
先日、ずっと通院してくださっていたAさんが突然、いらっしゃらなくなりました。1件1件の診察をじっくりしている…つもりだった私にとって、Aさんがいらっしゃらなくなったときは、結構なショックでした。いえ、最初は能天気に体調のすぐれない奥様の病状が悪化したのでそちらの診察を優先したのかな…などと思っていました。しかし1カ月が経ち、「転院」という言葉がやっと思い浮かび、そこから一気に落ち込みました。
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それ以降、ときどき思い出して時には涙ぐみ、ひとり反省会が続きました。私が診ていた猫チャンは猫エイズと猫白血病のどちらのウイルスにも感染している元野良猫でした。このふたつのウイルスは、ひとたび感染すると、多くが生涯ウイルスと共に生きていくこととなり、体外にウイルスを排出することが出来ません。もちろん、排出できるようにするお薬もありません。
特に猫白血病ウイルスはタチが悪く、感染すると遅かれ早かれ何らかの病気を発症します。その病気はウイルス名の「白血病」のこともありますが、それ以外にリンパ腫や重度の貧血、悪性度の高いがんなどの治らないものです。治らないとは、すなわち死に至るのです。
猫白血病ウイルスは、感染している猫に咬みつかれたり舐められたり、食器やトイレを共有することなどでも感染します。しかし、1歳を過ぎた大人の猫ですと免疫がしっかりしているため、白血病ウイルスを撃退する猫もいます。以前、私が診察したサビ猫は5歳のときに感染しましたが、見事にウイルスを身体の外に出して、結局20歳で加齢による腎臓病で亡くなりました。老衰ともいえるでしょう。
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ところが、猫白血病ウイルスに感染している雌猫が妊娠した場合は、妊娠しているときはへその緒を介して、出産してからはお乳を介して、あるいはグルーミングの唾液を介して、子猫へウイルスを送ることになります。多くの子猫はまだ免疫が未完成のため、ウイルスを体外に排出できずに感染が成立し、生涯にわたってウイルスを持ち続けることとなります。そしていつか、先に述べた様々な病気になってしまいます。
このような猫を飼われたことがある方はおわかりいただけるでしょうが、この生まれながらに感染している猫チャン達は皆、とてもかわいい。はかない感じがして、まさに「美人薄命」という言葉が相応しいのです。子猫の血液検査で、猫白血病ウイルスが陽性になる度に私は、「とても残念なのですが平均すると数年で不治の病気に罹り亡くなってしまいます」とお話しなければなりません。「でもニャン生、長生きするのが幸せとは限らないですし…」などと、どうフォローしていいのかわからない状況になります。
Aさんの猫もはかなげなイケメンでした。これらのウイルスに感染している猫は免疫が弱っているため他の感染症にもかかりやすく、これまで何度も治療に来られていました。そしてある日、ついに猫白血病ウイルスが原因と考えられる症状で来院されました。そもそもAさんの猫はヒトに慣れておらず、採血やエコー検査のときは鎮静剤を注射して眠ってもらわないと検査が出来ず、ご自宅での内服や注射も不可能という猫でした。今回も詳細な検査をするための鎮静薬の注射をする許可がなかなかいただけませんでした。
なんとか血液検査と簡単なエコー検査をさせていただき、腎臓のリンパ腫あるいは腎炎と仮診断をして、今の状況を説明しました。「おそらく、猫白血病ウイルスが悪さをしています」「もしリンパ腫であれば毎週抗がん剤を投与しての治療、腎炎であれば腎不全として点滴通院や注射での治療になります」と。
Aさんは「毎週抗がん剤は、可哀そうやな」とおっしゃいました。そうですよね。もしかしたら抗がん剤投与のたびに眠ってもらわなくてはいけないかもしれませんし、ね。
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それにこれまで私は、猫白血病ウイルス陽性の猫がリンパ腫になったときに抗がん剤治療をして状態が良くなり、その後何年も生き延びたという症例を知りません(もしそのような症例をご経験の方がおられましたら教えていただきたいです)。多くの猫は抗がん剤も効果が無く、あるいは一時的に良くなっても直ぐに再発して命を落とします。ですから、本当に申し訳ないのですが、積極的な治療をするのではなく、週に何回か点滴に通院して少し状態を良くして残り少ないニャン生を穏やかに過ごしてもらいたいと私は思いました。Aさん自身も抗がん剤などの治療は希望されないということだったので、私の治療方針は同意が得られているという認識でした。
しかし、後からひとり反省会で気づいたのは、このとき確定診断がされていなかったので、うやむやになんとなく点滴でもしておこうといったいい加減な治療をされているとAさんは思ったのでしょうか。Aさんが本当はどのようにお考えなのかについて、診療のたびに積極的にお聞きして確認したほうが良かったのだと、深く反省しました。
自分の考えをヒトに押し付ける権利は全くありません。ただ、言い訳になりますが、本当にこのまま穏やかに過ごして欲しいという飼い主でもない私の強い思いから、私は無口になってしまっていたのだと思います。確認しなかった私は申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも結局は転院するとまた同じ検査をされて、ひょっとするとまた同じ治療かも知れません。
いえ、本当にスーパードクターの手にかかり、今も元気にしているのかもしれませんが、その後どうなったのかは知る由もありません。
◇ ◇
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ただ、気にかけていた猫だけにときどき思い出していたところ、ある日、オンライン診療でBさんの相談を受けました。Bさんの飼っておられる猫達は半年前に保護した3兄弟なのですが、全員、猫エイズと猫白血病ウイルスの両方が陽性でした。
うち1匹は保護して間もなくリンパ腫を発症していまい、亡くなりました。この春に今度は2匹目の猫が腎炎になりおよそ1カ月間、点滴と注射の治療に通院されました。しかし治療の甲斐なくついに全く食べなくなり、オンライン診療となりました。食べなければ、チューブをつけて流動食を胃に入れた方が良いのか?緩和ケアをした方が良いのか?緩和ケアとは具体的に何をするのか?などのご相談内容でした。
私は、もうその段階になれば緩和ケアをと提案しましたが、なんだかAさんへの罪償いをしている感じでした。モヤモヤしている私に、神様が私にBさんを派遣してくださったのでしょうか?私は懸命にこの猫白血病ウイルスのことを説明して診察を終えると間もなく、その猫は息を引き取ったそうです。
Bさんはいつもは猫と一緒に過ごしていない時間帯でしたが、この日はたまたまオンライン診療のタイミングと重なり、猫のそばにいらっしゃいました。そのことについて「先生が天国に逝く猫の最期に引き会わせてくれたのだと思います」とおっしゃいました。私は、Bさんの猫のご冥福を心よりお祈りいたしました。そして、心の中で「神様がBさんと私を引き会わせてくれたのだと思います」とつぶやきました。白血病ウイルス陽性の猫チャン達は、短くてキラッと光る、まるで流れ星のような猫生だと思いました。
◆小宮 みぎわ 獣医師/滋賀県近江八幡市「キャットクリニック 〜犬も診ます〜」代表。2003年より動物病院勤務。治療が困難な病気、慢性の病気などに対して、漢方治療や分子栄養学を取り入れた治療が有効な症例を経験し、これらの治療を積極的に行うため2019年4月に開院。慢性病のひとつである循環器病に関して、学会認定医を取得。