
今年のドラフト戦線を語るうえで、首都大学リーグの存在は欠かせない。大塚瑠晏(東海大)、篠原颯斗、中嶋太一(ともに日本体育大)、宮田率生、彦坂藍斗(ともに帝京大)、国本航河(筑波大)といった、要チェックの好素材がひしめいている。
【大学代表合宿で輝いたふたりの快足ランナー】
なかでも注目なのは、松川玲央(城西大)と岡城快生(筑波大)というふたりのスピードスターだ。両選手は昨年12月に愛媛県で実施された大学日本代表候補強化合宿に招集され、強烈なインパクトを残した。50メートル走の測定(光電管)で岡城が5秒82、松川が5秒89を計測。並みいる有望選手を抑え、それぞれ1位・2位に輝いた。
松川は希少価値の高い遊撃手であり、ドラフト上位指名される可能性もあるだろう。岡城はプロ側の需要が高い右投右打のアスリート型外野手だ。
そして、松川と岡城はともに岡山県出身で、小学生時はチームメイトだった。坂本勇人と田中将大(ともに巨人)が小学生時にバッテリーを組んでいた逸話はあまりにも有名だが、同様のドラマ性を感じてしまう。
松川と岡城が小学6年時、所属した岡山庭瀬シャークスは全国大会に出場している。てっきり幼少期からエリート街道を歩んだのかと松川に聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
|
|
「チームは強かったんですけど、個人ではまったくダメでした。身長は下から数えたほうが早くて、足もずば抜けて速かったわけじゃないので。9番・サードで、6年生になってから打順は2番になりました。バントとか小技がメインで、とにかく元気だけが取り柄の脇役キャラでしたね」
当時、チーム内で注目されていたのは、12球団ジュニアトーナメントで阪神ジュニア入りした長谷川康生だった。のちに玉野商工でドラフト候補になり、現在は三菱自動車倉敷オーシャンズでプレーするサウスポーである。
一方の岡城は、小学生時にどんな選手だったのか。松川はこんな見方をしている。
「岡城はチームのキャプテンで、1番・ショートでした。小さい頃から足が速くて、身体能力が高かったです。今にして思えば野球センスがあって、うまかったですね」
ただし、岡城本人に聞いてみると、「それは言いすぎです」という反応が返ってきた。
|
|
「僕はずっと体が小さくて、非力だったんです。チーム内には早めに体ができ上がっている子がいたので、そっちがガチガチにランナーを還す役割で。僕や松川は塁に出て、かき回すのが役割でした」
【中学で分かれたふたりの道】
中学生になって、松川と岡城は同じ吉備中に進学する。松川が長谷川らと強豪硬式クラブ・オール岡山ヤングに入団したのに対し、岡城は吉備中の軟式野球部に入っている。当時の選択について、岡城はこう説明する。
「中学に入った段階で身長が150センチしかなくて。硬式の体験にも行ったんですけど、硬球が痛いし、重くて。今やったらケガしそうだなと思って、兄が中学野球部にいたのもあって、軟式にしました。野球に打ち込める環境でしたしね」
一方、オール岡山に入った松川だが、中学でも「脇役キャラ」は続いた。与えられるポジションは右翼か一塁。「プロになりたい」というほのかな憧れはあっても、本気でイメージすることはできなかった。
「最後はサードを守るようにはなりましたけど、プレーというより元気で引っ張るムードメーカータイプでしたね」
|
|
それでも、松川はスカウトを受けて、幼少期から憧れだった強豪・関西高に進学する。一方、岡城は公立進学校の岡山一宮に進学。対照的な道を歩んだかに見えた。
だが、ここで松川も岡城も転機が訪れる。遅れていた成長期が到来し、身長がぐんぐん伸びていったのだ。
松川は関西に入学後、1年秋から遊撃のレギュラーに抜擢される。「ショートなんて、初めて守りました」と松川は苦笑する。県大会の1回戦の対戦相手は岡山一宮。二塁手として出場した岡城は、久しぶりに松川のプレーを見て驚いたという。
「中学は別々にプレーしていたので、松川の目立った活躍は聞いていませんでした。でも、1年生なのに関西の1番・ショートで出てきて、バッティングがすごくよくなっていると感じました」
試合は関西が5対1で勝利する。その後、松川は2年秋から主将に就任。3年生になると身長は181センチに達した。
ただし、当時は今のような飛び抜けた快足というわけではなかった。松川は「50メートル走を走ったら、6秒7くらいだったと思います」と明かす。関西OBがコーチをやっていた縁で、城西大への進学を決めた。
岡城もまた、中学3年時に160センチに満たなかった身長が、高校3年になると180センチを超えた。3年夏はエースを務めたが、岡山大会2回戦で敗退。県内の野球関係者の間でも、ほとんど話題にならない無名の存在だった。
そして、岡城は「強い大学で野球がしてみたい」と国立の筑波大への進学を志望する。当初は模試でD判定が続いたが、猛勉強の末に難関への現役合格を果たした。
【大学日本代表候補合宿で再会】
小学生にして全国舞台を経験した松川と岡城だが、個人として全国区に躍り出たのは大学からだった。先に台頭したのは松川である。
城西大に進学して間もなく、松川はAチームに抜擢される。初めて出場したオープン戦で、松川は投手ゴロに倒れた。一塁に向かって走る松川に、味方ベンチから「速っ!」と感嘆の声が漏れた。松川はそこで、自分の足が速くなっていることに気づいたという。
心当たりはあった。高校3年夏が終わったあと、コロナ禍のため練習の自粛を余儀なくされる時期があった。松川はこの期間に「体重を増やそう」と決める。それまでの体重は60キロと、極めて細かった。大学入学前に70キロ近くまで体重を増やすと、動きが見違えてよくなっていた。
「たぶん筋力がいい感じについて、蹴る力がついたのかなと思います」
小さい頃から「当てカンには自信があった」というように、もともとバットの芯でとらえる能力は高かった。体が成熟していくと、打球もどんどん力強くなっていく。松川は1年春から高打率を残し続け、1年秋から5季連続ベストナイン(1年秋のみ二塁手/2年春まで2部リーグ)を受賞する。2年からは大学日本代表候補の常連になった。
岡城は筑波大に進学後、「技術がまったく及ばない感じでした」と壁に当たった。だが、内野から外野にコンバートされると、持ち前の運動能力を武器に台頭。打撃は万波中正(日本ハム)のように右肩にバットをかついでボールを呼び込むスタイルがフィットし、3年秋には打率.405、1本塁打、9打点、4盗塁とブレイクした。
3年秋のシーズン後、ともに大学日本代表候補に選ばれた松川と岡城は、松山市で再会する。松川は「特別に驚くこともないし、『おう』という感じでした」とドライに振り返るが、岡城は違う感慨を抱いていた。
「松川は2年生の頃から日本代表候補合宿に呼ばれていましたからね。自分は大学でこんなことになるなんて想像できませんでしたし、筑波のような強い大学で野球ができるとすら思っていませんでしたから。まったくの想定外でしたし、なんだか面白いですね」
【切磋琢磨のラストイヤー】
大学最終学年を迎え、松川も岡城も今秋ドラフト会議での指名を目指している。
4月19日、越谷市民球場での東海大2回戦に出場した松川は、出塁するたびに執拗な牽制球を受けた。1回戦ではウエストされ、二盗を阻止されてもいた。
だが、松川がひるむことはなかった。
「気持ちが引いてしまったらダメだと思っていました。厳しくマークされるのはわかっていましたし、そのなかで盗塁を決めたら自信になります。チームにも流れを持っていけますから、走れる限りは全部走るつもりです」
この試合、松川は東海大バッテリーのマークをかいくぐり、2盗塁を決めている。打撃面も「手首を使って、ヘッドを利かせる意識」が体に馴染み、飛距離が伸びている。松川には珍しくリーグ戦で低打率が続いているものの、打撃の感触は悪くないという。
松川に岡城に対する思いを聞くと、こんな答えが返ってきた。
「小学生の仲間がこうやって一緒に同じリーグでできているのは、本当に珍しいですよね。ラスト1年、切磋琢磨して、一緒に楽しくやりたいです」
岡城も同日、武蔵大戦でダメ押し2点適時二塁打を放つなど、4打数3安打2打点2盗塁と暴れ回った。この時点で、打率は.533をマーク。チームの開幕4連勝に大きく貢献し、その後も5月4日の帝京大戦で本塁打を放つなど存在感を見せている。
岡城は50メートル走のタイムで上回っていても、松川の盗塁技術には及ばないと自己分析しているという。
「松川は本当に『何回走るんだ?』と思って見ています(笑)。スピードには大差がなくても、数には差がまだまだあるので。思い切ってスタートを切れるのが、一番いいところだと感じます。いいお手本が身近にいるのは、幸せですよね」
しのぎを削ったその先に、待っている世界がある。大学日本代表、そしてプロ。旬を迎えつつある松川玲央と岡城快生はスピードを落とすことなく、全速力で駆け抜ける。