ブラジル公式訪問予定の佳子さま、昭和天皇から代々伝えられる「国際親善の尊さ」

0

2025年06月08日 21:00  週刊女性PRIME

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

週刊女性PRIME

武蔵野陵墓地を参拝し、ブラジル公式訪問を昭和天皇、香淳皇后に報告する佳子さま(2025年5月16日)

「楽しく続けてくださいね」「一日も早く穏やかな日常が戻りますことをお祈りしております」

復興状況を視察した愛子さま

 天皇、皇后両陛下の長女、愛子さまは5月18、19日の両日、能登半島地震からの復興状況を視察するため石川県を訪問した。愛子さまが、公的な活動で被災地を訪れたのは初めてという。

 18日は七尾市の仮設住宅の集会所で、高齢者らが取り組む健康体操の様子を見学し、終了後の懇談で、前述したように声をかけた。続いて、和倉温泉の観光施設「和倉温泉お祭り会館」に足を運び、地震で被災した現地の復興状況や祭りの再興などについての話を聞いた。

 翌19日、愛子さまは、志賀町を視察した。道の駅「とぎ海街道」の仮設店舗を訪れ、営業する仮設スーパーの店内を見学し、刺身や弁当などの商品を前にして、「食材の調達などはどのようになさっているのですか」などと、店主に質問していた。

 以前、この連載で、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまが4月17日、石川県輪島市の県立輪島漆芸技術研修所を訪れ、能登半島地震で被災した地元の漆芸作家らと交流したと紹介した。愛子さまや佳子さまという若い皇族が、このように被災地を訪れ、被災後の復興状況などについて熱心に質問し、心を寄せていることに被災した人たちはもちろんのこと、多くの国民が、どれほど励まされ、心強く思っていることだろう。

《この度、ブラジル政府から、外交関係樹立130周年及び「日本ブラジル友好交流年」の機会に、佳子内親王殿下を同国に招待したい旨の申出があった。ついては、我が国と同国との友好関係に鑑み、内親王殿下に同国を御訪問願うことといたしたい》

 佳子さまが、6月4日から17日までの2週間の日程で、ブラジルを公式訪問することが、5月9日の閣議で了解された。そして、宮内庁は前述のように発表した。同庁によれば、佳子さまは、6月4日、東京を出発し、アメリカ経由で5日、ブラジル・サンパウロに到着する。その後、8日、マリンガに到着し、ロランジア、ロンドリーナなどを訪れた後、6月10日、首都ブラジリアを訪問する計画という。12日は、リオデジャネイロ、14日は、フォス・ド・イグアスを訪れ、15日にサンパウロから、アメリカ経由で17日、帰国する予定だ。

ブラジル公式訪問予定の佳子さま

 ブラジリアで日本とブラジルの外交関係樹立130周年の記念式典に出席し、ルラ大統領を表敬訪問する。サンパウロやリオデジャネイロなど計8都市を巡って日系人と交流するほか、開拓移住者の慰霊碑を訪ねて献花する計画らしい。

 6月のブラジル公式訪問に先立ち佳子さまは、5月16日、東京都八王子市にある、曽祖父の昭和天皇が埋葬されている武蔵野陵と、曽祖母の香淳皇后が眠る武蔵野東陵を参拝した。グレーのロングドレス姿の佳子さまは陵に進み、玉串をささげて拝礼した。佳子さまは、公式訪問に向け、ブラジルの歴史や文化などについて詳しい専門家から話を聞くなど、着々と準備を進めてきた。

《(略)しかし、ご訪米の実現までには、長い道のりが必要だった。日中戦争に続く太平洋戦争で日本はアメリカを敵として戦った。その間、天皇は日本の軍国主義と超国家主義の象徴でもあった。そして、また、敗戦と占領という日米間にとって不幸な事態が続いた。

(略)戦後三十年の歳月は、かつて戦火を交えた日米両国を政治的、経済的に固く結びつけ、科学技術や生活文化の面でも深い相互関係を形成するようになった。両陛下のご訪米は両国間の友情と信頼と協力関係をさらに高め、戦後三十年を一つの区切りとした新たな日米関係の門出になることを心から期待したい》

 昭和天皇と香淳皇后は、1975年9月30日から10月14日まで、国際親善のためアメリカを初めて訪問した。当時の天皇、皇后両陛下が出発した日の読売新聞社説は《天皇ご訪米と日米の友好親善》との見出しで、このように綴っている。二人の訪米から、今年でちょうど半世紀を迎える。

 首都ワシントンを訪れた二人は、歓迎式典の後、同じくホワイトハウスで開かれたフォード大統領夫妻主催の晩さん会に出席した。晩さん会場のステート・ダイニング・ルームはシャンデリアが輝き、華やかな雰囲気に包まれていた。まず、フォード大統領が、「(略)日本の天皇の最初の米国公式訪問が、このように私の在職中に行われましたことは、これまた私個人にとって大きな喜びであります。(略)米国民は日本との友好および協力関係を保持し、強化する決意であります(略)」と、歓迎の言葉を述べた。これに対し、昭和天皇は次のように挨拶した。実に味わい深い内容であり、アメリカ訪問の最も印象に残る場面である。

「私は多年、貴国訪問を念願しておりましたが、もし、そのことが叶えられたときには、次のことを是非、貴国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争の直後、貴国が、わが国の再建のために、温かい厚意と援助の手を差し伸べられたことに対し、貴国民に直接、感謝の言葉を申し述べることでありました。当時を知らない新しい世代が、今日、日米それぞれの社会において過半数を占めようとしております。

 しかし、たとえ今後、時代は移り変わろうとも、この貴国民の寛容と善意とは、日本国民の間に、永く語り継がれていくものと信じます。(略)今日、人類は、公正にして平和な国際社会の創造という、共同の事業に携わっています。私は、日米両国が、さらに知り合い、話し合って、共に力強く安定した国として、おのおのの豊かな歴史と伝統を生かしつつ、この崇高な目的に邁進することを期待します」

 訪米は大成功のうちに終わり、二人は予定どおり帰国。当時の皇太子ご夫妻や首相夫妻らの出迎えを受けた昭和天皇は、「今回の旅行を顧みて、相互理解を通じて国際親善の実をあげることが、いかに大切であるかを痛感しました」などと述べた。「あの不幸な戦争」の時代を生き、平和のありがたさを骨身に染みて感じた昭和天皇だからこそ言える重い言葉ではなかろうか。

 世界中の人たちが仲良く暮らし、平和な世の中を築くためには、「相互理解を通じて国際親善の実をあげること」が、極めて重要である。ウクライナやパレスチナ自治区のガザ地区などで戦火が収まらない今だからこそ、外国との友好親善の果たす役割はより大きなものがあるといえる。佳子さまの海外親善の場での活躍もまた、大切な意味を持つものだ。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など

    前日のランキングへ

    ニュース設定