サッカー日本代表の「最も暑かった」試合は? 来年のワールドカップは気候の差が大きく影響する

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2025年06月24日 07:20  webスポルティーバ

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連載第55回 
サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 暑さが話題になる日本ですが、後藤氏が観戦したなかで最も暑かったと感じたのは、今から28年前のサッカー日本代表戦でした。そしてワールドカップなどの大規模大会では、各会場の気候の差が試合結果に影響すると言います。

【7600試合中最も暑かった試合】

 日本各地で最高気温30度以上の真夏日が続いている。まだ6月だというのにこの暑さでは、7月、8月になったらいったいどんなにことになってしまうのか......。

 昨年と同様、猛暑や雷雨の影響で試合が中止や延期になることも多いに違いない。

 サッカージャーナリストの"現場"にとっても「気候」は大問題だ。

 なにしろ、1月の高校サッカー選手権などでは寒風吹きすさぶなかで1日2試合、つまり4時間も屋外に座っていなければならないし、一方、夏場には屋根がないスタジアムで暑さに身を焼かれることもある。

 まあ、僕は体質的に寒暖差や時差に強いので助かっているのだが(ちなみにアルコールにも強いが、高地には弱い)、それでもやっぱり暑いものは暑い!

 これまで7600試合近くスタジアムで試合を見てきたが、最も暑く感じたのは1997年9月、フランスW杯アジア最終予選のアラブ首長国連邦(UAE)戦だった。

 この時、最終予選はセントラル方式で行なわれることになっていたのだが、開催地を巡って東アジア勢と中東勢の間で合意ができなかったため、急遽ホーム&アウェー方式に変更。5カ国ずつ2組のリーグ戦が行なわれた。出場各国はほぼ毎週1試合のペースで計8試合を戦ったのだ。まだ「海外組」などいない時代だったから、それでも代表の編成に支障はなかった。

 日本は東京での初戦でウズベキスタンを6対3で破ったあと、UAEの首都アブダビに乗り込んだのだが、17時40分のキックオフ時点でも気温が35度、湿度も80%近い状態が続いたため、スタンドで試合を観ているだけでクラクラしてきたものだった。

 UAE戦の前の週末は日本の試合はお休みだったので、隣国サウジアラビアの首都リヤドでサウジアラビア対クウェートの試合を観戦した。

 ペルシャ湾に面したアブダビは湿度が高い蒸し暑さ。それに対して、アラビア半島内陸に位置するリヤドは乾燥しきっていた。昼の気温は50度近くに達し、湿度はおそらく10%といったところだったろう。

「アブダビとリヤドと、どちらがマシか」というのは究極の選択だが、砂漠地帯のリヤドでは夜遅くなると気温が下がるので、試合終了時にはかなりラクに感じたことは確かだ。

【欧州でも暑さにやられた】

 さて、夏のアラビア半島の暑さは当たり前のことだ。それなりの準備もできる。

 問題は、本来それほど暑くないはずの地域が急に暑くなった場合だ。

 欧州大陸と言えば、「夏も涼しい」あるいは「暑くても湿度が低くて過ごしやすい」という印象がある。ある意味でそれは正しい。しかし、夏場でも急に寒くなることがあるかと思えば、急に暑くなることもあるのだ。

 2006年のドイツW杯などは、その典型だ。

 僕は大会直前に各国が行なう準備試合を観戦するために、開幕より10日以上早くドイツ入りした。ジーコ監督率いる日本代表も開催国ドイツと戦って2対2で引き分け、期待感は一気に高まった。

 このドイツ戦が行なわれたレバークーゼンもそうだったが、5月末のドイツは厳しい寒さだった。あまりに寒かったので、僕も到着直後にケルンのデパートで防寒服を買い込んだくらいだ。

 ところが、6月9日に大会が開幕すると気温はぐんぐんと上がった。

 日本代表は初戦で当時はオセアニア連盟所属だったオーストラリアと対戦。前半、中村俊輔のやや幸運なゴールでリードしたが、時間の経過とともに暑さのせいで選手たちの足が止まり、終盤にかけてオーストラリアの猛攻に曝される。

 オーストラリアのフース・ヒディンク監督は次々と攻撃的交代カードを切って日本を追い詰め、日本は84分に"天敵"ティム・ケーヒルのゴールで追いつかれ、逆転負けを喫してしまった。初戦を落とした日本はその後、クロアチアと引き分け、ブラジルに完敗。グループリーグ敗退となった。

 敗因はいくつもあるのだろうが、コンディショニングの失敗もそのひとつ。「暑さにやられた」とも言われた。

 中東のような、もともと暑い地域での大会だったら事前に暑熱対策もできるが、本来なら涼しいはずのドイツで急な暑さに見舞われると、やはり調整は難しくなる。

 観戦する側にとってもかなりの負担だった。

 なにしろ、アルプス山脈以北の欧州では、建物も頑丈な壁によって寒さを防ぐことを目的に造られている。夏場向けに風通しがいい日本家屋とは違うのだ。そして、貧乏なフリーランス・ジャーナリストが泊まる安ホテルには、暖房は完備していても冷房は付いていないことが多い。ドイツではフランクフルトでフラットを借りて生活していたのだが、もちろんそこにも冷房は付いていなかった。

【気候が試合結果に影響する】

 欧州で暑さに悩まされたのは、2006年のW杯だけではない。

 2003年にフランスで開催されたコンフェデレーションズ杯の時も、大会中に急に暑くなったことがある。

 日本代表が開催国フランス(2000年EURO優勝国)と1対2の大接戦を演じたサンテティエンヌも暑くて大変だった。

 というのも、サンテティエンヌは丘陵地帯にある炭鉱町で標高が高く、本来は涼しいところなので、余計に冷房の普及率が低かったのだ。

 そう言えば、サンテティエンヌ滞在中にはリヨンとの鉄道で列車が牛と衝突して不通になってしまうといった珍事もあった。暑さには関係ないけれど......。

 また、リヨンでの準決勝(カメルーン対コロンビア)ではカメルーンのMFマルク・ヴィヴィアン・フォエが試合中に心臓発作を起こして死亡するという悲劇も起こったが、これも暑さのせいだったのかもしれない。僕はフォエが倒れて担架で運ばれる光景を目撃して心配していたのだが、試合終了後、カメルーンの関係者が涙を流しているのを見て事態を把握した。

 本来暑いはずではない国で暑くなるのもそうだが、同じ国でも地域によって気候に違いがあったりすると、それが大会の結果に影響を与えることもある。

 1982年のスペインW杯がそうだった。

 スペインは欧州南部のイベリア半島にあるので暑い国だ。W杯の時も1次リーグで開催国スペインが戦ったバレンシアは毎日40度近い気温だった。しかも、内陸のマドリードなどと違って、海辺にあるバレンシアは湿度も高かった。南部のセビージャやマラガも猛暑に見舞われていた。

 ところが、北部のガリシア地方やアストゥリアス地方にかけては、連日のように雨に見舞われ、気温も肌寒かった。

 同大会は最終的に、決勝戦でイタリアが西ドイツを破って優勝。3位がポーランド、4位がフランスという結果だったが、この上位4チームはいずれも1次リーグを涼しい北部の都市で戦っていた。

 気象条件が結果に影響したことは明らかだろう。

【気候の差が大きいアメリカ】

 1994年のアメリカW杯は、大会後半に異常気象で高温が続いた。そして、西部と東部の気候差が大きかった。なにしろ、広大な国だ。

 ロサンゼルス郊外パサデナのローズボウルで行なわれたブラジル対イタリアの決勝戦は、欧州のプライムタイムでのテレビ放映に合わせるために昼の12時半開始だったこともあって、日差しが眩しくて映像で見るとかなり暑そうに見える。

 しかし、確かに気温は高かったが空気が乾燥していたので、それまでずっと東部の蒸し暑さのなかで観戦していた僕は、とても爽やかに感じたものだ。

 ブラジルはグループリーグからほとんどの試合を西部で戦ってきていた。スウェーデンとの準決勝も決勝と同じローズボウルだった。一方、イタリアの試合はずっと東部ボストン近郊やニューヨーク近郊で行なわれていた。イタリア系住民が多いからだ。

 暑さで疲労をためたイタリアは、さらに準決勝の翌日にはニューヨークからロサンゼルスまで、時差3時間の長距離フライトを強いられた。

 もともと、ニューヨークでの準決勝はロサンゼルスでの準決勝より1日前に予定されていたのだが、野球(MLB)のオールスター戦と日程が被るので1日遅らされたのだ。

 結局、疲れきった状態でブラジルとの決勝に臨んだイタリアは、PK戦で敗れて準優勝に終わった。

 アメリカでは来年、再びW杯が開催される。今回はカナダやメキシコとの共同開催なので、気候の差は1994年大会以上に大きくなるかもしれない。メキシコ市で試合があれば、高地対策も必要になる。

 日本も8大会連続出場となり、W杯に向けた準備や対策については十分な経験と情報を持っているはずだ。そもそも、日本は暑い国なのに「暑さに弱い」というのも情けない。コンディション調整には万全を期してほしいものだ。

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