中田翔、小笠原慎之介、福敬登が示す「野球人の使命」とチャリティ活動の舞台裏 アフリカ支援からヘアドネーションまで

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2025年07月19日 07:50  webスポルティーバ

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ロベルト・クレメンテのDNA〜受け継がれる魂 (全10回/第7回)

 命を懸けて困っている人を救おうとしたロベルト・クレメンテの精神は、遠く離れた日本の球団にも、静かに息づいている──。中日ドラゴンズの通訳として選手たちと日々接するなかで加藤潤氏が見てきた、彼らの知られざるチャリティ活動とは。

【小笠原慎之介の心を動かしたドミニカ共和国の光景】

「神様っていないね」

 ナゴヤ球場の室内練習場の一角で、中田翔がつぶやいた。この連載の構想を語るなかで、クレメンテの生涯について話した時の反応だった。異国の地で困難にあえぐ人々を救おうとし、自らの命を失った。その話を聞いた中田が「神なんていない」と漏らしたのも、無理のないことだった。

 ここでふと思った。ドラゴンズにも、チャリティ活動に力を入れている選手が何人もいるではないか。彼らに聞いてみたいことは、山ほどある。どんな想いで活動に取り組んでいるのか。始めたきっかけは何だったのか。周囲の反応や、取り組むなかで見えてきた課題は......。彼らの話を聞くことは、きっとクレメンテの遺した想いを、より深く理解することにもつながるはずだ。

 まず話を聞いたのは、ドラゴンズからワシントン・ナショナルズへと旅立った小笠原慎之介だ。彼はかつて、アフリカのブルキナファソに野球支援を行なったことがある。なぜそうしようと思い立ったかと問うと、数年前に訪れたドミニカ共和国で見た光景がきっかけだという。

 子どもたちが、木の棒でボールのようなものを打っていた。道具も満足に揃わない環境のなか、それでも野球に夢中になっている少年たちの姿を目の当たりにし、小笠原のなかで「自分にも何かできないか」という思いが芽生えた。

 一昨年の12月、私はタンザニアを訪れた。その目的のひとつが、現地の野球少年たちに用具を届けることだった。その際、小笠原の野球バッグをタンザニア野球・ソフトボール連盟に寄贈した。バッグの中には、私が使っていなかったドラゴンズのシャツやソックスを、これでもかというほど詰め込んだ。

 おそらく野球用具が不足しているであろうアフリカの少年たちへの、ささやかなお土産である。小笠原にタンザニア訪問の理由を説明し、「野球バッグをひとつもらえないか」と相談したところ、快く応じてくれた。

 連盟会長のアルフェリオ・ンチンビ氏からは、「せっかくだから代表チームで使おうかな」との言葉をいただいた。「11 Ogasawara」と刺繍されたバッグが、国際大会の舞台でタンザニア代表のベンチに置かれる──。その光景を想像するだけで、なんとも楽しい気持ちになる。ブルキナファソとタンザニア。国は違えど、アフリカの地に小笠原の想いは、形となって残っている。

 ドラゴンズからアメリカへと巣立った小笠原。藤浪晋太郎がそうであったように、彼にもきっと多くの発見が待っているはずだ。

 その気づきは、グラウンドのなかだけにとどまらず、アメリカの生活習慣や、さらにはその根底にある文化的・宗教的背景にまで及ぶことだろう。数年後、そんな学びを経た彼の言葉に耳を傾ける日が、今から楽しみでならない。

【クレメンテの精神を体現する男】

 話を中田に戻そう。クレメンテに想いを馳せ、深く心を動かされた中田だが、彼自身もチャリティへの意識は高い。ひとり親家庭を球場に招待したり、コロナ禍には医療従事者へ寄付金を送ったりと、これまでにもさまざまな支援活動を行なってきた。

「うちらはさ、運よくたくさんお金をもらえるわけでしょ? だったら、何かしらの形で社会に還元したいよね」

 それが中田の本心だろう。クレメンテの存在を知らずとも、ピッツバーグの球場でクレメンテが村上雅則氏に向けた言葉を、中田は自分の言葉で紡いだ。

 中田と共にその場に居合わせていたのが福敬登だ。彼の話は示唆に富む。

 ある試合後のヒーローインタビューで、彼は大きな写真をプレゼントされた。その写真が収まっている額の木枠は、聾(ろう)学校の生徒たちがつくっていると知り、その時、さまざまな思いが頭をよぎったという。

「いつももらってばかりじゃ、嫌だな」
「このことを知らない選手も、きっと多いんだろうな」
「そういえば自分は高校時代、健康福祉科で手話を習って、自分の名前を覚えたよな」

 20代も後半になり、そろそろ何か社会に還元したいという話を家族としたという。

 こうして福は聾学校の生徒たちと交流を持つようになった。彼が活動を始めた当初、周囲の反応はどのようなものだったのかを尋ねた。村上氏は慈善事業を始めた頃、「格好つけやがって」といった言葉を浴びせられたという。今では時代も変わり、周囲は好意的になっているだろうと私は考えていたが、そうではなかった。

「いやいや、そんなことのオンパレードですよ。特にOBからは......」

 その答えには正直、驚かされた。残念ながら、村上氏が懸念していた「親世代が余計なことを言いかねない」という予想が、的中してしまったのだ。

「もっと活躍してからやれ」
「そんなことをする余裕があるなら、野球に集中しろ」

 そんな言葉を浴びせられても、福は気にせず行動を続けた。見て見ぬふりをする自分を許せない。それは、自分ではないからだ。そんな福を支えているのは、高校時代の学び、そして社会人時代に得た経験だという。

【心ない声にも信念は揺るがず】

「やっぱり、JR九州時代の経験は大きかったです。小倉駅で駅員をしていた時、社会の冷たさを嫌というほど味わいました。それでも、ごくたまに自分の行ないに対してお礼の手紙をもらうことがあって、それが本当にうれしくて」

 周囲に惑わされず我が道をゆく福は先月、新たな支援を表明した。一昨年の春から髪を伸ばし続け、ファンの間でも彼のヘアスタイルの変化が話題となっていた。その目的は小児がんを患う男の子たちへのヘアドネーション(※)だ。
※小児がん、先天性の脱毛症、不慮の事故などで頭髪を失った子どものため、市民から寄付された髪の毛でウィッグを作り、無償で提供する活動

 ヘアドネーションを行なう人のなかで、男性の割合はわずか2%とも10%とも言われており、女性に比べて圧倒的に少ない。それでも福は、髪を失った男の子たちが、ほんの少しでもおしゃれを楽しみ、笑顔になれるのならと、髪を伸ばし続けた。

「調子に乗ってんな! 髪の毛剃れ、いま!」など、悪意ある言葉を投げかけられても、ある時は受け流し、またある時は耐えた。

「正直言うと、きついですよ。でも、わかってもらえない人に何を言っても仕方ないし、不毛です。だから、何も言わずに黙って耐えています。僕の好きな言葉に『やらない善より、やる偽善』っていうのがあります。なんでも、やってみなきゃわからない。自分の人生のなかで、ゼロからイチをどれだけ生み出せるか。それが大事なんだと思います」

つづく>>


ロベルト・クレメンテ/1934年8月18日生まれ、プエルトリコ出身。55年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビューを果たし、以降18年間同球団一筋でプレー。抜群の打撃技術と守備力を誇り、首位打者4回、ゴールドグラブ賞12回を受賞。71年にはワールドシリーズMVPにも輝いた。また社会貢献活動にも力を注ぎ、ラテン系や貧困層の若者への支援に積極的に取り組んだ。72年12月、ニカラグア地震の被災者を支援する物資を届けるため、チャーター機に乗っていたが、同機が墜落し、命を落とした

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