
井上心太郎インタビュー(前編)
海の向こうで、謎の日本人大学生が躍動している事実をご存知だろうか。
2023年ドラフトの目玉になると思われた、花巻東高・佐々木麟太郎がアメリカ・スタンフォード大への進学を決断。予想外の進路は日本球界を驚かせ、大きな注目を集めた。
2025年に大学1年目のシーズンを戦った佐々木は、NCAA(全米大学体育協会)のディビジョン1で52試合に出場して打率.269、7本塁打、41打点という成績を残した。その一方、もうひとりの日本人野手の存在もフィーチャーされた。
【佐々木麟太郎を上回る9本塁打】
カンザス州立大3年の井上心太郎。今季はNCAAディビジョン1で58試合に出場し、打率.279、9本塁打、31打点を記録した。所属カンファレンスが異なるため単純な比較はできないが、打率と本塁打は佐々木を凌ぐ数字である。
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井上は身長170センチ、体重86キロ、ずんぐりとした体形の内野手(二塁手、遊撃手)だ。低い重心でボールを呼び込む打撃フォームは、森友哉(オリックス)を彷彿(ほうふつ)とさせる。左打席から広角に長打を放てる打撃は、見る者に強烈なインパクトを与える。
井上の日本での出身校が高川学園(山口)と知り、惹きつけられるものがあった。井上は2003年6月生まれであり、高川学園の同期には今秋のドラフトの目玉格である立石正広(創価大4年、内野手)がいる。2021年夏に高川学園は甲子園に出場しており、立石はバックスクリーンに本塁打を放り込んでいる。
当時の高川学園のメンバー表を確認すると、意外なことがわかった。背番号5をつけた立石とは対照的に、井上の背番号は15。しかも、山口大会の出場試合数は0である。甲子園でも、高川学園が戦った2試合とも出場記録は残っていない。つまり、高校時代の井上は控え選手だったのだ。
今年6月、大学日本代表候補選考合宿に召集された立石に、井上について聞いてみた。すると、立石は真顔でこう答えた。
「心太郎は本当にすごいバッターですよ。この合宿に呼ばれた選手はいい選手が揃っていますけど、このなかに彼が入っていても全然おかしくないです。中学、高校とずっと一緒でしたけど、打席に立ったら全部ヒットくらいの感覚でした。とにかく野球に対して熱くて、真っすぐな選手です」
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立石も井上も、高川学園中(高川学園シニア)からのチームメイトだったという。立石の証言を聞いて、がぜん興味をかき立てられた。私はアメリカ留学中の井上に、取材を申し込むことにした。
【人間として未熟だった高校時代】
「井上心太郎です。よろしくお願いします」
リモート取材に応じた井上は、パソコン画面をとおして人懐っこい笑顔を見せてくれた。シーズンを終えた現在は、サマーリーグのハーウィッチ・マリナーズでプレーしている。
立石とは現在も連絡を取り合い、たまに打撃動画を送り合う仲だという。大学で一躍、ドラフトの目玉格になった立石に対して、井上は「驚きはしないです」と語る。
「もともと中学の頃からバッティングがよかったですし、今の姿を見ても『変わらずいい選手だな』と思っています。前までは打球が上がるタイプではなかったんですけど、高校生活をとおして強く、遠くに飛ばせる選手になっていきました。練習もしっかりとしますし、大学で体が大きくなっているところを見ても、トレーニングをしているんだなと感じます。これだけの選手になれば、問題なく打つだろうなと見ていました」
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井上に聞きたいことは山ほどあったが、まずは高校時代を振り返ってもらうことにした。なぜ、背番号2ケタの控え選手だったのか。本人がその事実をどのようにとらえているのかを知りたかった。
「高川学園の野球は理解していたつもりだったんですけど、その時の色に自分が合っていなかったのではないかと考えています。チームのやりたい野球と、自分のプレースタイルが合っていなかったのかなと。人間として自分が未熟だったことも、理由としてあると思います」
そして、井上は気を取り直すように、こう続けた。
「でも、甲子園にも行かせてもらえたし、いろんなことを勉強できました」
チームとして目指す野球の方向性は理解しつつも、井上は「自分が考えていることは伝えないといけない」と自己主張していた。戦術面のミーティング中、指導者に対して「この場面は、こうしたほうがいいのではないですか?」と意見したこともある。
3年生になると、練習試合を含めて出場機会はごく限られるようになった。高校通算本塁打数を聞くと、井上は「あまり覚えていないんですけど、5〜7本くらいだと思います」と答えた。
【プロになれないと思ったことがない】
当時はどんな思いを抱きながら、ベンチに座っていたのか。そう尋ねると、井上は「こう言うと、大口を叩いていると思われるかもしれないんですけど......」と前置きして、こう続けた。
「小学生の頃から今まで、『プロになれない』と思ったことがないんです。高校2年の途中くらいから、『もう試合には出られないんだろうな』と察していました。でも、『プロになりたい』という思いは、親にもずっと言い続けていて。同世代のドラフト候補の動画を見ても、自分が劣っていると思ったことは1回もないんです。『どこかでチャンスをつかめれば、プロになれる』と思っていました」
井上自身、「スイッチが入った」と振り返るのが、中学3年時のことだった。中学野球を終え、高校野球への準備段階で「プロになりたい」という思いが最高潮に達した。
「その日から高校野球を引退するまで、『全体練習が終わったあとに絶対に自主練習をやる』と決めて、1日も欠かさずに練習しました」
毎日夜遅くまでグラウンドに残る井上に感化され、一緒に自主練習するチームメイトがひとり、またひとりと増えていった。そのなかには、立石の姿もあった。
試合に出ていないのに、なぜ高いモチベーションをキープできたのか。そう聞くと、井上は毅然とした口調でこう答えた。
「試合に出られないからといって、練習をやめる理由にはならないと思っていました。それに、僕は試合に出るのが目標ではなくて、プロになるのが目標だったので。『試合に出たい』という思いより、『プロになりたい』という思いしかありませんでした」
兄・寛太さんが、高川学園を経て國學院大でプレーしたこともあり、井上も当初は東都大学リーグの強豪でプレーする希望を持っていた。だが、公式戦での実績がない井上には、現実的な選択肢ではなかった。
すると、親が冗談めかしてこんな提案をしてくれた。
「アメリカに行ってみんか?」
アメリカの大学を経由して、プロへと挑戦する。自分の技量に自信があった井上は、「悪くない」と感じた。留学支援をする会社をとおして留学先を探し、まずは西ネブラスカ短大へと進学することを決めた。
2022年8月、アメリカの入学シーズンに合わせて、井上はアメリカへと飛んだ。「自由の国」で、井上は野球人生を大きく変えることになる。
つづく>>
井上心太郎(いのうえ・しんたろう)/2003年6月18日生まれ。山口県山口市出身。高川学園シニア、高川学園高でプレーし、高校3年夏には控え内野手として甲子園出場。同期に立石正広(創価大4年)がいた。高校卒業後に渡米し、西ネブラスカ短大に2年在学後、カンザス州立大3年に編入。今季はNCAA1部で打率.279、9本塁打、31打点をマークした。