画像はイメージです新年度から2か月。そろそろ新人の素顔が見えてくる時期だ。
「思っていたのと違った」と言わんばかりに退職代行で姿を消す新人もいれば、社内に爪痕だけを残して去っていく者もいる。だが、それだけではない。一昔前では考えられなかった、想像の斜め上をいくニュータイプも登場しているという。
「毎年いろいろな子がいるとは覚悟してるんですが、今年は特にすごかったです」
そう話すのは、都内のIT企業で人事を担当する浜野貴弘さん(仮名・38歳)。社員数300人ほどの中堅企業で、採用から研修、定着支援まで幅広く手がけている。そんな浜野さんが「忘れられない」と語る新人がいる。
◆新入社員の母親が受付で怒鳴っていた
「うちは入社してから1か月間が研修期間なんですが、その4日目でした。研修中に突然、受付から内線が入ったんです。『今本さんという新入社員はいらっしゃいますか?』と」
受付の声は震えており、電話の奥では女性の怒鳴り声がかすかに聞こえたという。
「直感で、これは何かトラブルだなと感じました」
受付に向かうと、そこには五十代くらいの女性が立っていた。受付の社員が言う。
「浜野さん、こちら今本さんのご家族の方です」
浜野さんが軽く会釈すると、その女性は開口一番、こう言い放った。
「うちの息子が陰湿ないじめに遭っているようで!」
◆手作りの弁当を「食べずに持ち帰る」のは異常事態?
「正直、何のことかまったく分かりませんでした」と浜野さんは振り返る。
研修はまだ4日目。内容も社内見学やレクリエーション、座学といった穏やかなものばかりで、いじめが起こるような環境ではなかった。
だが、もしかすると見えていないところで何かあったのかもしれない、そう考え、浜野さんは詳しく話を聞くことにした。しかし、その「いじめ」は、浜野さんの想像を大きく裏切るものだった。
「お弁当だったんです」と浜野さんは苦笑する。
母親が毎朝作って持たせていた手作り弁当を、息子が3日連続で食べずに持ち帰っていた。それを見た母親は、「何か指導を受けたのでは」「いじめられているのでは」と考え、会社に直接怒鳴り込んできたのだった。
「うちは研修期間中、昼食として会社が弁当を支給しているんです。それを食べるかどうかは個人の自由ですが、ほとんどの社員がその弁当を食べていました。今本さんもそうでした。でも、たぶん、最初からお母様が毎日お弁当を持たせていたんでしょう。それを食べずに持ち帰った。それが異常事態だと受け取られてしまったようです」
◆「恥ずかしかったのではないか」とは言えず…
浜野さんはそういう実態がないことを説明した。が、母親は納得せず、声を荒げながら浜野さんに問い詰めた。
「どうして食べなかったのか。今まであの子が手をつけずに帰ってくるなんてことは、一度もなかったんです!」
憶測で理由を答えることもできた。たとえば、「みんなの前で母親の手作り弁当を食べるのが恥ずかしかったのではないか」と。しかし浜野さんは、相手の感情を逆なでしないよう、冷静に事実のみを伝えた。
「いじめやパワハラの事実は一切ないことを説明しました。ただ、お弁当の件についてはご本人とお話しいただくようお願いしたんです。でも、最後まで納得してもらえませんでした」
◆母親襲来の翌日から会社に来なくなり…
母親は最後にこう言い残して、会社を後にした。
「もう結構です。こんな会社に、息子をいさせるわけにはいきません」
その日の研修後、浜野さんは今本さんに母親が来社したことを伝え、お弁当について聞いた。
「そうですか……なんか、すみません」
彼はどこか諦めたように、ぽつりとそう言っただけだった。
「翌日から、今本さんは会社に来なくなりました。ご本人の意思だったのか、ご家族の判断だったのかは分かりません。ただ、2週間無断欠勤が続いたため、就業規則に基づき、自動的に退職という形になりました」
浜野さんは、なんとも言えない表情でそう話した。
親が子どもを守りたい気持ちは理解できる。だが、社会に出たその瞬間から、本人の意思や選択が何よりも尊重される世界が始まるのではないか。いったい、誰のための社会人デビューなのか。子か、それとも親か。
<TEXT/山田ぱんつ>