止や限定商品の購入回数制限などより広範なユースケースを生み出す構想もあるといい、さらなる展開が期待される。
Worldは「AIによって生み出されるコンテンツがあふれる世界で、人間がこれまでと変わらず特別且つ重要でありつづける道を探る」(アルトマン氏)ために生まれたプロジェクトだ。
その具体的な施策として人間の証明書である「World ID」を世界中に広め、AGIの社会的影響が顕在化する「前」に信頼のインフラを構築しようとする野心的かつ先駆的な試みである。Web空間そのものへの信頼が崩れることなく、テクノロジーが人間の味方である世界を守る壮大なプロジェクトとして今後の動向も注視したい。
(取材・文=干場健太郎)
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