都会暮らしをやめて鹿児島に移住、“農業”の道へ。「稼げない」から3年で売上10倍にした若手夫婦の挑戦

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2025年06月28日 09:10  日刊SPA!

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鹿児島県阿久根市で農業を営む宇都(うと)風香さん
かつては「農業の若者離れ」が叫ばれていたものの、近年では農業に対する関心が若年層を中心に高まっている。
都会暮らしから地方での生活や自然に魅力を感じ、農業を新たなキャリアの選択肢として考える人も。最近ではモデル・タレントのローラさんが農業に取り組む様子をSNSで発信するなど、今後さらに若年層の“就農”に注目の兆しが見えている。こうしたなか、農業未経験ながら独自のブランディングと販路開拓でビジネスを拡大しているのが、鹿児島県阿久根市で農園を営む「うとさんち」。

代表の宇都風香さんは、福岡から移住して夫婦で農業を始め、「儲かる農業」の情報を積極的に発信している。

「農業=稼げない」を痛感した就農1年目を乗り越え、いかにして「稼げる農業」を実現したのか。宇都さんに詳しい話を聞いた。

◆都会暮らしから“予想外”だった農業の道へ

宇都さんは小学生から大学生までバトミントンを続け、キャプテンを務めていたほど。最初はリーダーとしてチームをまとめるのが難しいと思っていたものの、どうにか立て直したいという思いが強く、「誰もいないなら私がやる」というスタンスでリーダーになったそうだ。

大学卒業後は一般企業の事務職として働く日々を送るなか、農業を始めるきっかけになったのは、夫からの懇願だった。

「夫は農業系の学校に通っていたことから、以前から農業に興味を持っていました。社会人になってからは農業関連の会社で事務をやっていましたが、私との結婚式を挙げた直後に『自分の地元である鹿児島県阿久根市で農業をやりたい』と言われて。

私自身、結婚後は福岡の都会に住むつもりだったので、最初はすごく戸惑ってしまったんですよ。それでも、お互い話し合いを重ねて『私は全く土は触らない』という条件で嫁ぎました」(宇都さん、以下同)

◆「本当に生活できるか不安だった」。就農1年目で味わった農業の現実

就農1年目はまさに、「農業は稼げない」というイメージ通りであることを痛感したそうだ。当時は畑面積も少なく、どんなに頑張って出荷しても、手元に入ってくるお金は微々たるものだった。

これでは、農業を続けられない。

そう感じた宇都さんは、「販路を変える」ことを決意する。

「その頃はちょうどコロナ禍のタイミングで、食に対する関心がとても高まっていた時期だったこともあり、多品目の野菜を詰め合わせた『野菜セット』をネットで販売することにしました。ありがたいことに、その野菜セットは順調に売れ、事業としても良いスタートを切れたと思います。

ただ一方で、いつかコロナ禍は終わるという前提があったので、この需要がなくなってしまうんじゃないかという不安が常にありました。そこで、今のうちに次の柱になる品目を考えなければと思い、早い段階で次の展開を模索し始めました」

◆栽培品目を絞り込んだことで見えてきた勝ち筋

そして、年間100品目以上の野菜を栽培していた中でも売れ筋だった「とうもろこし」と「さつまいも」に目をつけ、その2つに絞って栽培を始めることに。特にとうもろこしは、抜群の“甘さ”に感動し、その思いを伝えたいということから、ブランドコーン「雪やこんコーン」と名付け、うとさんちの看板商品に仕立てたのだ。

「私は農業の知識が全くなかったので、野菜本来の美味しさや土づくりのこだわりは説明できませんが、『甘い野菜』なら農業経験がなくてもその美味しさを伝えられると思いました。誰にでも伝わりやすい“甘さ”という特徴は、後々ブランディングを考えるうえでも大きな武器になると感じたので、甘い野菜に特化して栽培することに決めたんです」

また、多品目栽培をしていたときは、飲食店に営業をかけるなかで「どの野菜がウリなんですか?」と聞かれても、うまく答えられずに「全部です」としか言えない自分に違和感を覚えていた。

これでは全く伝わらないと感じ、もっと強みが伝わりやすくて、はっきりと特徴を出せる野菜に絞った方がいいと思うようになったそうだ。

◆夫婦の役割分担が生んだ農業経営の新しいカタチ

しかし、とうもろこしとさつまいもの栽培面積を急に増やしたことで、人手が足りなくなってしまい、当初は虫の被害や病気の蔓延で作物がうまく育たずに苦労したという。

「常時雇用はなかなか難しかったため、単発で外国人労働者の方々に来てもらうようになってからは徐々に安定してきました。転機になったのは2023年に、鹿児島で最も大きな南日本新聞に取り上げてもらったこと。このときはメディアの影響力の大きさを実感しましたし、それによってたくさんの注文をいただけるようになりました」

このような成果につながった背景には、農業経営の役割分担がある。

畑仕事は夫に任せ、宇都さんは広報やブランディング、Eコマースに専念するといったように、自分の強みを活かし、お互いの得意分野に専念しているそうだ。

宇都さんは日頃から一旦立ち止まり、「本当にこれでいいのか」「このやり方で正しいのか」を俯瞰で考えることを心がけているという。さらに、農業系YouTuberのコンテンツをチェックしたり、気になった農家にアドバイスをもらいにいったりと、情報のインプットに対してもアンテナを張っているとか。

「多くの農家が栽培に専念する中で、私は経営計画の策定や営業活動といった、他業種では当たり前とされていることを農業でも行うことが必要だと感じています。当農園でも、栽培品目を2つに絞ってからは野菜を魅力的に見せるための工夫や、効果的なキャンペーンの実施など、試行錯誤を重ねてきた結果、少しずつ成果につながっています。もし私自身が畑仕事も兼業していたら、こうした取り組みにまで手が回らなかったと思います」

◆「家族の幸せを大事にしたい」子育て世代の農家が実践する働き方

農業を始めた当初は、本当に生活していけるのかと不安になるほどの収入しか得られなかったが、自分たちで販路を開拓するようになってからは右肩上がりに成長していると宇都さんは話す。

「基本的に農業は面積を広げていくことで収益を伸ばしていくビジネスで、うちも毎年少しずつ規模を拡大しています。JA出荷に頼っていた初期と比べて、現在は売り上げ規模が10倍に成長していて、その収益を事業への投資に回せるようになったことは非常に大きいと感じています。

今年は新たに同世代である30代の従業員が入ってきてくれたことで、年間を通して安定的に働いてもらえるのはすごく心強いなと思っていますね」

その一方で、「仕事も大切だが、家族を大事にしたいという思いが強い」と宇都さんは語る。もちろん農業なので、天候によってどうしても休めない日もある。その場合でも必ず後日休みを取るようにするなど徹底しているそうだ。

仕事だけに追われるのではなく、家庭とのバランスを取る。

あえて忙しい時ほどしっかりと休みを入れて、リフレッシュすることを信条にしているのは、「子どもの今しか見られない成長の瞬間を逃したくないから」だと宇都さんは話す。

◆地域を巻き込み、町の活性化につなげたい

今後の展望としては、さらなる事業成長を見据え、BtoB向けの新たな商材を検討しているとのこと。現在はいくつかのアイデアを候補に出している段階で、「それが形になり、販路を広げていければ、さらに事業拡大が期待できる」と宇都さんは意気込む。

「将来的に事業が大きくなったときには、自分がずっと暮らしていく予定の『阿久根市』をもっと魅力的で面白い町にしたいという想いがあります。畑のそばには美しい海もあって、そうした地域資源を生かす取り組みなど、まだまだ可能性はたくさんあると感じています」

農業は努力次第でしっかり収入を得られる仕事だからこそ、「気持ちよくポジティブにいられる考えを持つこと」が大事だと宇都さんは言う。「農業=泥だらけで大変」という固定観念にとらわれず、自分が気持ちよく、前向きに取り組める環境づくりが大事になるわけだ。

これからも、うとさんちの挑戦は続いていく。

<取材・文/古田島大介>

【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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