西武・仁志コーチ、長嶋茂雄終身名誉監督訃報に「こんな突然に来るとは思っていなかった」

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2025年06月03日 17:16  ベースボールキング

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西武・仁志敏久 野手チーフ兼打撃コーチ(撮影=ニッポン放送アナウンサー・洗川雄司)
 西武の仁志敏久野手チーフ兼打撃コーチが3日、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督の訃報に接し、報道陣の取材に応じた。



 仁志コーチは「こんな突然に来るとは思っていなかったので朝からショックで。僕は長嶋さんが監督じゃなかったら使われていなかったかもしれないですし、特に1番という打順を打って来られたのも、長嶋さんだから、その打順に入れようと思ってくれていたかと思うんですね。僕はバッターとしては荒っぽいバッティングも多かったので。ただ、こういう選手を楽しんで見てくれていたというのも聞いたことがあります。本当に今があるのも、長嶋さんがプロに入ってすぐに使ってくれたというのはあると思うんです。沢山、僕に対して我慢もしてくれたでしょうし、もちろん期待も沢山してくれたと思います。自分にとっては親のような存在ですね」と感謝の言葉を述べた。



 「ルーキーの時、サヨナラエラーをしたことがあって。そのゲーム後に監督の部屋に呼ばれて、励まされて、次の日また、ゲームへ出て行ったんですけども。そういう要所要所で、温かい言葉をかけてくれたり、温かい目で見て見守ってくれたりと。僕はそういう寛大な長嶋さんの気持ちがあったから使われていたんだな、というのは今も思います。いつも選手に希望を持たせるような言葉を常にかけてくださっていて、優勝できないことも何年もありましたけど、それでも最後の最後まで『まだまだいけますよ、もうひと波乱ありますから』っていつも言っていたんですね。その言葉に選手も乗せられて、まだいける、優勝を諦めない、というチームの姿があったと思います」と明かした。



 長嶋監督から学んだことについては「人に見られているという自覚です。いつも仰っていたのは、『俺は現役の時と体型は一緒なんだ』と。『体重はずっと一緒なんだよ』ということを仰っていたんですけど、見た目がいつまでも長嶋茂雄である、ということにこだわっていたと思います。それは僕自身、ひじょうに今も参考にさせてもらっています」と話した。



 仁志コーチは95年ドラフト2位指名(逆指名)で巨人に入団、ルーキーイヤーの96〜01年まで長嶋監督の下でプレーした。



(取材=ニッポン放送アナウンサー・洗川雄司)

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  • 1番仁志・2番清水、というのも長嶋監督の「個性」というか1つの考えだったのかなぁ、とも感じます。長嶋さんのご冥福をお祈り致します。
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