
「ジブリ風画像」をChatGPTなどで作成してSNSに投稿することが流行したり、音楽を簡単に制作できるSunoが人気になったりと、クリエイティブな領域での生成AIへのアクセスが急速に拡大している。
これらのツールが誰にでも手に取れるようになった一方で、プロが時間をかけて作った作品や作風を簡単に模倣できることに、戸惑いや批判の声が上がっていることも事実だ。
今後もさらに発展していくと考えられるAIと、私たちはどのように付き合っていけば良いのだろうか?
世界中で大流行した「ジブリ風画像」や「ディズニー風画像」は記憶に新しい。
このブームは、3月25日にChatGPTを提供するOpenAIが画像生成の最新技術を発表したことで広がり、一時期SNSは「〇〇風画像」で溢れていた。
この流れの中で、6月にはディズニーが生成AIサービスのMidjourneyを、自社キャラクターに酷似した画像を作成しているとして提訴し、画像利用の差し止めを要求した。
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音楽のサブスクリプションサービスを手がけるSpotifyも2023年、著名なアーティストの声を使った曲の生成が相次いだほか、Botを使用してストリーミング回数を増やした疑いがあるとして、AIを使用した楽曲をすべて削除。さらに最近では、生成AIを使った楽曲が1日に2万曲も作られているという。
日本でも生成AIを使用した音楽が話題になった。新音楽制作工房代表のミュージシャン・菊地成孔氏が、映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』のすべての劇伴(作品内の音楽)に生成AIを使用していると発表し、賛否の声が寄せられていた。
このように、クリエイティブ領域での生成AIの使用が増える一方、生成AIの使用を問題視する声も上がっている。
AI使用をめぐる著作権の問題については、これから裁判などで判例ができていくだろう。日本では2024年、文化庁が「AIと著作権に関する考え方について」という指針を発表し、出力だけではなく、学習段階で著作権侵害にあたる可能性がある行為についても記述された。
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1970年に発売されたジョージ・ハリソンの楽曲“My Sweet Lord”がアメリカのガールズグループ・The Chiffonsの“Heʼs So Fine”(1963年)の盗作であるとして、著作権侵害訴訟が提起された事件だ。これは意図的ではなく、偶然類似した作品になってしまったということだが、「無意識の盗作」との判決が出され、損害賠償金が支払われた。
このように、AIだけでなく人間も、誰かと類似した作品を作ってしまうことは当然ありえる。AIを使う・使わないにかかわらず、何か作品を創作・発表する以上、自身が作った作品が他者の著作物を侵害している可能性がないかということはつねに注意を払う必要がある。
そもそも、人間の作品にしかない価値とは何だろうか?
AI研究者の今井翔太氏と、法学者の上野氏は、CINRAの過去の取材で、以下のように述べている。
「僕は映像をつくる知識はありませんが、少なくとも表面上はAIを使って映像をつくることができる。でも、僕が映像に気持ちを込めてつくったとか、すごい工夫をしたとか、そういうものはないわけじゃないですか。たかがAI研究者がいくつかプロンプトを入れてつくっただけで、それはまったく努力ではない。そういったものを、人間も評価したくないと思います」
「手の込んだ表現手段として使うことと、映像やイラスト、音楽について何の知識もない人が、創作に対して熱意なくいいものを生み出してしまうことは、一線を画している」(今井氏) - 「二次創作文化は新しいクリエイターを育ててきたという歴史やエコシステムがあるが、AIによる生成というのは、いくらやっても若いクリエイターや次世代の育成にはつながらない」(上野氏) - 以上のように、アートや音楽における価値は、その完成度だけではなく、作り手の工夫や熱意、制作を通した次世代の育成にもあるのかもしれない。
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これからもさらに発展していくと考えられる生成AI。その急速な発展への懸念から、ローマ教皇のレオ14世は6月、大手IT企業に対し「倫理的AIの枠組み」を策定するよう呼びかけた。
クリエイティブ領域でも、最新技術としてAIが使われる場面が増えていくだろう。そんな社会の中で、私たちはAIを無批判に使用するのではなく、無差別に批判するのでもなく、適切に付き合っていくための倫理的な視点を養っていく必要があるのかもしれない。
著作権といった法的な側面の他にも、作り手の思想や工夫、熱意へのリスペクトがあるのか、次世代の育成につながるのかという観点も、そのヒントとなりそうだ。