
Text by 生駒奨
Text by 廣田一馬
Text by 笠川泰希
すべてのもの・ひと・ことが、加速度的に変化する現代。SNSからは毎日、誰かの成果や進捗が聞こえてくる。「なんでもない日」「何もなかった日」は、あってはならないのだろうか?
文筆家・星野文月の新著『不確かな日々』は、そんな感情を抱く人に寄り添ってくれるような存在だ。長野県・松本での暮らしのなかで紡がれるのは、特別でも劇的でもない、今日を生きた記録。綺麗ではない感情も含めて、星野が生きた証が書かれている。
本書の版元は、昨年星野が友人と立ち上げた出版社「ひとりごと出版」だ。星野はなぜ、「ひとりごと」を紡ぎ、発信し続けるのか。『不確かな日々』の執筆を通して考えたこと、自身の書きぶりの変化、日記という営みについてなど、たっぷりと話した会話をお届けする。
─星野文月さんの新刊『不確かな日々』は、長野・松本市での暮らしのなかで紡がれた日々の記録です。個人的で大事な出会いや別れ、揺らぐ自分自身の内面が書かれ、切実なものが伝わってきます。日記は日ごろから書かれているんですか?
星野:日記をつねに書くタイプではないんです。もともとはZINEとして日記本を作ろうと思って書き溜めていたのですが、3か月ほど書いた頃に、あらゆることがうまくいかなくなってしまって……身動きが取れず、どん底に居ました。
この状況がどこまで続くんだろうか、私はどうやって浮上するのだろうか、というのを見届けようと思って、書き切ることに決めたんです。そうしたらこれだけのボリュームになったので、本にしました。
星野 文月(ほしの ふづき)
作家・文筆家。1993年、長野県富士見町生まれ、松本市在住。文芸誌や、WEBメディア、新聞などでエッセイやコラムを執筆。著書に『私の証明』(百万年書房)、『プールの底から月を見る』(SW)、共著に『取るに足らない大事なこと』(ひとりごと出版)、『もう間もなく仲良し』(BREW BOOKS)がある。
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星野:絶対に書きたい、って思います。リアルタイムでは受け入れられなくても、いつか自分が受け入れられるように筆を止めないでいたい、うまくいかないからこそ書きたいみたいな気持ちが強いんです。
本にするにあたり編集作業があって、そこである程度時間を置いてから、自分の文章を客観的に読むことができます。すると、うまくいかなかったことも、何かしら自分にとって意味があることだったように思えてくることがある。自分が書いた文章を編集しながら、そのときの自分と対話しながら作業をすすめます。
─編集というのは、どういう目線でするのでしょうか。
星野:苦しかったできごとを「苦しいんです」とそのまま書いている文章は読んでいてしんどいな、と思うようになりました。作品にするうえで必要な言葉だったら残しますが、書いた出来事に対してうまく気持ちを整理できていないと文章がひっかかるので、原稿を何度も読んで、修正を繰り返していきます。
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平穏な日々のように見えても、その中で人はいろいろなことを感じながら生きていますよね。処女作『私の証明』は、突然変異のような出来事が起きて、そのショックや自分に起きたことを絶対に忘れたくなくて毎日日記を書いていた。だけど、この本は淡々と何気ない日々を記録しています。
30代になって、周囲のライフステージの変化が顕著で、ぼんやりと焦りや寂しさを感じることがありました。でも、その寂しさについて何かを書こうとすると、自分が実際に感じているよりも声が大きくなってしまうような気がして。自分の困惑を、自分が感じている大きさで表現したいと思ったときに、日記という形式が一番いいんじゃないかと思いました。
─書いているときの感覚は、自分と闘っているような感じなのでしょうか?
星野:いや、闘うというより「寄り添う」が近いです。まとまらない気持ちは人にはうまく話せないけれど、唯一日記というかたちなら受け止めてくれる気がして。日記を書くことが「ケア」みたいになっています。日によってできごとを書いたり、内面を見つめたり……日記には、日付があればなんでも書いていいという寛容さがあると思います。
─お気に入りの日はありますか?
星野:いっぱいあります。祖父が亡くなった次の日に、丘に登って星を見ていたら2つ連続で流れ星を見た日とか。あと今回、生理が辛いことやピルを飲んでいることを、わりと意図的に書いていたんです。自分が女性という身体を持って生きていて、妊娠が地続きにある生活のことを書きたいと思っていました。
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星野:ありがとうございます。これまで出版した本とは違って、ありふれた日常のことを書きたい気持ちがありました。そして、そんな日々があたり前ではないことを表現できたらと。
これまでは注目してもらうために、声を大きくして、鋭いものを作らなきゃと思っていました。でも、それだと自分が疲弊していく感じもあって。もう少し読む人を信頼して、わかりやすくないことも書いていいのかもしれないと思うようになりました。
─読む人を信頼するようになると、書きぶりも変わるものですか?
星野:信頼してあえて書かない、ということを初めてできた気がします。帯に「書けなかったけれど、確かにあった私の日々」ってあるんですけど、いまだに書けそうにないこと、書きたくないことがたくさんあります。
でも、書かなかったからといってその日々がなくなるわけではない。唯一書けたところから書けなかったことを思い出せるし、やっぱり想像力を働かせることがすごく重要なことだと思って、この言葉を帯にしました。日記だからといって、ここに書かれていることがすべてだと思ってほしくない、という気持ちもあります。
─たとえばInstagramで写真を上げなかったら、自分の生活や好きな気持ちがなかったことになりそうな瞬間ってありますよね。
星野:何もなかったわけじゃないんですよね。日々が圧倒的に早く通り過ぎていってしまうから、覚えておきたい景色がたくさんある。自分が見たものや感じたことについて「書く」ことが、私のできる唯一の抵抗なのかなと思います。
─書けなくなることはありましたか?
星野:ありました。でも、書けないときこそ、その気持ちを探りたいというか。私の場合は筆が進むときって必ずしもポジティブな出来事ではなかったりするんです。ネガティブなことの方が自分を掘り下げながら、ていねいに言葉を書き進めることができる気がします。
『不確かな日々』を書いているときは情緒が定まらなくて、やたらと外交的で人に会うモードでした。ひとりでいることが耐えられないというか、自分を外に出しておかないと沈んでしまいそうで。会える人に会って、話を聞いてもらって、自分の現在地をたしかめているような感覚があった。だから自分と一緒にいてくれた人たちのことも私から見えていた風景の一部として、書いておきたかったんです。
─心が揺らいでいたとしても、自分の状態にきちんと敏感であれるんですね。
星野:自分の状態には、すごく興味があります。雪国出身だからかもしれませんが、もともと警戒心が強いんです。日が長くなったなと思って油断していると、すぐに道が真っ暗になったりして……。
つねに気を張って、なるべく転ばないように生きてきたのですが、『不確かな日々』を書き終えて「まあいっか」と思えるようになりました。この本が届くかな、伝わるかなという不安もあるけれど、装丁が素敵だし、届いてほしい人には届くはずだし、まあいっかって。
─本の中で「気持ちの揺れを受け入れる練習をしている」と書かれていたのが印象的で、もしかしたらその練習が一区切りしたのでしょうか。
星野:そうですね……日記を書いていたときは、自分の心の得体の知れなさみたいなものを感じていました。傍から見ればきっとそんなに大したことじゃないのに「どうしてこんなに私は苦しいんだろう」って、いつも思っていて。
たとえ些細に感じられても、友だちに相談したら「そんなことないよ」って言ってくれると思うのですが、自分で自分に寄り添ってあげられなくて。日記で自分をケアしながら、ようやく自分のことを少しずつ受け入れられるようになったのかもしれません。
─セルフラブって言葉をよく考えていて、言葉が出始めた頃はギャルみたいなテンションで、救いの言葉のように聞こえていたけれど、だんだんと自己責任的な苦しみを感じるようになってきて。時にはネガティブな感情を押し殺す方向にいっているけれど、そこも含めて自分ですよね。
星野:もともとあまり性格がポジティブではないので、自分を完全に肯定することがすごく難しい。セルフラブという言葉が流行って、みんなが前を向き始めたときに自分だけ置いてけぼりみたいな気持ちにちょっとなりました。生きていればいい日もあれば落ち込む日もある。0:100ではなくて、どちらの感情も受け入れたいと思うようになれたのは、書くことでいろいろな気持ちがあることを確かめることができたからだと思います。
─日記はなんのために書いていると思われますか?
星野:なんのためでしょうね……祖母は、食べたものを忘れないように毎日ずっと日記を書いていますけど、私の場合はいままったく書いてなくて。
─書けなくなったんですか。
星野:はい、全然書けなくなりました。きっと私の場合は、うまくいかない日々を未来の自分が受け入れるために書いているんだと思います。「よろしく頼むぞ」という気持ちで書いて、編集をしながら自分を一旦受け入れて、最後にひとつのものに綴じると過去がおさまるような。
特に装丁の力は大きくて、本として綴じられると不思議と過去が重たくないんです。むしろ、こういう日々がつながっていまの自分があることを認められました。
─エッセイと日記は書き方が変わりますか?
星野:まとまらない気持ちをそのまま書くなら、日記がいいのかなと思います。3年前に『プールの底から月を見る』というエッセイを出したのですが、どうしてもオチをつけようとしてしまったり、実際の出来事のサイズよりもやや大きめに書いてしまったり……あと、エッセイを書こうとすると、なんとなく綺麗に収めたくなっちゃうんですよね。私は綺麗に書くよりも、ザラッとした手触り感のある文章が好きなんだと思います。書くのも、読むのも。
─エッセイだとネタ集めに走る部分はあるのかもしれません。日記という形式は、あらゆる価値観があるなかで日々をつぶさに記憶できるものだと思いました。
星野:そうなんですよね、よかったり、悪かったり、どちらに転んでも書ける、と構えていられたのはよかったと思います。特に象徴的なことがなくても、その「特に象徴的なことがなかった」ということを書けばいいので。
ただ、今回の本は日記という形はとっていてもあまり公に日記本とはうたっていないんです。私自身が「日記本」と言われると、まずどんな人が書いているのか気になってしまうので、あまり自らカテゴライズせず、純粋に本として興味を持って欲しいと思っています。
─「ひとりごと出版」を立ち上げ、そこから出版されるのも、またこれまでとは違う本づくりでしたか?
星野:私を含め3人で立ち上げた出版社ですが、風通しよくコミュニケーションを取りながら作れたことで、自分自身に向き合って書けたと思えます。
対等な関係性で本を作れると、たとえば「ここは固有名詞ではないほうがいいかな」「この表現で伝わるかな」と、些細なことを気軽に聞けます。書いていることすべてに自信があるわけではないので、悩んでいることをちゃんと相談できる、というのはとても気持ちが楽でした。
私たちは、本を作るところから流通まですべて自分たちで行っています。自分から卸したい本屋さんに連絡をとって、サインを書いて、梱包して。大変なこともあるけれど、自分の本の行く先がちゃんと見えることがうれしいですね。数は多くなくても、届けたいところにちゃんと届けられるようにと思っています。
─書く文章も、本づくりも、すべてにおいて手触り感を大事にされているんですね。
星野:そうですね……誰と何をするのか、誰と生きていくのか、選択するひとつひとつを大事にするために自分が指標にしているのが、そこにある手触りなんだと思います。
ひとりごと出版の3人はバランスがよくて、ビジネスの話もできますし、やりたくないこともはっきり言える。馴れ合いになりすぎないバランスでやれるのは、すごく助けられています。
編集、デザイン、書き手の3人でそれぞれ秋田、長野の諏訪、松本に地方移住した面々。
暮らしたい土地で、自分のやりたいことができるということをもっと発信したい思いもあって、ひとりごと出版の1冊目『取るに足らない大事なこと』は、それぞれの視点で、移住してからの暮らしについて書き溜めた本になっています。
─版元を立ち上げることは、やはり難しさもありますか?
星野:書店営業や利益の出し方など現実的なことばかりに打ちのめされています(笑)。でも、この3人だから難しくても挑戦してみたいと思えたし、やっぱり本が好きなので、手探りでも始めてみようと思いました。
─版元を立ち上げて、作家として変化した部分はありましたか?
星野:安心して文章が書ける場所を持てたことで、表現がちょっとずつ砕けてきました。これまでは読み物としてちゃんと成立させなきゃ、みたいな意識が先行してしまったのですが、最近はもっと余白をもたせた表現をしてもいいんだと思えるようになりました。
─読み手を信頼したり個人の版元を立ち上げたり、自分の居場所を構築していったことが大きいんですね。
星野:そうかもしれないです。仲間を見つけたことで、自分のいろいろな部分を許せるようになってきたのかな。もっと自分の砕けているところを見せてもいいのかもしれないと思えたし、もっと読んでくれる人のことを信じてみたいです。
─『私の証明』とは、テンションがだいぶ違いますもんね。
星野:そうですね。その強度も本のひとつの魅力だと思うんですけど、そうじゃないやり方も試してみたかった。
ちなみに『不確かな日々』は、本になるまで、これまでで一番製作期間がかかっています。日記だと日付が書かれているので、その日付が古くなるほど人の関心も離れてしまうのかな?と焦りがあったんですけど、それよりも内容が大事だと思って。
─日記を本にするとなると、誰が読んでくれるのか考えるものですか?
星野:誰かに読んでほしい一方で、ごく個人的な、しかも地方に住んでいる私の日記を誰が読むんだろう、という不思議さと興味があります。この本でなにを届けられるのか、すごく考えました。でも、個人的なことを突き詰めて作られた芸術や文芸が、個人的にすごく好きなので、一般受けはしなかったとしても、そっちの方向に私は舵をきりたいんだと思います。
─出版社の名前も「ひとりごと」ですしね。
星野:私たちが大事にしていることとして、個人的なことの中に普遍性があるって思っているんです。そういう声を世の中に届けることが大事な気がしていて、良い意味で売れすぎない本というか、必要なところにきちんと届く本づくりをしたいです。
─私はうめちゃんとのことがすごく印象的で。うめちゃんは本を読んでくれたのでしょうか?
星野:すぐに渡しに行きました。とても喜んでくれて……そうですね。まさに書いて残しておきたかったことの重要な部分だったと思います。
恋愛関係や家族が、一般的には優先されてしまいがちだけれど、私は友だちのうめちゃんがそばで暮らしてくれていたことが、自分にとってすごく大きかった。うめちゃんが結婚をして、パートナーの都合で遠くに引っ越してしまって、そのときに自分の無力感を感じて切なかったんです。
私たちの仲を表すのは「友だち」という表現しかなくて、つなぎとめるものが何もないように感じました。ずっと寂しがっている自分が子どもじみていて情けないけれど、そういう私の状態も、うめちゃんとの日々も書いて残したかった。
いまはお子さんが産まれて、ワンオペ育児に忙しいと聞いたので、「この本をうめちゃんに届けたい」と思って後半は制作していました。はじめて具体的に届けたいと思える相手がいて、本を作れることが嬉しかったです。
─松本で暮らしたことで、創作への意識も変わった部分はありますか? 売れすぎない本づくりという視点は、まさに離れたことで気づいたことなのかなと。
星野:それはありますね。東京を離れたのは、なんだろう……うまくやれちゃうって思ったんです。私は求められたらある程度立ち振る舞うことができちゃうと思ったから、自分が大事にしたい方向を向いていられなくなるんじゃないかと思って。もっと自分の生活に重きを置けるようにしたい、と思っていまの暮らしを選んだところはあります。
松本の「栞日」という書店で「Monthly Writing Club」という、1か月を振り返った文章を持ち寄る小さな集まりをやっているのですが、最初は主催者として背伸びして、どこか格好つけた書き方をしてしまっていたんです。
主催者だしうまいと思われなきゃと。でもここに暮らす一個人の私として書いたほうがみんなが書きやすくなることに気づいて、肩の力をぬいて書くことができるようになったのは大きい変化でした。参加してくれた方々が、そのまま書いてくれることに私も救われています。
─東京を離れて、自分が大事にしたバランスを見つけながら生活を選び取る、というのはすごく勇気がいることだったのではないかと思います。正直、東京ならもっと稼げたかも……とか。
星野:バッターボックスに立つ回数は、たぶん東京に居た方が多かったと思います。でも、そのスピード感に自分が合わせられるか自信がなかった。
移住を決めた時に「これからっていうときに、もうそこから降りたんだね」って言われたんです。全然そんな風に思っていないし、むしろどこでもやっていけると思って移住しているのに。私は自分のペースで、どこにいてもやっていきたいです。
実際いまは3年ごとに本が出ていて、ちょうどそれくらいで書きたいテーマが変化していくと感じているので、自分が飽きないうちはそうやって続けていけたらいいなと思っています。
─グイッと前に進みたいときは、自分なりのルーティンや景気づけみたいなものはあるんですか?
星野:やりたいことを選ぶときに、それをしたあとで自分はどうなっていたいのかイメージするかもしれないです。『不確かな日々』を出したら、つながったことのない人や本屋さんと出会えるかもしれない、とか。それで自分や誰かの世界が広げることができるのならやってみたい、頑張ろう、という気持ちです。
この本に書いたことを「大きなできごとはない」と言うと、自分にとって大事なことを小さくしちゃう感じですけど、そのときの私が感じたそのままの大きさで書けてよかったです。そんな風に、それぞれの人が自分の感じたことを嘘のないかたちで表現できたらきっといいと思う。
ままならない日々のなかには、決して綺麗じゃない感情もあったけれど、ひとつのまとまりになると光のようなものが見えてくる。書いてみたらそんな日々が愛しくて、やっと自分のことを認められたような気がします。