クラブワールドカップでブラジルのボタフォゴが決勝トーナメントに駒を進めた。
本田圭佑がプレーしていた頃のボタフォゴを覚えている方にとっては「あれ?」と思う出来事かもしれない。何せあの頃のボタフォゴは、選手もいなければ金もない、青息吐息のチームだった。いったいこの数年間にボタフォゴに何が起こったのか? 彼らはいかに南米を代表するクラブに返り咲いたのか――。
ボタフォゴはブラジルの名門だ。かつてガリンシャ、ニルトン・サントス、マリオ・ザガロといった偉大なブラジル代表の選手たちを擁し、1950年代後半から10年以上にわたり黄金時代を築いた。
しかしその後、苦境に陥る。ボタフォゴのサポーターたちは終わりの見えない悪夢のなかに落ち込んでしまったようだった。莫大な債務、毎月のように変わる経営陣、過去の栄光を忘れたかのようなプレー......。
クラブが底辺に到達したのは2020年だった。過去20年で3度目のセリエB(2部)降格が迫り、事態は深刻だった。チームはミスを重ね、間違った選択を繰り返し、魂を失い、サポーターたちはもはや何も信じなくなった。
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この降格を前に、ボタフォゴはあらゆる手を尽くし窮地を脱しようとした。その最大の策が、日本代表として活躍し、ミランでもプレーした経験のある本田圭佑の獲得だった。
方向性を見失ったチームを率いるリーダーとなるべく、彼には大きな期待が寄せられた。リオデジャネイロに到着した本田はスターとして迎えられた。SNSは喜びのメッセージであふれ、サポーターは空港での歓迎式典に歓喜した。黒と白のユニフォームを着た彼は、新たな時代の始まりだと誰もが思った。
本田効果はピッチの外でも期待されていた。ボタフォゴは慢性的な資金難に悩まされていたが、それでもボクラブ史上最高額の年俸を彼に提示したのは、それ以上の収入を期待していたからだ。彼をマーケティングの柱とし、アジアでの知名度向上やユニフォームの販売を目論んだ。
しかし、それはうまくいかなかった。ボタフォゴの病は思った以上に重く、結局、本田は何もできなかった。出場は27試合、3得点しか挙げられず、フィジカルコンディションに問題を抱え、ブラジルのプロサッカーのリズムに完全に適応できなかった。また、ピッチ外でもチームに溶け込むことができず、最終的に、彼は誰にも別れを告げず、逃げるようにリオを去った。
【チームを救ったひとりのアメリカ人】
まるで夢から覚めたように、あとには相変わらず窮地のボタフォゴと苦い思いが残っただけだった。本田の失敗のあと、ボタフォゴはセリエBに降格。クラブ史上、最底辺に沈みこんだ。
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そんなチームが変わったのは、あるひとりのアメリカ人の登場による。ジョン・テクストルだ。
ブラジルでは2021年にクラブチームの運営に関する法律が変わり、それまでは非営利団体として運営していたのが、チームを株式会社化(SAF)できるようになった。そこでテクストルは2022年3月、ボタフォゴの株式90%を買い取り、チームに4億レアル(約1億ドル、当時のレートで約120億円)以上を投資。財政難にあえいでいたチームを一変させた。
彼はすでにイングランドのクリスタル・パレスやフランスのリヨンなどのチームの株式を保有していたが、ボタフォゴを最も愛するチームとして選び、多くの資金、時間、情熱を注いだ。彼にとってボタフォゴは単なるビジネスではなく、名門に新たな歴史を築く挑戦だった。施設を一新し、レベルの高い選手を獲得し、優秀な監督を招き、何よりプロフェッショナルの精神をチームの隅々にまでもたらした。
結果はすぐに表われた。29年間タイトルから遠ざかっていたボタフォゴは2024年、ブラジルチャンピオンに返り咲いた。クラブ史上3度目のタイトルだ。これまでの悪夢を知る者にとっては、まさに夢のような出来事だった。
最終戦でサンパウロに勝利し、ライバルのパルメイラスに3ポイント差をつけてタイトルを獲得した時、ニルトン・サントススタジアムは喜びに沸き立った。長年苦しんできたサポーターたちはここぞとばかりに「カンペオン!」と雄叫びをあげた。
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喜びはそこに留まらなかった。コパ・リベルタドーレス。ボタフォゴはこの南米で最も重要なトーナメントに参戦しただけではなく、最後にトロフィーまで掲げたのだ。クラブ史上初の快挙。数年前まで夢にもみられなかった現実だ。リオデジャネイロは歓喜する白と黒のユニフォームで埋め尽くされた。
【クラブワールドカップで頂点へ】
タイトルはボタフォゴを財政的にも強豪にした。今ではブラジルで3番目に裕福なクラブと言われる。その名声は力のある選手を引き寄せ、多くの選手がボタフォゴから各国の代表に選ばれるようにもなった。
数年前まで笑いものだったボタフォゴの復活。その秘密は、2022年からチームを率いてきた3人のポルトガル人監督にもある。彼らはチームにヨーロッパ的なメンタリティと現代的でプロフェッショナルな視点、そして何より勝利への強い意欲をもたらした。
ひとり目のルイス・カストロはセリエA復帰を果たしたチームに秩序を与え、ふたり目のブルーノ・ラゲはそのレベルを維持し、3人目のアルトゥール・ジョルジェは、チームを徹底的に分析し、才能豊かなグループから最高のものを引き出すことに成功し、ボタフォゴのベストシーズンを生み出した。
ただし、成功を収めた南米のチームは、そのあと必ず移籍市場の標的となる。ティアゴ・アルマダ(リヨン)、ルイス・エンリケ(ゼニト)、マテウス・ナシメント(ロサンゼルス・ギャラクシー)、そしてJリーグでもプレー経験がありリベルタドーレスの得点王に輝いたジュニオール・サントス(アトレチコ・ミネイロ)はチームを去った。勝利の立役者だったジョルジェ監督も、カタールに引き抜かれた。
今年の2月からチームを率いる同じくポルトガル人のレナト・パイヴァが最初にすべきことは、チームの立て直しだった。移籍した選手たちの穴も埋めるべく、若手により価値を与えた。かつてベンフィカのユースチームを率いた経験が役立っているようだ。現在のチームはベテランと若手のバランスが取れている。
そんなボタフォゴの変貌の頂点が、開催中のクラブワールドカップだ。ボタフォゴは2戦目で、チャンピオンズリーグで優勝したばかりのパリ・サンジェルマン(PSG)と対戦。奇しくも南米王者vs.欧州王者の戦いが実現したわけだが、ボタフォゴは壁のような守備と、サッカーのお手本のような見事なカウンターでこの戦いを1−0で制し、その強さが本物であることを最高の形で証明した。
PSGのルイス・エンリケ監督は「今シーズン、我々が対戦したチームのなかで最も厳しい守備を敷いたチームだ」と感嘆。「よく耐え、よく攻め、力強く、疲れることなく、恐れることなく戦う、勝利に値するチームだった」と手放しで称賛した。
ボタフォゴは3戦目でアトレティコ・マドリードと対戦。0−1で敗れたものの、アトレティコを抑えて決勝トーナメント進出を決めた。試合後、アトレティコのディエゴ・シメオネ監督は率直な言葉で感想を語った。
「おそらく、私のチームが最近経験した試合のなかでも最も厳しい勝利だった。クラブワールドカップから敗退し、南米サッカーの新たな力を目の当たりにした。ボタフォゴは攻撃的で知的なプレーをするチームだった」
苦境を乗り越えてきたチームに怖いものはない。どんな相手にも怯みはしない。短期間で暗闇から光へと変貌を遂げたボタフォゴはもはや二流のチームではない。ブラジルの誇りであり、資金と環境、そして何よりビジョンと知性と勇気があれば、どん底からも世界のトップを狙えることも証明した。新たな「メイド・イン・ブラジル」のパワーなのだ!