石破首相夫人、外交の場で「若者向けブランドのワンピース姿」に違和感…透けて見える“無関心”が示す国民との距離

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2025年05月04日 16:11  日刊SPA!

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ベトナムのトー・ラム党書記長夫妻主催夕食会に出席した佳子夫人
画像:外務省 Xより
<気軽な服装で心安い態度をとるのは、よほどに自信がなければできないことだ。>(『冬の夢』 フィッツジェラルド 訳 小川高義)
 これは、『グレート・ギャツビー』などで知られるアメリカの作家、フィッツジェラルドの短編からの一文です。服装にかまわずに余裕をもって他人と接することができる人は、どれだけ自分を過大評価しているのだろう、ということを反語的に書いています。

 では、このケースはどう考えたらよいのでしょうか?

◆ベトナムを訪問中の石破首相夫人「ワンピース姿」が物議

 ベトナムを訪問中の石破茂首相が公式SNSに妻、佳子さんの写真をアップしたところ、花柄のワンピース姿に違和感を覚える人が続出しているのです。

 体型より大きめのサイズで洋服に着られている感があったり、ノーメイクに見えたりすることから、“だらしない”と感じた人が多かった様子。

 またこのワンピースが主に20〜30代をターゲットにした「SNIDEL」(スナイデル)というブランドのものではないかと指摘する声もあり、一国のファーストレディにふさわしい装いなのかと疑問を呈する声も見受けられました。

 確かに似合っているとは言い難く、実年齢に対して若い服装をすると、かえって逆効果に映ります。

 石破佳子夫人のワンピース問題。論点を整理したいと思います。

◆外交の場でなぜ若者向けブランドのワンピース?

 まず「SNIDEL」を選んだ理由。これが佳子夫人自身のチョイスだったとしたら、いまだに20代か30代、多く見積もっても40代ぐらいの感覚でいるのではないかと想像します。つまり、自分が一番輝いていた時期をキープできている、もしくはその姿を追い求めても、そんなに不自然ではないと考えている。だからこそ、あのフワフワのデザインでもいけると思えたと見ることもできるでしょう。

 そうだとすれば、これはキラキラの学生時代から全くヘアスタイルの変わらない片山さつき参院議員と同じ傾向にあると言えます。時代は移り変わっているのに、自分が最高だった時期に至上の価値を置いてしまう。それゆえに、若さの呪縛から逃れられず、かえって痛めつけられているように見えるのです。

 佳子夫人のワンピースにも、だらしなさ以上に、参考にすべきモデルが若かりし頃の自分しかないという悲しみが透けているのです。

 中には“68歳だからといってSNIDELを着ちゃいけないわけではない”という声もありますが、海外の政治家、ファーストレディで、このように人形みたいな格好で公の場に登場する人はいません。欧米に限らず、中国でも韓国でもフィリピンでもいません。

 場を和ませようと、あえてリラックスしたトーンの服を選んだ可能性も否定できませんが、外交の場においては、ゆるふわが強調されすぎているきらいがあります。そのような抜け感を出すならば、洋服全体ではなくディテールやアクセサリーなどのワンポイントで表現したほうが、より効果的だったはずです。

◆2万円のワンピースで親近感を打ち出したかった?

 次に、ブランドの価格帯によってメッセージを出しているのだとしたら。「SNIDEL」の当該商品は、20,900円だそうです。つまり、ぜいたく批判をされず、庶民にも手の出せるブランドを愛用しているという親近感を打ち出したかった可能性です。

 しかし、これも諸刃の剣です。王族や国際的な公人がファストファッションをカッコよく着こなすスナップなどが注目を集めますが、それはもともとの背格好や骨格など、何を着ても様になる土台があるからこそ、低価格の衣服でもきちんと感が出るわけですね。

 その視点から考えると、“SNIDELでいける”と考えた背景には自分のシルエットやキャラクターを冷静に分析した形跡が感じられないのです。自分を真剣に見ないということは、当然他者をも軽視することにつながり、油断にもなります。

 結果的にあの花柄にした意外性はなくなり、肝心の人となりが抜け落ちたまま、ワンピースだけが批判にさらされたのです。

◆佳子夫人のワンピース姿があらわすもの

 改めて、冒頭のフィッツジェラルドの文章です。果たして佳子夫人のSNIDELは「自信」のあらわれだったのでしょうか? 

 むしろ、それはフィッツジェラルドの皮肉すらも通り越した、茫漠たる無頓着や無関心です。良い意味での自意識がすっぽりと抜け落ちた、ちぐはぐな印象につながってしまっているのです。

 外見のだらしなさならば努力や工夫で解消できますが、無関心は長い年月によって積もった錆のようなものです。

 国民と政治との間の根深いところでディスコミュニケーションが進行している。空々しい花柄が訴えるものは、静かな断絶なのです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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