
2018年夏の第100回大会では、金足農(秋田)との激戦の末にサヨナラ2ランスクイズで敗れたが、甲子園に爽やかな風を吹かせた近江高校(滋賀)。その後も2021年夏から3季連続で甲子園4強入りを果たすなど、滋賀県の高校野球をけん引してきた。
その近江を1986年から率いた多賀章仁監督が今年3月で退任し、4月から小森博之監督が就任した。
【よき兄貴分としてチームをサポート】
小森監督は、近江を初めて全国区に押し上げた主将としても知られる。2001年夏、タイプの異なる竹内和也(元西武)、島脇信也(元オリックス)、清水信之介の3投手を巧みに起用した「3本の矢」で、県勢初の甲子園決勝に進出。
決勝では日大三(西東京)に敗れたものの、その3投手を巧みにリードしたのが小森監督だった。当時から表に出ることは少なく、陰からチームを支える姿が印象的だった。プレーが特別際立っていたわけではないが、まさに縁の下の力持ちのような存在だった。
ただ当時は、将来指導者になるという明確な目標はなかったという。
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「高校生の頃は、将来何をやりたいかなんて、まったく考えていませんでした。ただ、甲子園で何試合かさせてもらったとき、全国から先生方が集まってこられて、割り当てられた練習会場のサポートなど、さまざまな形で支えていただいたんです。だから、そうした方々にいつか恩返しがしたいと思うようになりました」
高校卒業後は佛教大に進み、リーグ戦にも出場した。教育学部に所属していたが、授業を優先すると練習に参加できない可能性があったため、在学中に必要最低限の単位を取得し、残りは母校で事務職をしながら通信で修了。教員免許を取ったのは、近江のコーチになってからだった。
前監督の多賀氏のもとで、19年間コーチとしてチームを支えてきた。選手たちと年齢が近いため、兄貴分として寄り添ってきた。
7年前の第100回大会では、林優樹(楽天)と有馬諒(ENEOS)の2年生バッテリーを中心に甲子園ベスト8。3年前には山田陽翔(西武)を擁し、21年夏、22年夏の甲子園でベスト4。22年の選抜大会では準優勝に輝いた。
その3人はチームに欠かせない戦力だったが、コーチ時代、小森監督はレギュラーにあと一歩届かない選手に対し、中心選手の名前を引き合いに出すことはなかった。
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「レギュラークラスの選手は多賀監督が見ていたので、自分はそこに割って入る、はい上がる選手を育てるのが使命だと思っていました。絶対的な選手がいるからこそ勝てたのは事実ですが、『山田が』とか『山田なら』と言い続けたら、本当に山田頼りのチームになってしまう。実際、あの年は山田のチームになる可能性もありましたから。『おまえら、それでいいのか?』と、よく言っていました」
時に熱く語りかけ、レギュラーだけでなく控え選手にもノックを打ち、対話を重ねた。担任をしていたこともあり、その学年の選手たちにはより近い距離で声をかけ、努力する選手が少しでも報われてほしいと願っていた。
【突然の監督就任に戸惑い】
そんななか、多賀監督の退任の話が出たのは昨夏頃だった。ただ小森監督は、交代は現チームが最後の夏の大会を終えてからだと思っていた。
「今のチームは多賀監督が育ててきた選手ばかりで、正直、このタイミング(4月)で交代するとは思っていなかったので......。今も多賀先生のチームだと思いながら指導しているところはあります」
多賀氏は総監督として部に残ったものの、普段の練習にはほとんど顔を出さない。教え子に気を遣わせない配慮だろう。ただ恩師が築いたものを大切にしつつ、3月の練習試合で激しい競争を促し、チームの活性化を図った。
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「3月末は20日間連続で試合を組みました。あの時は自分も寮に泊まり込み、グラウンドと寮の往復だけの日々でした。とにかく経験を積ませて、春の県大会でどこまで戦えるかを見ていました」
だが、いざ県大会が始まると、ある葛藤が生まれた。
「選手たちとの距離感と言うんですかね......いろいろと難しいことが多くて。コーチの頃は近い距離から選手にいろんなことを言っていましたが、監督になるとそうはいかない。だから、春の県大会では采配に迷いもありました」
特に難しかったのが、3年生の起用だったという。
「昨年の秋も下級生が多く試合に出ていましたが、春にはまた新たな下級生も加わりました。そんななか、3年生主体で臨むべきか、とても迷いました」
そんな時、多賀監督ならどう選手を起用していたのかを考えた。
「多賀先生は選手一人ひとりの人間性を把握し、そこに向き合っておられました。大会では、徹底的に3年生を起用するとか、逆に下級生に経験を積ませるために3年生を起用しないとか、"非情采配"もけっこうありました。自分はこの春、どちらに振り切るべきか迷いがありましたね」
そのうえ、昨年夏(2対9)、昨年秋(2対14)と2季連続でコールド負けを喫し、チームの状況は悪かった。それでもバトンを受けた以上、現実と向き合うしかなかった。
春の県大会は決勝に進出し、滋賀学園に0対8で敗れたが準優勝の結果をおさめ、夏のシード権を獲得。小森監督は言う。
「去年のことを考えれば、決勝まで勝ち上がったことは収穫。最低限の結果は残せました」
【少しずつ手応えをつかめてきた】
夏の大会を直前に控えた6月中旬。小森監督の表情はどことなく明るかった。
「6月中旬の練習試合あたりから、自分なりの采配の形ができてきて、いい試合が増えました。負けることもありますが、期待できる選手も徐々に現れ、楽しみが増えています。監督になってまだ数カ月で、課題は多いですが、春の県大会での苦悩と比べると落ち着いてきたと感じています。少しずつ手応えもつかめてきました」
同期には、仙台育英の須江航監督や京都国際の小牧憲継監督といった甲子園優勝を経験した監督がいる。仙台育英と京都国際とは3月末に練習試合を組み、監督同士で意見交換したという。
「須江さんは自分の考えのずっと先を行く人で、小牧さんも話を聞くと参考になることが多いです。これだけの実績を持つ監督が昭和58年会にいるのはありがたいです」
目指すのはもちろん、多賀監督が成し遂げられなかった滋賀県勢悲願の日本一だ。しかし、その前に別の思いも抱いている。
「最近、県内の有望な中学生が県外に流れています。そうした中学生に魅力を感じてもらえるチームをつくりたい。時間はかかるかもしれませんが、少しずつそうした雰囲気をつくっていければ......」
監督としては「まだまだ勉強中の身」と謙虚な姿勢を崩さないが、これから小森監督ならではの「ニュー近江」がどんな野球を見せてくれるのか、楽しみでならない。