命ある限り、平和の尊さ伝える=沖縄・伊江島の語り部、謝花さん

0

2025年06月20日 07:31  時事通信社

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

時事通信社

反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」で館長を務める謝花悦子さん。自然豊かな伊江島が戦場になったことが、「悔しくて仕方ない」と語る=3日、沖縄県伊江村
 「木1本、家1軒残らず、島に残ったのは足の踏み場もない数の死体」と語るのは謝花悦子さん(86)。沖縄・伊江島(同県伊江村)の反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」の館長を務めて23年になる。太平洋戦争末期の激戦地となった同島で生まれた謝花さんは6歳の頃、家族と沖縄本島北部に避難した。足が不自由だったため、母が背負い山中を逃げ回ったという。

 戦後、「銃剣とブルドーザー」と呼ばれた米軍の土地接収に対する抵抗運動を主導した故阿波根昌鴻さんと出会い、活動を共にした。非暴力を貫き、「沖縄のガンジー」と呼ばれた阿波根さんが残した言葉「平和の武器は学習。過去を学んで繰り返さないこと」を訪問者に訴える。

 近年、謝花さんは、「沖縄戦は過去の話で、人ごとだと感じているのではないか」と危機感を抱く。2009年、年間5000人台だった来館者数が、新型コロナ禍の影響などで2000人前後まで減少した。特に修学旅行生など若者の訪問が少なくなったという。「戦争を知っている世代が当時の状況を語る義務がある。死んでも死にきれない」と焦燥感がのぞく。

 今月、戦死した父も眠る慰霊塔を訪れた。「命ある限り、二度と皆さんのような犠牲者が出ない時代をつくる努力をします」。謝花さんは、空を見上げて力強く誓った。 

「おじい、ぜひ見守っていてください」。謝花悦子さんは、故阿波根昌鴻さんの遺影の前でそっと手を合わせた=3日、沖縄県伊江村
「おじい、ぜひ見守っていてください」。謝花悦子さんは、故阿波根昌鴻さんの遺影の前でそっと手を合わせた=3日、沖縄県伊江村


来館者を見送る謝花悦子さん(中央)。国内外から多くの人が訪れる=2日、沖縄県伊江村
来館者を見送る謝花悦子さん(中央)。国内外から多くの人が訪れる=2日、沖縄県伊江村


戦死した父が眠る慰霊塔で、手を合わせる謝花悦子さん。「父よ、まだ忘れていないからね」。声を詰まらせながら祈った=7日、沖縄県伊江村
戦死した父が眠る慰霊塔で、手を合わせる謝花悦子さん。「父よ、まだ忘れていないからね」。声を詰まらせながら祈った=7日、沖縄県伊江村
    ニュース設定