▲作家の島田明宏さん【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】
先週の函館記念をヴェローチェエラが1分57秒6のレコードタイムで制し、1988年にサッカーボーイが記録した函館芝2000mのレコードを37年ぶりにコンマ2秒更新した。JRAの芝コースのレコードとしては唯一、昭和の時代から残っていた記録が塗り替えられた。
サッカーボーイが勝ったころの函館は洋芝より時計が速くなる野芝だったこと、秋競馬に向けて強いメンバーが揃う(すなわち好時計になりやすい)8月の開催だったこと、さらにサッカーボーイがあのときに見せた走りがあまりに突出していたことなどから、このレコードは破られないだろう、とも言われていた。
「競馬は時計ではない」とよく言われるが、アーモンドアイが2018年のジャパンCで2分20秒6という世界レコードを叩き出したときや、2023年にイクイノックスが天皇賞(秋)で1分55秒2という、こちらも世界レコードで勝ったときのように、「絶対的な速さ」と言うべきタイムを見せつけられると、「競馬は時計でもある」と言いたくなってしまう。
今回のヴェローチェエラによる記録更新で私が思い出したのは、1997年の天皇賞(春)でマヤノトップガンがつくった京都芝3200mのレコードを、ディープインパクトが2006年に、さらにキタサンブラックが2017年の同じレースで更新したときのことだ。あのときは、マヤノトップガンのレコードをディープインパクトが1秒、ディープインパクトのレコードをキタサンブラックがコンマ9秒短縮した。
函館芝2000mでサッカーボーイの前にレコードを出したのは、のちに天皇賞(秋)とマイルCSをどちらも5馬身差で制し、安田記念も勝つニッポーテイオーだった。旧4歳だった1986年の函館記念で1分58秒6のレコードを樹立したのだが、2年後、同じ旧4歳だったサッカーボーイがコンマ8秒速い1分57秒8という日本レコードを叩き出しながら、2着のダービー馬メリーナイスを5馬身突き放した。サッカーボーイは、阪神3歳Sを8馬身差で制しており、函館記念の次戦のマイルCSを4馬身差で勝つなど、とてつもない爆発力を持った馬だった。
ニッポーテイオーもサッカーボーイも、勝つときは凄まじいパフォーマンスを発揮した。その2頭につづいたヴェローチェエラの今後にも、当然、期待が高まる。
「マヤノトップガン、ディープインパクト、キタサンブラック」のように、これからも「ニッポーテイオー、サッカーボーイ、ヴェローチェエラ」と3頭を並べて語ることになるのか、楽しみだ。
なお、マヤノトップガンの主戦は田原成貴騎手(当時)で、ディープインパクトとキタサンブラックの主戦は武豊騎手だった。函館記念でニッポーテイオーの鞍上にいたのは剛腕・郷原洋行騎手(当時)で、サッカーボーイに騎乗していたのは名手・河内洋騎手(同)だった。
競馬史に残る名騎手と名馬のコンビの記録を更新した佐々木大輔騎手とヴェローチェエラの今後に注目したい。
それにしても、37年ぶりとは、かなりのレア度である。
37年前、1988年というと昭和63年だ。昭和64年は1月最初の1週間だけなので、実質的には「昭和最後の年」として思い出される。私が24歳になった年で、雑誌で文章を書くようになってから2年目だった。
3%の消費税がスタートするのは翌年の4月からなので、まだ消費税がなかった。2月の冬季カルガリー五輪ではスピードスケートの黒岩彰選手(当時)、9月の夏季ソウル五輪では柔道の斉藤仁選手(同)らが活躍。青函トンネルや瀬戸大橋が開通したのも、東京ドームが開場したのも、南海ホークスと阪急ブレーブスが身売りして、それぞれ福岡ダイエーホークスとオリックス・ブレーブスとなったのもこの年だった。競馬界では、タマモクロス対オグリキャップの「芦毛対決」がファンを熱くした。流行語には、「朝シャン」「くう・ねる・あそぶ」「下血」「自粛」「オバタリアン」などがあった。「下血」と「自粛」は吐血した昭和天皇の容態悪化が伝えられたことによって使われるようになった。
こう書くと、この37年でずいぶんいろいろなことが変わったことがわかるが、サッカーボーイのレコードは、ずっとその座を保ちつづけていたのだ。
さて、先週小倉で負傷した和田竜二騎手も、吉村誠之助騎手も、今週はレースに騎乗するとのこと。また、6月の函館スプリントSのレース中に負傷した池添謙一騎手も、調教騎乗を再開し、レースにも今週から復帰するという。よかった。みな、怪我なく頑張ってほしい。