「私はただのジョニー」と語るジョナサン・アイブ氏が「シリコンバレーは奉仕の心を失った」とIT業界に警鐘を鳴らす理由

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2025年06月03日 06:11  ITmedia PC USER

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「Stripe Sessions 2025」に登壇したジョナサン・アイブ氏

 OpenAIが5月21日、Appleの元チーフ・デザイン・オフィサー(最高デザイン責任者)だったジョナサン・アイブ卿(以降、アイブ氏)のスタートアップ企業「io」を65億ドルで買収すると発表し、テクノロジー業界に大きな衝撃を与えた。


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 アイブ氏とその55人のチームがOpenAIに合流し、次世代AI搭載デバイスの設計を担当することになる。OpenAIのサム・アルトマンCEOは「世界最高のデザイナー」とアイブ氏を絶賛し、2026年に最初の製品を発表予定だと明かしている。


 くしくも、その少し前にサンフランシスコのMoscone Centerに同じアイブ氏がインタビューという形で登壇した。金融インフラ企業Stripeが主催する「Stripe Sessions 2025」での出来事で、アイブ氏は2日目のセッション「A conversation with Sir Jony Ive KBE」に登壇した。


 2025年のStripe Sessionsは初日にMeta創業者のマーク・ザッカーバーグ氏も登場する豪華さだった。YouTubeで公開されたアイブ氏のセッションは、テクノロジー業界における「デザイン」の重要性について示唆に富む内容だったので、記事としてまとめてみたい。


●製品は作り手の価値を映す鏡


 Stripe Sessions 2025の2日目の目玉セッションは、Stripeの共同創業者兼CEOのパトリック・コリソン氏によるアイブ氏の公開インタビューという体裁で行われた。


 コリソン氏は冒頭、「パーソナルコンピュータの父」と呼ばれるアラン・ケイ氏の「テクノロジー業界はポップカルチャー」という言葉を引用し、IT産業は歴史から学ばず先人たちのアイデアを理解していないという批判を取り上げた。だからこそ、現在のIT業界の基礎を築いたアイブ氏から、その背後にあった考えを聞こうというのがセッションの狙いだった。


 今のテクノロジー業界に問題意識を抱えているアイブ氏は、まず彼がどのようにしてこの業界に関わったかを振り返った。


 ロンドンに生まれ、英国の美術大学で工業デザインを学んだアイブ氏。テクノロジーについては知識がなかった。そんなアイブ氏とIT業界の最初の接点はMacとの出会いだった。


 「美術学校に居たとき、Macを発見しました。最終学年でした。もっと早く出会えていたらと思います」と、アイブ氏はこの製品を見て、もっと早く気が付くべきだったあることに気が付いたという。


 「それは私たちが作るものは、私たちが何者であるかの証だということです。私たちが作るものは、私たちの価値観を表したものであり、美しく、簡潔に、私たちの関心事を描写しているのです。Macを見たときに、これを強く感じ、衝撃を受けました」(アイブ氏)


 アイブ氏は、Macのあらゆるディテールにそれを強く感じて心を打たれたという。「これを作ったのは独創的な考え方、明確な価値観を持った人々、人や文化に対して一家言ある人々だということが製品を通してはっきりと分かりました」と語る。


 「世の中の製品の多くはコスト効率が良いという理由で作られています。価格と締め切りを重視して安く作り、あまり売れなかったと帳簿を見ながら後悔する製品です。一方で、それとは異なる製品もあります。我々の種(人類)を前進させるべくデザインされたと感じる製品です。


 Macは明らかに後者で、作った人たちの『明確な価値観、決意、そしてそれらの価値観を形にしようという勇気』に深く感動したのです」とアイブ氏。


 それを作った人々に会いたくなり、カリフォルニアを訪れたという。この訪問がきっかけで、アイブ氏は1992年から2019年まで27年間、同社のデザイン部門で中心的な役割を果たすことになった。


 当時はAppleだけでなくシリコンバレー全体に「人類に奉仕するためにここにいる」という強い目的意識や価値観を感じたという。これに対して、現在のシリコンバレー企業の多くは「お金と権力」が目的になっているように見えるとアイブ氏は懸念を示す。


 コリソン氏も、かつてテクノロジー業界にあった奉仕の感覚が失われ、業界の「北極星」となるべき創造の中心が歪んでしまったと懸念を示した。


●シリコンバレーは奉仕の心を失った


 アイブ氏にとって、製品を創る行為の根源にあるのは「奉仕」の精神だ。自身は「ツールメーカー(道具を作る人間)」というアイブ氏。人々に「能力を与え、鼓舞する」ことに喜びを感じてきた。


 「そうやって、より良いものを創造した結果として、それまでに使われていた道具が破壊される(使われなくなる)ことはあります」と言う。これに対して、今では「単に過去と違うこと」や「過去を破壊すること」そのものが革新だと勘違いしている人が多いと注意を促す。


 私たちの多くは「進歩や革新は起こるべくして自然に起こる」と思い込んでいる。でも、革新は決して受動的に待っていれば現れるものではないとアイブ氏は語る。


 真に物事を前進させるためには「根底にある揺るぎない確信」が必要で、そこから新しいアイデアとビジョンを生み出し「広く共有できる現実にするための断固たる決意」が必要だと言う。


 コリソン氏は、アイブ氏が「心の底から人類の前進を願う」ことが大切だと言う言葉に感銘を受けたと語る。アイブ氏はその考えは今も変わらないと言い、ある日曜日の出来事を振り返った。


 「ある日曜日の午後、私は製品パッケージのすごくささいな問題に取り組んでいました。皆さんからはどうでもいいことに思えるでしょうが、製品パッケージのケーブルをどう収めるか試行錯誤していたのです。世界中の何百万人もの人がこのケーブルの留め具に触れることになるので、簡単に解きほぐせるようにしたかったのです」(アイブ氏)


 コリソン氏は「そのケーブルを取り出す時間を削減することで人類の時間を節約できますが、そういった功利的な理由ではなく、精神的なつながりを考えてのことですよね?」と質問した。


 アイブ氏は「そうです」とうなずき、「精神的つながりというのは、誰かがその箱を開けて、ケーブルを取り出すときに『こんなところでまで、私のことを気にかけてくれていた』と感じたときに生じるもの」だと述べた。


 アイブ氏は「単に機能を満たせばそれで良いという考え方には気が滅入る」と言う。「それだけでは人類を前進させたことになりません」とし、彼にとって本来は息子たちと過ごすべき日曜日に、見知らぬ誰かが経験するであろうことに思いをはせながら、ケーブルの留め具を工夫する――その行為を通して、その人と繋がりを持てることに心を躍らせていたという。


 かつて、スティーブ・ジョブズ氏はこれを「作り手も買い手も互いを知らず、握手すらしないかもしれない。でも、そんな相手に対して愛と配慮をもってものを作る行為は、人類に対して感謝を表す行為だ」と美しく表現したとアイブ氏は振り返る。


●KPI(数値)は真実の一面しか伝えない


 コリソン氏はデザインの方向性についても議論を広げた。Appleの製品はしばしばミニマル、シンプルと表現されるが、ピクサーのランプのような首を振るiMacやiPodソックスなどユーモアにあふれる製品もあったと振り返り、「デザインにおける喜びの役割とは?」と質問を投げかけた。


 アイブ氏は「人々が犯す間違いの1つは、シンプルさを単に雑味を取り除く行為だと考えていることです。それは単に製品を整えているだけで、生気を失った魂のない製品に仕上がってしまいます」と説明した。


 シリコンバレーやテクノロジー業界では喜びとユーモアが欠けており「喜び」が取るに足りないものとみなされる傾向があるとアイブ氏は言う。


 「作り手の心の状態、デザイナーの仕事への取り組み方は、最後には製品に表れてしまいます。私が不安であれば、製品にもそれが出てしまいます。だから、製品の作り手が希望と楽観に満ちている状態で、人間関係もそうなっていることが大事です」とした。


 一方、アイブ氏をいらだたせていたのが製品価値を数値で計測するやり方だ。「製品の議論ではスケジュール、コスト、速度などの話が支配的になります。数字での比較は誰にでも理解できるため議論が客観的な数値に偏りがちです。しかし、デザイナーやクリエイターの貢献は数字では測定できません。それゆえに軽視されてしまうのです」として、会議で意見を述べても「それはあなたの意見でしょう」と言われてしまうとアイブ氏は指摘する。


 「デザイナーやクリエイターの貢献は製品に楽しさを加え、使う時間を喜びに満ちたものにします。道具は楽しく喜びに満ちていれば、より多く使われる傾向にあります。こうしたことは計測できる価値と等しく重要です」と付け加えた。


●私たちが使う言葉は考え方に影響を与える


 1時間のセッションは金言に満ちていた。その一部を紹介しよう。


・製品開発における「スピード」と「品質」のトレードオフについて


 できれば両方実現したいところですが効率的に働くことに美しさがあるし、息をのむような品質のものを短時間で創ることも可能です。私たちが使う言葉は考え方に影響を与える、速度と品質を対立概念としてではなく、いかに効率的に働きつつも最高の品質を生み出すかと考えることが大事です


・組織の巨大化と意識共有の難しさについて


 組織も本の章立てや季節のように移ろうものですが、変化の中で「何を妥協しないか」を明確にすることが重要です。「原則、価値観、動機に明確に焦点を当てる」のが大事なのです


・美の主観性と客観性について


 両方の側面がありますが、そもそも何かが機能しなければ、それは醜い。オブジェクトに宿る「人間性」の感覚こそが、美しさより信頼できる道標になります。私は人に製品から「配慮」を感じ取る能力があると信じています。「この製品は配慮が欠けている」という感覚なら分かりやすいでしょう。配慮を感じ取る能力も、その延長線上に確かにあり、だからこそ、見られにくい製品内部まで丁寧に仕上げることにこだわるのです。私たちがいかに人間として進化したかの証は、誰も見ていないときに何をするかなのです


・テクノロジーの「意図せざる結果」について


 これが最も気にかけていることで、意図せざる結果にも責任が必要です。産業革命時代も技術革新は社会に影響を与えましたが、当時は変化に適応する時間がありました。現代は変化の速度が危険なほど速いです。AIについては安全の議論が最初から活発なことに希望を感じる一方で、ソーシャルメディアは長年懸念が議論されなかったことに「いらだたされて」います


●Appleデザイン部門で行っていた「儀式」


 ところで、「配慮のある製品」「奉仕の心のあるもの作り」をするためにはどうすればよいのだろう。アイブ氏はApple在籍時代から語っていた方法を紹介した。


 通常の会議では多くの人が「話すこと」と「聞かれること」に必死になっているが、そうした自分の意見表明に必死な人々が「良いアイデアを殺す」とアイブ氏は考えている。


 「意見はアイデアではない」と明確に区別し、それによって「静かな場所、静かな人から生まれる素晴らしいアイデアを見逃してしまう」ことを懸念する。


 そうならないよう、Apple時代にはデザインチームが創造性を維持するための「儀式」を実践していた。


 「毎週金曜日の朝、チームの誰かが全員の朝食を作る」というもので、「素晴らしい料理が出されることもあれば、逆に衝撃的なものもあった」とアイブ氏。この儀式には「お互いのために何かを作る」姿勢を思い出すという狙いがあった。


 また「順番でデザインチームを自宅に招き、そこで仕事をする」ことも行った。ホストは「自分の家具について判断されるかも」と不安になり、ゲストは「より良い振る舞い」をしようとする。


 「この微妙な緊張感が創造性を高める触媒となる」とアイブ氏は言う。「人々のためにデザインするなら、会議室ではなく誰かのリビングでソファに座り、コーヒーテーブルにスケッチブックを置いて作業すると発想が変わる」。アイブ氏は会議室を「魂のない、うんざりする場所」と形容している。


●人生は仕事と愛が全て


 セッションの最後、コリソン氏は「Stripeのような金融インフラ企業が、なぜデザインを気にかけるべきか」と質問した。


 「Stripeがそうしていなければ、StripeはStripeたり得なかったし、我々もここに座っていないでしょう」とアイブ氏は答え、「お互いを気にかけることは、選択肢ではなく、義務であり、責任」と語った。


 精神分析医フロイトの「人生は仕事と愛が全て」という言葉を引用し「私たちは人生の多くを仕事に費やします。その仕事で他者を気にかけなければ、他の人々も私たち自身も苦しむ」と説いた。


 「他の人々への気遣いを形にできることは、責任だけでなく特権でもあります」とアイブ氏。「私は仕事モードの(商業的な)ジョニーとそれ以外の自分とで分けていません。私はただのジョニーです」と答えて締めくくるとセッションは喝采の渦に包まれた。



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