限定公開( 2 )
B3新潟のPG五十嵐圭(45)にスポットを当てたドキュメンタリー番組「再起のコート〜どん底から復権へ 45歳の挑戦〜」が31日午後2時からNST新潟総合テレビで放送される。今季B1群馬から4季ぶりに新潟に復帰し、B3まで降格したチームの再建に尽力。B2昇格は果たせなかったが、コート内外で奮闘し続けた。五十嵐、同局の若井俊吾プロデューサー(37)棚橋祐太ディレクター(25)が番組に込めた思いを明かした。【取材・構成=斎藤慎一郎】
◇ ◇ ◇
−昨年9月の開幕前から1シーズンの密着取材でした
五十嵐 1シーズンという長いスパンの密着は初めてでした。練習、試合、生活の場と足を運んでいただきました。
若井プロデューサー(P) 五十嵐さんとお会いした時に、新潟を何とかしたいという決意が伝わってきました。いろいろなことがあってどん底に落ちた新潟を、五十嵐さんなら何とかするのでは。そう考えてシーズンを通して密着させていただこうと思いました。
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棚橋ディレクター(D) B3に降格したシーズンに五十嵐さんが帰ってきて、(中地区優勝時の主将の)鵜沢(潤)さんが監督になって。今しかないと思いました。密着するうちに、覚悟ってこういうことなんだなと感じました。
−周囲に伝わる「覚悟」とは
五十嵐 新潟に復帰した時の会見の映像を見ると、怖い顔をしているな、と(笑い)。それだけクラブを変えなきゃいけない、という覚悟をしていたのだと。「落ちるところまで落ちた」というコメントもしましたけど、落ちてはいけないのに落ちたんだ、ということを伝えたかった。感じていたことがそのまま出たと思います。
棚橋D 開幕の埼玉戦でいきなり右手の中指を脱臼した時、誰にも分からないように治療して、コートに戻って普通にプレーしていました。そういうことを自分では語らないんです。背中で見せるすごさや覚悟を見た場面でした。
−番組名にある「再起」について
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五十嵐 群馬の最後の2季はあまり試合に出られていませんでした。コートに立ってプレーできる喜びを感じられたのは再起の一面です。久しぶりに試合に出続けて、思っていたより体にガタが来ているな、と。いいコンディションのままシーズンを戦うのは難しかったです。そこは新しい発見でもあった。
棚橋D 五十嵐さんの影響は大きかったです。ファンの方に今年の新潟について話を聞くと、「昨季より楽しい」「選手に熱量を感じる」という声が多かったです。B2復帰はできませんでしたけど、このチームは再起に向けたスタートを切ったのだと思いました。
若井P 最後の3位決定戦で岩手に敗れるまで、B2昇格が分からなかった。その中での編集作業は大変でした。ただ、伝えたい思いは最後までぶらさずに。再起にかける五十嵐さんの気持ちはずっと軸に据え続けられました。
−「五十嵐圭」とはどういう人物だと
若井P 勝った時はファンの声援やチームメートの奮闘をたたえる。結果が出なかった時は「自分の責任」と言い切る。簡単にはできないことです。「自分がクラブを立て直す」と言い続けていましたし。五十嵐さんのような上司になりたいです(笑い)。
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棚橋D 飾らないし、恐れない人だと。誰に対しても本音で丁寧に話してくださる。一方でチームについて思い切ったことを話していました。「意識のベースが低い」「危機感が薄い」と。チームメートとのハレーションが起きるんじゃないかと思うくらい。それでも変えなきゃならないという気持ちで、恐れずに言葉にする。
−番組のポイントは
若井P 1度落ちてしまったところからはい上がるろうと頑張っている人がいる、というところを見ていただければ。その姿勢を五十嵐さんから感じ取ってもらえるのではないかと思っています。
五十嵐 僕が目指しているのは、まず、元いた場所に戻ること。Bリーグのトップカテゴリーにこのチームを引き戻すことです。チームの強化、クラブの運営、行政との協力と、やらなければならないことはまだまだあります。先を見据えながら少しずつ進んでいきたい。そこが伝わるといいですね。
◆「再起のコート〜どん底から復権へ 45歳の挑戦〜」(31日午後2時) 新潟アルビレックスBBは18−19年にB1中地区で優勝後、成績が低迷。経営面の債務超過、不祥事などが重なり、22−23年にB2降格、23−24年はB2最下位でB3に降格した。24年7月、中地区優勝時の大黒柱だった五十嵐がB1群馬から4季ぶりに復帰。クラブの立て直しと、群馬で出場機会を失っていた自身の復活を重ね合わせて、コート内外で奮闘。五十嵐を通して、再生に踏み出したチームの姿を追った。
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