「人生初マンモで乳がん発覚」両胸全摘のデーブ・スペクターの妻が語る“自覚症状”と“下着問題”

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2025年05月06日 08:00  週刊女性PRIME

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京子スペクターさん(撮影/山田智絵)

 テレビプロデューサーでタレントのデーブ・スペクターさんの妻、京子スペクターさん。3月に夫婦で出演したトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で、乳がん発症と両胸全摘出を公表。それまで、健康そのものだった京子さんが、胸の異変を感じたのは、昨年の8月下旬だった。

右胸が「ズキン」……これはがんだと思った

「ベッドに横になっていて右側に寝返りを打ったら、右胸の奥から『ズキン』という痛みが走ったんです。直感で、『これはおかしい……、がんだ』と思いました。どこで診てもらうのがいいか、すぐに自分で病院を探しました」

 自宅から近い乳腺外来を予約し、マンモグラフィーやエコー(超音波検査)などで検査。約2週間後、結果を聞きに行くと、右胸に2〜3センチの悪性腫瘍が見つかり、ステージ2だった。さらに左胸にもわずかに影があることがわかった。

「デーブには心配かけたくなくて、何も言わずにクリニックを予約し、結果が出てから伝えました。その後、のちに手術をしていただく大学病院で検査をしたのですが、それまでの間、ネットや動画で、乳がんについて自分なりに調べました」

 ただ、乳がんが専門の千葉大学医学部附属病院乳腺外科医・榊原淳太先生によると、乳房の痛みで初期のがんがわかることはまれだという。

「乳がんは初期の段階で痛みを感じることは少ないといわれています。しかし、診察をしていると、痛みが出て来院し、がんが見つかるケースがあるのも事実。しこりが大きかったり、リンパ節転移があるためではないかと考えています。がんによる痛みは患者さんにより異なるので、乳腺外科医はその声に耳を傾け、正確な診断につなげることが重要です」(榊原先生)

病院には通っていたが乳がん検診は未経験

 1988年にデーブさんと共に会社を設立して以来、会社代表としても妻としても、休みなく夫をサポートし続けけてきた京子さん。大きな病気とは無縁で、夫婦共に健康に過ごしてきた。

「定期的に血液検査はしていて、コレステロール値が高いので薬は飲んでいましたが、それ以外はいたって健康。血液検査では問題ないから大丈夫だろうと思って、実はがん検診や人間ドックはそれまで受けていませんでした」

 ほかには2年前から年1回、尿の臭いを線虫が嗅ぎ分けることでがんリスクを判定する「線虫がん検査※」を利用。がんが見つかる直前の7月ごろに、「リスクは低い」と判定が届いたばかりだった。同じころ、自治体から自治体健診のお知らせが届く。

「珍しく無料なら受けてみようと思ったんです。ただ、乳がん検診のマンモグラフィーはどうしても痛いイメージや、恥ずかしい気持ちもあり、このときもやっていません。だから『乳がんかも』と思って受けたのが人生初で」

 自治体健診も結果は「異常なし」。2つの検査を受けて安心した直後に、痛みがきっかけで乳がんと判明した。

「いろいろ検査をしたあとにがんが見つかったのに驚きました。もちろん、どんな検査も必ずがんが発見できるわけではないですし、誰もが初期症状があるとは限りません。私の場合は、たまたま痛みが出て、すぐに病院に行き、先生が早期に見つけてくださいました。本当に運が良かったですよね!」

海外の乳がん経験者の声を聞いて手術を決断

 周囲からの紹介もあって、病院選びは3つの選択肢があったが、夫婦で話し合い、通院のしやすさから、家からいちばん近い大学病院に決めた。9月に入り、細胞を採取して調べる細胞診などで検査。右胸はステージ2、左胸はステージ0の「HER2陽性乳がん」と診断された。

 HER2陽性乳がんは、ほかのタイプの乳がんと比べて進行が速く、転移や再発のリスクが高いといわれる。

「最初に受診した乳腺外科で左胸にも影が見えると言われていたので、少し気になっていました。大学病院に移ったあと、担当医にお願いして左胸も再検査をしてもらったんです。すると、できたばかりのがんが見つかって。それでも転移はなかったので、デーブも私もほっとしました」

 ステージ0の場合、乳房の部分切除の選択肢もあるが、京子さんは主治医と相談のうえ、両胸を全摘出することを決めた。女性として胸を失うとなれば、決断に迷う人も多いが、京子さんは違った。

「胸をとることに大きな迷いはありませんでした。“がん=悪いもの”だと捉えていたので、『悪いものがあるならとってしまおう』と単純に考えていて(笑)。身体の中に悪いものがあるほうが嫌だったので、両胸のがんがなくなって、むしろスッキリ! 手術が終わって気持ちが晴れ晴れしましたね」

 両胸全摘出を躊躇なく決断できたのは、「デーブの情報収集力のおかげでもある」と話す。

「アメリカは、日本より乳がんになる人が多いんです。私自身も調べましたが、デーブがアメリカの知人にたくさん連絡をしてくれたんです。乳がんの治療をした方々から、手術と治療方法やその後の生活について聞いたところ、『少しでも再発の疑いがあるなら全部とったほうがいい』と。それを聞いていたので、ためらいはありませんでした。命のほうが大事ですから」

 乳がんにより乳房を部分切除あるいは全摘出したあとは、乳房を再構築する乳房再建術をすることもできる。

「先生から、乳房再建術についてお話がありましたが、私は人工的なものを身体に入れるのはなんとなく嫌な気がして。生活にも支障はなさそうだったので、再建はしないことに決めました」

退院後はデーブさんからの思わぬサプライズに爆笑

 手術は10月初旬に行われた。前日から入院し、手術からわずか4日で退院した。

「本当は1週間程度、入院する予定でしたが、点検のため自宅マンションのエレベーターが運転停止になる前に家に帰らないと、階段をたくさん上る羽目になるとわかって。術後の私にはキツイと思い、先生に相談して通院の約束をしたうえで、早めに退院させてもらいました」

 ブラジャーやパジャマなどの衣類は、すべて前開きタイプに変更。術後しばらくは、衣服の脱ぎ着に苦労した。

「幸いにも手術あとの痛みはあまりなくて。ただ、胸に巻いていた包帯がとれてからも、腕が上がりづらくなり、身体がスムーズに動かせませんでした。手に力が入らず、ブラジャーのフロントホックを留めたり、外すのにも手間どってしまったり。腕を動かすたびに胸元のひきつれ感がありましたが、それ以外は問題なく、自宅でゆっくり過ごせました」

 退院した当日、デーブさんと共に自宅に帰り、お見舞いで届いたお花やレターを見ていたところ、思わぬサプライズが待っていた─。

「デーブが隣の部屋に行ったと思ったら、ドクターの衣装を着て現れたんです(笑)。『何それ!』って言って大笑いしちゃいました。どこで見つけたのか聞いたら、『入院中にアマゾンで買ったんだよ』と笑っていました」

 デーブさんらしいユーモアたっぷりの退院祝いに、自然と笑顔になった京子さん。ドクターの衣装には、こんな意味が込められていた。

「『病院では先生が治療してくれるけど、家では僕があなたの病気を治すからね』と言ってくれて、彼の優しさを感じました。デーブは、通院にいつも付き添ってくれます。でも、病院って患者さんがいっぱいいらっしゃるじゃないですか。待ち時間も長いし、デーブと一緒だと目立つので、『来なくていいですよ!』と、毎回言ってるんですけどね(笑)」

 会社経営や執筆業のほか、各国の在日大使たちとも交流が深く、多忙を極める京子さん。退院後は、早々に仕事にも復帰した。

「手術と入院、自宅療養で、仕事をお休みしたのは1週間だけ。翌週の月曜からは、いつもどおり出社しました。私の場合は早期発見で、手術だけで済んだというのも大きかったのかも」

 抗がん剤や放射線治療などはなく、現在はホルモンの働きを抑える薬を内服し、定期的に通院している。

「ホルモン阻害薬は、5年間飲み続けることになっています。先生からは、手のしびれなどがあるかもと言われました。飲み始めて髪が細くなり、ボリュームが少し減ってきたような気がしていますが、今のところ大きな副作用はありません」

 目下の悩み事は、術後のブラジャー問題だ。

「いわゆる『乳がん用ブラジャー』を使っているのですが、胸がなくなって自分に合うブラジャーを見つけるのって大変なんだと思いました。ネットで見つけていいなと思って買っても、つけてみるとなんとなく違和感があって。特にパーティーでは、しばらく動いているとブラジャーが上にあがってくるんです。こっそり手で下にずらしたりして(笑)。しっくりくるブラジャーを探しているところ」

運動は嫌い。食事も好きなものを食べる

 自宅では、重いものを持とうとすればデーブさんが飛んでくる。結婚当初から「料理はしなくていい」とデーブさんに言われ、食事は外食が中心。今も、がんになる前と変わらない暮らしを送る。

「私の場合、がんがわかってからも、例えば食事なら『これは食べない』と制限をせず、好きなときに身体が欲するものを食べることにしています。もちろん健康的なものを食べたいと思えばいただきますが、無理はしません。運動もしたほうがいいとはわかっていますが、あまり好きではないので……。近所のホテルに行くときも車に乗ってしまいます(笑)」

 自分にとってストレスがなく、心地よい生活を送ることこそが療養になっている。そして自身を、もともと「能天気な性格」と言う京子さん。病を経験しても、「なるようにしかなりませんから」と、心はいたって冷静だ。

「私の母は、ものすごく心配性で、どこか痛いと、すぐ『がんかもしれない』と言って、病気になる前から心配していました。もちろん昔は、がん=治らない病気というイメージがありましたが、心配のしすぎもストレスになりますよね。母には、『病気になったときに考えればいいから』と、言い聞かせていました。だから、真逆の性格になったのかもしれません」

 ただし、デーブさんには申し訳ないという思いが強かった。

「私の前で絶対に動揺を見せませんでしたが、ショックは大きかったと思いますよ」

夫婦2人で過ごせる普通の日常がいちばん

 アメリカのホテルでコンシェルジュとして働いていたころにデーブさんと出会い、1981年に結婚。今年で結婚44年目を迎えるが、これまで夫婦ゲンカは一度もない。

「デーブは私の誕生日や記念日などの節目には、感謝の言葉を記したレターやプレゼントを欠かさずくれるんです。私は、結婚してから2、3度しかレターを渡したことがなくて、いつも与えてもらってばかり。『釣った魚にエサをやらない』という言葉がありますが、私は結婚前も結婚後も、ずっとエサをもらいっぱなし(笑)。円満でいられるのはデーブのおかげ。退院後にもらったカードは私にとって今、いちばんの宝物です」

 夫婦そろって出演した『徹子の部屋』のトークでは、グッときたデーブさんの言葉があったと振り返る。

「徹子さんに夫婦でしたいことを聞かれたときに、デーブが『普通でいいです』と言ったんです。その言葉が心に刺さりました。『普通の生活』が当たり前に送れないときもあるし、送れない人もいます。人生いろいろある中で、普通に暮らせることこそが、いちばんの幸せですね」

 がんを経験して、夫婦で過ごす平穏な日常がますます大切になった。今後は、2人で息抜きできる時間も持ちたいと京子さんは話す。

「長期のお休みがとれたら、デーブの行きたいところに2人で旅行したいですね。いつも私の行きたいところばかりに連れていってもらっているので。そうはいっても仕事が大好きな人なので、休みがあっても、結局『家で仕事をしたい』って言うかもしれませんけどね(笑)」

※線虫がん検査は「がん検診ガイドライン」に含まれておらず、厚生労働省が有効性や安全性を確認して承認している検査ではありません。

<取材・文/釼持陽子>

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