スーパー「トライアル」の施設に50社が集結、福岡の“山あい”で何をしているのか

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2025年06月29日 07:21  ITmedia ビジネスオンライン

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トライアルが仕掛ける“地方からのDX革命”

 イノベーションは郊外から生まれる――。


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 福岡市と北九州市のほぼ中間に位置する宮若市(みやわかし)。人口2万5000人ほどの街に、日本有数のメーカーやIT企業など約50社が集結する施設がある。施設を運営するのは、3月に西友を買収すると発表し、話題となったトライアルホールディングス(HD、福岡市)だ。


 同社は、最先端のテクノロジーを駆使しながら九州を中心にディスカウントストアを展開しているが、なぜ都心から離れた山間部に多くの企業が集まる施設をつくったのか。


 福岡市からクルマで約1時間の山間部にある街で、トライアルHDは「リテールテックタウン ムスブ宮若」(以下、ムスブ宮若)という取り組みを2021年から行っている。


 「むすんで、ひらくまち。」をキャッチフレーズに、廃校をリノベーションし、研究開発や店頭マーケティングの拠点となる施設を整備しているほか、研修イベント「宮若WEEK」を月に1回実施。


 宿泊施設も用意し、企業間で交流できる環境を提供している。大手企業も参加するなど、垣根を超えて流通業界の課題解決に取り組んでおり、企業は使用料を支払えば個室を利用できる。


 さらに、同施設の近隣には「トライアルGO脇田店 in みやわかの郷」を構える。一般客も利用する店舗だが、実証実験店舗としての側面もある。


 例えば、売り場に設置しているカメラと電子棚札が連動する「自動値下げ」や、タブレット端末でバーコードを読み取り、レジに並ばず決済できるスマートショッピングカート「Skip Cart」、事前登録でセルフレジにて顔認証で決済できる「顔認証決済システム」などの最新機器を実装している。


 実際の消費者の行動データも集められるため、開発者が店頭での反応を直接確認できる仕組みが整っている。これにより、商品を試して改善するサイクルをスピーディーに回すことができる。


●「流通業界のDX」を目指す


 トライアルHDがこの取り組みを始めた背景には、流通業界全体への強い危機感がある。これまでの流通業界では、メーカーが卸業者を通じて小売店に商品を届けるのが一般的で、メーカーと消費者の距離が遠かった。そのため、販促も「価格を下げて売る」といった方法に頼りがちだった。


 しかし、消費者の買い方が多様になる中で、メーカーと小売店が直接つながり、店頭での購買データを共有しながら販促を行うことの重要性が高まっている。


 トライアルHD社長の永田洋幸氏は「流通のあり方を変えるためには、トライアルだけで進めていくのは不可能」と語る。企業が個別に進める「縦のDX」だけでは、変化の激しい消費者ニーズに応え続けることは難しいという認識だ。


 そこで打ち出しているのが「横のDX」という考え方だ。具体的には、小売やメーカーといった業界の枠を超えて連携し、それぞれの会社が持つ知識やデータを共有することで、1社だけでは生み出せなかった新しい価値をつくろうという取り組みである。


 新たに価値の高いアイデアを生み出すには深い議論が必要であり、リアルな場こそ最適となる。そこで、企業が集結できるムスブ宮若を立ち上げた。


 郊外に施設を設けたのにも理由がある。永田氏は「イノベーションは1時間ほどの会議で生まれるものではなく、徹底的に考えることが必要だ」と話す。だからこそ、都心の喧騒(けんそう)から離れた場所のほうが集中しやすいと考え、あえて宮若市に拠点を構えたのだ。


 世界的な企業の戦略も参考にしている。例えば、小売最大手の米ウォルマートは、アーカンソー州のベントンビルという街に本社を構えている。自然環境が豊かなところに、取引先の大手メーカー各社が数百人規模の専任チームを駐在させている。


 韓国のサムスンも首都ソウルから離れた水原市(スウォン)の「サムスンシティ」に関係者を集め、距離を置くことで議論を重ねている。


●廃校を活用した「共創」の場


 ムスブ宮若の施設は3つの拠点に分かれており、リテールAI開発やDXを推進する「MUSUBU AI」、スマートショッピングカート「Skip Cart」などIoTデバイスの開発を担う「トライアルIoTラボ」、ショッパーマーケティング(購買者の行動分析)の最適化を目指す「MEDIA BASE」がある。


 取り組みがスタートしてから4年で、48社・305人が参加する規模に成長している。(2025年5月時点)


 中核となるのは、「MUSUBU AI」だ。地元の小学校を改装した施設には、参加企業の部屋がそれぞれ設置されており、各担当者がリテールAIやDXに関する研究開発や人材育成に取り組んでいる。


 各施設は、横の連携を重視した設計になっており、異なる企業の担当者が情報交換できる環境を整えている。


 大手メーカーなど、さまざまな業界の企業が垣根を超えて、同じ施設で一緒に活動している。また、毎月1回開かれる「宮若WEEK」では、ワークショップを通じて、トライアルの顧客データを活用しながら、商品を開発したり、販促の効果を検証したりしている。


●福岡エリアのトライアル店舗で実験と効果検証


 参加企業の間では、具体的な成果も出てきている。例えば、2021年11月からこの取り組みに参加しているサントリーは、少しずつ活動の範囲を広げてきた。2024年11月には「福岡エリアプロジェクト」として、トライアルHDの福岡エリアの店舗で、エリアマーケティングやリテールメディアを活用したプロモーションを実施した。


 福岡のエリアタレントを起用したCMやテレビ番組、イベントの実施のほか、トライアルHDのリテールテック技術を活用し、店頭でのオリジナルサイネージ動画やレジカートへの広告・クーポン配信を行った。


 その結果、対象商品(サントリー生ビール)の売り上げが前年比の約3倍に伸びた。プロモーション終了後も販売は高水準を維持しているという。


 特に大きな効果があったのは、スマートショッピングカート「Skip Cart」に付いたタブレット端末に表示した広告だ。新規顧客の獲得率は42.1%と高く、このプロジェクトで行った複数の販促施策の中で、最も良い結果を出した。


 「レジカートは、買い物の直前に使われるメディアなので、新規顧客の獲得にとても効果があった」と、サントリー広域営業本部の山本宰慶氏は手応えを語る。また、広告だけでなくクーポンも組み合わせた施策では、購入率と客単価の両方が上がることが分かり、リテールメディアの効果的な使い方が見えてきたという。


●競合他社との交流が生む新たな価値


 人材育成の面でも、効果を実感している企業がある。中には、年間60人規模で長期研修プログラムを行っている企業もあり、ID-POS(個人の購買データ)分析やデータサイエンスのスキルを高めながら、最終的には他社の担当者に向けてプレゼンテーションを行い、意見をもらう機会も設けている。


 また、あるメーカーでは、ムスブ宮若での取り組みを通じて、これまでのマーケティング手法を見直すきっかけを得た。販売している日用品について、当初想定していた顧客層とは異なる人たちが多く購入していることが、トライアルHDの顧客データから分かったのだ。それを受けて販促戦略を修正した結果、売り上げが向上した。


 ムスブ宮若の特徴は、企業間の壁が低いことだ。取り組みの成果を共有する発表の場があるほか、懇親会や施設内での交流を通じて、普段はあまり関わりのない企業同士でも情報交換が活発に行われている。


 参加企業からは、「同じような課題を持つ企業をトライアルがつなげてくれることが多い」と評価されている。また、他の小売チェーンとの関係についても、従来の「取引」から「協力して取り組む関係」へと変えていきたいという声も聞かれた。


●新たな地方創生モデルの誕生


 トライアルHDの取り組みは、今後の地方創生の新しいモデルになるかもしれない。地方の山あいの街に日本を代表する企業が集まり、廃校だった場所が最先端のAI開発拠点に生まれ変わる。地域の資源を生かして新しい産業をつくり、雇用を増やし、地域に関わる人を増やす仕組みは、人が減り続ける他の地方都市にとっても参考になるだろう。


 また、一社だけでは難しいDXも、他の企業の知識やデータと組み合わせることで、大きな成果を出せる可能性がある。トライアルHDが提唱する「横のDX」は、業界の壁を超えた連携の大切さを示している。


 ムスブ宮若のようなリアルな「場」の存在は、デジタル時代だからこそ重要かもしれない。イノベーションを生み出すためには、人と人が顔を合わせて徹底的に議論し、試行錯誤を重ねる物理的な空間が求められる。


 最先端企業が集まる米国のシリコンバレーも、スタンフォード大学や多くの企業が集結して形成されてきた歴史がある。国内でも筑波研究学園都市が、筑波大学やJAXAなどの研究機関を中核に産学官連携のイノベーション拠点として発展した例がある。


 そのほか、関西のけいはんな学研都市や神戸医療産業都市(神戸市)などもあるが、流通業界を軸とするムスブ宮若の取り組みは新しいモデルといえる。


 今後、トライアルHDは宮若市を起点に福岡全体でのイノベーション創出を目指していく考えだ。地方でも世界に通用するエコシステムを構築できるかどうか、その真価が問われるのはこれからだ。


(カワブチカズキ)



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