1987年の全日本ツーリングカー選手権第5戦インターTECを戦ったSCCN パルサー。高杉好成と桂伸一がドライブした。 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは全日本ツーリングカー選手権(JTC)のディビジョン1を戦った『ニッサン・パルサー・ミラノX1ツインカム』です。
* * * * * *
車両規定の名からグループAと通称される全日本ツーリングカー選手権(JTC)。1985年から1993年までの9シーズン行なわれたこのグループA車両によるツーリングカーレースにおいて、初年度より参戦したニッサンは、同社のフラッグシップGTカーであるスカイラインを最大排気量クラスに送り込んでいた。
その後、ニッサンはJTCの最大排気量クラスに1990年よりBNR32型のスカイラインGT-Rで参戦。外国車勢を駆逐して席巻したことはよく知られるところである一方で、中排気量クラスのニッサン・シルビアだけでなく、最小排気量クラス向けにもマシンを開発・投入していた。このときニッサンが生んだ最小排気量クラスマシンというのが、『パルサー・ミラノX1ツインカム』だった。
グループA仕様のベースに選ばれたパルサーは、1986年に市販車が登場したN13型で、CA16DE型というDOHC16バルブ自然吸気(NA)エンジンを搭載するミラノX1ツインカムと名乗るホットモデルだった。
CA16DE型エンジンは、ニッサン・ダイレクト・イグニッション・システム(NDIS)という点火システムを採用するなど、ライバルであるトヨタ・カローラレビンが搭載する4A-G型やホンダ・シビックのZC型よりも先進的なメカニズムを持つエンジンであり、ベース車が持つポテンシャルの高さからも、カローラやシビックの対抗馬となることが期待されていた。
そんなパルサーは、1987年のJTC第3戦、筑波サーキットラウンドでデビューを果たす。ステアリングを握ったのは高杉好成と桂伸一というふたりで、エントリー名は、『SCCNパルサー』だった。
このデビュー戦ではわずか2週間という短期間でマシンが製作されたため予選落ちとなったが、2レース目となる富士スピードウェイが舞台の第5戦インターTECではクラス11位で完走を果たす。しかし、その後はやはりカローラやシビックという2車には太刀打ちできず、上位進出とはならなかった。
パルサーは翌1988年にも数戦に参戦したものの、同年をもって最小排気量クラスから姿を消すこととなったのである。
[オートスポーツweb 2025年06月21日]