全国の原発から出た使用済み核燃料の海外再処理で発生した高レベル放射性廃棄物が、日本原燃の一時貯蔵施設(青森県六ケ所村)に初めて運び込まれてから4月26日で30年となった。同社が県や村と結んだ協定では貯蔵期間を「受け入れた日から30〜50年間」としているが、搬出先となる最終処分場の選定は難航しており、展望は見えないままだ。
◇約束事
「『トイレなきマンション』の時代が早く終わらないといけない」。日本原燃の増田尚宏社長は3月の記者会見で、処分場の問題を解決する必要性を強調した。
同社の一時貯蔵施設では、英国とフランスに委託した使用済み燃料の再処理で発生した高レベル放射性廃棄物をガラス固化体の形で冷却保管。30〜50年間貯蔵した後、処分場に搬出することを想定している。
処分場選定に向け、原子力発電環境整備機構(NUMO)は2002年に候補地の公募を開始。20年に北海道の寿都町と神恵内村、24年に佐賀県玄海町で第1段階の文献調査が始まった。
政府は処分場の調査に20年程度、建設に10年程度が必要と説明する。使用済み燃料を再利用する「核燃料サイクル」に反対する鹿内博・青森県議は「処分場を造るのにほぼ30年で、(貯蔵期間は)残り20年。どう逆立ちしても不可能だ」と語る。宮下宗一郎知事は4月の記者会見で「約束事なのでしっかり果たしてもらわなければいけない」とけん制した。
◇迫る時間切れ
「港から出て行くトラックに積まれたキャスク(金属製容器)を見送るしかなかった」。1995年4月26日、東京、関西、四国、九州の4電力会社のガラス固化体28本が初めて一時貯蔵施設に運ばれた。その日、荷揚げ港の前で反対運動に参加した六ケ所村の農業菊川慶子さん(76)は当時をこう振り返る。
現在は受け入れを中断しており、再開は26年度以降を見込む。一時貯蔵施設には10社の1830本が置かれ、最終的には約2230本が搬入される予定だ。政府は県に「知事の了承なくして青森県を最終処分地にできないし、しない」と文書で確約しているが、菊川さんは「この先、持って行く場所ができるのか」と不信感を隠さない。
初搬入分の28本は県外搬出までの期限が20年を切った。電気事業連合会の林欣吾会長(中部電力社長)は「搬出期限を順守するよう努めていきたい。どうやって搬出するのか具体策を今後詰めていく」と話すが、あと20年で本当に処分場ができるのか。
県議の1人は語る。「約束を果たすことは不可能だと原子力推進の誰かに言わせないと、このままズルズルいって時間切れになる。国もしっかり考えてほしい」。