
ケンドーコバヤシ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(15) 後編
(中編:第1回G1での勘違い 蝶野正洋と武藤敬司の決勝のせいで「忘れられている場面がある」>>)
ケンドーコバヤシさんが語る第1回G1クライマックスの後編は、その大会で大きな注目を浴びた闘魂三銃士の武藤敬司さんに関する秘話、"夏男"になった蝶野正洋のブレイク、G1の今後などについて語った。
【闘魂三銃士に受けたカルチャーショック】
――第1回G1は蝶野正洋さんの劇的な初優勝で、両国国技館に数えきれないほどの座布団が舞いましたが、ケンコバさんは闘魂三銃士のなかでは武藤敬司さんに注目していたそうですね。
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「スペースローンウルフ時代から、その才能に惹かれてました。研ぎ澄まされたプロレスセンス、群を抜く運動神経はもちろんなんですけど、俺が心をわしづかみにされたのは、あるインタビュー記事での奔放さだったんです」
――どんな記事だったんですか?
「どの雑誌だったかは覚えてないんですけど、武藤さんが、山梨県富士吉田市で育った少年時代を語っていて、『俺は毎日、屋根の上で寝るのが好きだった。富士山をずっと見ながら眠りについていた。だから俺にとって富士山は女だった』って(笑)。解読が難しい記事だったんですけど、『富士山は女だった』っていうワードに一気に引き込まれました」
――かなり印象に残る言葉ですね(笑)。
「そもそも、闘魂三銃士自体がカルチャーショックでした。『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)で新日本の合宿の映像が流れた時も、佐々木健介さんが先頭に立って『オッシャー!』と雄叫びをあげながら走っているのに、三銃士の3人は集団の最後尾でダラダラ歩いていた。その不良っぽい感じに憧れたんです。
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そういえば、当時の『ワールドプロレスリング』はゴールデンタイムではなかったんですが、土曜日の夕方といういい時間帯で放送してました。オープニングでチャゲ&飛鳥の『ラプソディ』がかかって、その曲をバックに長州力さんが縄跳びしてる映像が流れたり......いい時代でしたねぇ」
【トイレで目撃した武藤のまさかの姿】
――懐かしいですね。
「それで......これは第1回G1からちょっと逸れますし、言ってもいいかわからない話なんですが、僕が広島で蝶野さんと武藤さんのトーク―ショーで司会を務めた時にある事件があって......」
――ぜひ、読者のために聞かせてください!
「わかりました。とっておきの話なんで、どこかで披露しようとは思ってましたが、この連載で公開しましょう!」
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――ありがとうございます!
「あれはトークショーが始まる前のこと。控室で武藤さん、蝶野さんと一緒に打ち合わせや雑談をしていたんですが、そこで面白いシーンに立ち会ったんです。
武藤さんがトイレに行ったんですが、5分くらい経ったので『もう武藤さんは出ただろうから、俺もトイレに行こう』と思って入ったら、武藤さんがまだ便器の前に立っていたんです」
――それは長すぎますね。
「ですよね。そうしたら武藤さんが、『膝を人工関節にしたら小便する時の力の入れ方がわからなくなってよ。出ねぇんだよ』っておっしゃったんです。俺が『大変ですね』と言うと、『今度、股関節も人工関節にするから、一生、小便できねぇよ』ってボヤいて。そんな会話をしながら俺は横で用を足して、武藤さんはその間もずっと立っていたんですけど......そこで衝撃の事件が起きました。
武藤さんが『仕方ねぇ......』とつぶやいたあとに、『イ〜ヤァオ!』と絶叫しておしっこを放出したんです。リング上で発する『イ〜ヤァオ!』と同じ響きでした。さすがにプロレスLOVEポーズはしなかったんですが、いいものを見させていただきました。いかなる時でも、武藤さんはプロレスラーなんやなって感動しましたよ」
――面白いですが、にわかには信じがたい話ですね(笑)。
「ホンマなんです! 俺だけが目撃したスクープですよ!」
【"黒・蝶野"になってブレイク】
――すごい現場に立ち会いましたね。
「プロレスファンとして、本当に貴重な経験でした。だいぶ話が逸れましたね(笑)。
G1に話題を戻しましょう。劇的な優勝を飾った蝶野さんは、トーナメント制となった第2回も、決勝戦でリック・ルードを倒して"夏男"と呼ばれました。でも、なかなかブレイクには至らなかったんですよね」
――白のロングタイツをはいていた"白・蝶野"時代は、確かに人気が爆発した感じはなかったですね。
「蝶野さんが本当の意味でトップに立ったのは、第4回で3度目の優勝を飾り、直後にコスチュームを黒に変え、入場曲が『CRASH』になってから。ヒールユニットの『狼群団』を率いて、俺が好きな越中詩郎さんがいた反選手会同盟・平成維震軍との抗争で一気に飛躍した印象です。だから蝶野さんは平成維震軍に感謝しているはずだと思って広島でのトークショーで軍団の印象を聞いてみたんですよ。
蝶野さん曰く、当時の新日本は2リーグ制を模索していて、本隊と別動隊という形で興行を打って盛り上げていこうと思っていたのに、その試金石だった平成維震軍をやったのに客が入らなかった。それで会社から、『蝶野、悪いけどお前が行って火をつけてくれ』と言われて出張したらしいんです。
新日本の興行にも出ていたから、気づいたらまったく休んでいなかったみたいで。『だから大嫌いだよ』って言ってました(笑)。トークショーの会場もシーンとなっていましたね」
――不満を抱いていたのもわかりますね。
「蝶野さんの不満を聞いた武藤さんは、『俺は絡んでねぇからな。だって、言っちゃ悪いけどAとBだったらあいつらはBでしょ。俺はデビューしてからAでしか絡まない男だから』と、いかにも武藤さんらしいコメントをしていましたね。しかも、メンバーの名前も同期のAKIRAさんしか覚えてなくて......俺が愛した平成維震軍が、さんざんな言われようでした(笑)」
――G1を発端にさまざまなお話をうかがいましたが、今も真夏の最強決定戦として大会が続いていることを思うとすごいですね。
「一大ブランドを作り上げましたよね。今もG1っていうだけで、メンバー、カードが発表される前からチケットも売れますし。最近は出場メンバーも多くなって、日程も1カ月近く開催する巨大な大会になった。ただ......思うこともあります。
これは常々、内藤哲也選手が言っていることでもあるんですけど、一度、巨大化にストップをかけて原点に戻ってもいいんじゃないかと。参加メンバーを第1回と同じ8人ぐらいでやったらどうかと思うんですよ。日程も短期間で、一気に予選から優勝決定戦まで持っていく。
『じゃあ、その8人はどう選ぶの?』と問われたら難しいんですけど、G1の発案者である坂口征二さんが当初、思い描いていた"プロレス版重賞レース"はそういうことだったのかなとも思うんですよね」
【プロフィール】
ケンドーコバヤシ
お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。