米Mastercard(マスターカード)は、消費者支出やマクロ経済の動向を、利用者の取引データや外部データなどから分析し、旅行業界や政策立案者に実践的な情報を提供している。5月には2025年の旅行レポート「Mastercard Economic Institute: Travel trends 2025」をWeb上に無償で公開した。このサイトは、実データに基づいた分析を通じ、旅行需要の変化や消費者の意思決定プロセスを可視化している点が特徴だ。
2025年の旅行動向で特筆すべきは、アジア太平洋地域の存在感の高さである。世界の人気旅行先トップ15のうち8都市がアジア太平洋地域に位置し、東京と大阪が1位・2位を占めるなど、日本のインバウンド観光需要が際立つ。
同社でアジア太平洋地域チーフエコノミストを務めるデイビッド・マン氏は「円安による割安感やアクセスの利便性、ビザ発給ルールの緩和といった要因が複合的に作用した結果」と分析している。しかし今後円高に転じれば、インバウンド需要の伸びが鈍化する可能性も指摘した。
その一方で、この需要の急激な伸びが、全国の人気観光地で、キャパシティ以上の観光客が集まる「オーバーツーリズム」を引き起こしている。日本政府や日本企業は、この問題にどのように対処していけばいいのだろうか。デイビッド・マン氏に聞いた。
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●8.1兆円のインパクトとオーバーツーリズム 解決のヒントは?
日本の訪日外国人旅行消費額は2024年に8.1兆円に達し、日本の実質GDP成長率の半分以上を占める大きな成長要因となっている。2023年には年間GDP成長率1.5%のうち0.75%をインバウンド消費がけん引し、2024年も0.4ポイント分を占めている。
円安による訪日旅行の割安感が、家電やアパレルなど幅広い消費を押し上げており、インバウンド消費の乗数効果も大きい。例えば外国人が100円消費すると、外貨獲得によって、追加で80円が日本経済に波及する試算をマスターカードでは算出している。
このように、今や訪日外国人旅行者は日本経済の成長に欠かせない存在となっている。だが一方で、これと同時に全国で多発している問題がオーバーツーリズムだ。オーバーツーリズムは京都や岐阜県の白川郷、神奈川県の鎌倉や、富士山周辺など、外国人旅行者がいかにも「日本らしさ」を感じられる地域に特に集中している。特に京都ではオーバーツーリズムにより、JR東海が観光キャンペーンの展開時期を、これまでの桜や紅葉の時期から夏の閑散期に「ずらす」事態にまで陥っている 。オーバーツーリズムは観光業を営む企業にとって深刻な課題となっているのだ。
だがデイビッド・マン氏によると、意外なところからオーバーツーリズム対策が実現できるという。
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●クレカで公共交通機関に乗車できる意外な意義
近年、日本の公共交通機関におけるクレジットカード決済の導入が急速に進んでいる。もともとは2000年代以降、SuicaやICOCAなど交通系ICカードが普及し、2013年には全国相互利用サービスも始まった。だが、クレジットカード自体を直接タッチして鉄道やバスに乗れる仕組みは、長らく導入してこなかった。
転機となったのは2020年だ。11月に京都府の京都丹後鉄道が鉄道業界初の導入を果たした。2021年以降は南海電鉄や福岡市地下鉄、東急電鉄、東京メトロや都営地下鉄など大都市圏を中心に導入・拡大が相次いでいる。
バスでも2020年代前半から石川県の北鉄加賀バスなど地方路線での導入が進み、2025年3月には遠州鉄道が全バス・全駅でクレジットカードのタッチ決済を導入するなど、地方にも波及している。中には熊本県内の主要なバス・鉄道事業者のように、Suicaなど全国交通系ICカードの利用を廃止し、クレジットカードのタッチ決済などに統一したケースもある。
この背景には、キャッシュレス社会の進展や訪日外国人の利便性向上、国のスマートシティ構想推進といった要因がある。マン氏によると、この公共交通のキャッシュレス化が、オーバーツーリズム対策にもつながるという。
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「訪日外国人にとって、キャッシュレスで移動できる範囲が狭いということは、それはそのまま旅行範囲の狭さに直結します。両替などをせずとも移動できる範囲が広がることで、観光先の選択肢がそれだけ広がります。人でいっぱいの観光地を避けたい心理は外国人旅行者も同じですから、キャッシュレスで行ける範囲が今後も広がることで、オーバーツーリズム対策にもつながるわけです」(マン氏)
●匿名顧客データの活用こそがカギ
そしてマン氏は、こうしたクレジットカードの利用情報の活用こそが、オーバーツーリズム対策に有効だと訴える。
「観光客の動きや消費動向を、匿名化されたクレジットカードの取引データや外部データと組み合わせて分析することで、どの地域に、いつ、どのような旅行者が集中しているのかをリアルタイムで把握できます。例えば京都や富士山周辺のように混雑が深刻なエリアだけでなく、これまであまり注目されてこなかった地方の観光地にも、需要を分散させるための具体的な施策を立てることができるのです」(マン氏)
さらにこうしたデータを基に、企業や自治体が連携してターゲットを絞ったプロモーションや体験型観光コンテンツの開発を進めれば、旅行者の選択肢を広げ、観光地の魅力を多様化できる。
キャッシュレス化の進展は、訪日外国人旅行者にとって移動や消費のハードルを下げるだけでなく、地方の小規模事業者にも新たなビジネスチャンスをもたらし、観光需要の分散化に寄与する。
また、ソーシャルメディアや口コミの拡散力を活用し、従来の人気都市以外の地域の魅力を可視化することで、観光客の流れをより広範囲に分散させることもできる。データ活用による混雑予測やオフピーク時の特別プランの提供など、企業が持つノウハウを生かした柔軟な需給調整も重要となる。
マン氏は、「企業・自治体・地域住民が一体となってデータを共有し、観光地のキャパシティマネジメントや、持続可能な観光地経営を進めることが、日本の観光産業の健全な発展とオーバーツーリズム問題の解決に不可欠」と強調する。
このようなデータ活用による観光需要の分散と顧客体験価値(CX)の創出が、今後の日本の観光業における重要な取り組みとなるかもしれない。
(河嶌太郎、アイティメディア今野大一)
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