1991年のスポーツカー世界選手権最終戦オートポリスを戦ったブルンC91。オスカー・ララウリがステアリングを握った。 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1991年のスポーツカー世界選手権を戦った『ブルンC91』です。
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1983年、ウォルター・ブルンによって設立された『ブルンモータースポーツ』は、のちにユーロレーシングとタッグを組み、ユーロブルンとしてF1参戦にも漕ぎつけたことでも知られるスイスのレーシングチームだ。ブルンは設立以後、1982年より本格始動したスポーツプロトタイプカーカテゴリーであるグループCのレースにおいて、ポルシェの『956』や『962C』というグループCカーを独自改造も加えつつ走らせていた。
次第に有力ポルシェ系プライベーターチームとして名を挙げていったブルンは、グループCカテゴリーが3.5リッター自然吸気(NA)エンジンの使用を主とした新規定となること、そして、ポルシェの新レギュレーション対応車が導入されないことが決まると、彼らは独自にニューマシンを作り上げる。そうして誕生したのが、チーム創立以来初めてブルン自身の名を冠したマシン『ブルンC91』である。
ブルン・テクニクスのスティーブ・リッジスがデザインが手掛けたC91は、大きく隆起したフロントフェンダーや独創的なヘッドライトの位置が特徴的な一台だった。
パワートレインにはジャッドEVというF1から流用された3.5リッターV8NAエンジンが搭載されたものの、アドバンス・コンポジットが製作したカーボンモノコック製シャシーは当初、他ユーザーへの販売も狙っていたこともあり、V10、V12などの多気筒エンジンを想定した作りにもなっていた。
C91は、1991年のスポーツカー世界選手権(SWC)第5戦ニュルブルクリンクラウンドでいよいよデビューを果たす。しかし、最終戦となった第8戦オートポリスラウンドまでの4戦すべてで完走すら叶わず、このシーズンを終えた。
翌1992年のSWCへのエントリーも想定した改良の準備は進められていたものの、ブルンモータースポーツ自体が1992年を前に消滅。他ユーザーへの展開など狙いや次年度への準備などが泡沫に帰す結果となったのであった。
[オートスポーツweb 2025年07月09日]