写真はイメージです 来たる7月20日の投開票日を控え、後半戦に突入した参院選の選挙戦が白熱している。ただ、選挙の姿はかつてのそれとは大きく変化している――。
昨年、東京都知事選で前安芸高田市長の石丸伸二氏が下馬評を覆し、得票数2位に食い込む善戦を見せ、職員へのパワハラ問題で出直し選挙となった兵庫県知事選では、斎藤元彦前知事が大方の予想を裏切り再選されたように、今や選挙の趨勢を決するのはSNSだ。
読売新聞が6月27〜29日に実施した世論調査によれば、「投票する候補者や政党を決めるときにSNSの情報を重視する」人は、全体の33%と、実に3分の1に上る。世代別では、18〜39歳は66%にも達している。
だが、SNSには大量のデマやニセ情報が氾濫しているのも事実だ。さらに、AIの急速な進化によって、ディープフェイク画像や動画はより巧妙化し、一般人が判別することは難しい……。
◆情報の受け取り手にあるべき姿勢
「情報の真偽をどう判断するべきか。最終的には身体性に委ねられる」――。
情報モラルやリテラシー教育に詳しい社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会専務理事の久保田裕氏は、意外な言葉を口にした。
「技術の発展によりデジタル化が進み、ビデオテープや紙の出版物などのアナログな物理メディアでは難しかった加工・改変が容易にできるようになった。一方で、情報の送り手・受け手である人間の脳は一昔前と変わっていない。つまり、ある情報がどう作られ、それをどう受け止めるかは、送り手と受け手の身体性によるところが大きいのです。
SNSなどデジタルメディアを使わなければニセ情報に翻弄されることはないが、そうもいかないでしょう。ただ、情報に接したときに人間がもともと持っている五感やシックス・センスまで総動員して、身体性をもって情報の送り手を判断すれば、十分なリテラシーを備えていなくても現在のような混乱を招かなかったのではないか」
SNSに潜むリスクは、莫大な量の真偽不明の情報だけに留まらない。
「膨大な情報を発信する巨大プラットフォーマーは、アルゴリズムによって受け手に最適化した情報ばかりが表示されるようになっている。例えば、右寄りの人は保守的なイデオロギーの情報ばかりに触れるようになり、思想はより右傾化していく。同時にリベラルな情報は表示されず、視野が狭まっていく。ネットやSNSでは、本人が知らないうちにこうした情報偏向を引き起こすフィルター・バブルが常に発生しています。
さらに、こうした状況下では同じ意見を持つ人々が集まるコミュニティが形成され、仮にそれが誤った意見でも強化されるエコーチェンバー現象も生まれてしまう」
◆調べる人ほど騙される偽情報
権威ある英科学誌『ネイチャー』に掲載された米国の研究チームの論文によれば、情報の真偽を確かめるためにインターネットを検索したにもかかわらず、フェイクニュースのほうを正しいと信じてしまう確率が19%も高くなることが明らかになっている。つまり、ネットで検索するほうが、何もしないよりニセ情報を信じてしまうのだ。
「メディアの問題だけではなく、情報の受け手が抱える問題は大きい。情報リテラシーの能力は個人差が大きいうえ、日々忙しく働いていればリテラシーを身につける時間もない。
参院選について誤解を恐れず言えば、実は、多くの有権者は選挙そのものには関心がそれほどなく、それよりも候補者のキャラクターに興味を惹かれているように見える。だから、その候補者の言動が自分にとって耳障りがよければ、たとえ真偽が定かでない情報であっても信じてしまい、投票行動が左右される」
昨今の選挙が“推し活”によく喩えられる由縁だ。極論すれば、こうした有権者にとって国の行く末よりも、自分の推しの候補者が活躍することに意味があるという。良くも悪くも、見返りを求めていないのだ。
「情報リテラシーが初等教育や中等教育で教えられることはなく、家庭でも養われていない。かつては家にテレビが1台しかなく、家族が茶の間で同じテレビ番組を観ている場合ても、親兄弟であっても全く異なる感想を好きに言い合い、そうした環境にいることで家族間にもさまざまな価値観や多様性があることを理解していった。リテラシーを育む土壌が家のなかにあったわけです。
ところが、核家族化、少子化が進み、子供に個室が与えられるのが当たり前となり、今や家族間でも情報が分断されている。こうした環境で育った子供が選挙権を得たら、ニセ情報を見分けられないまま投票してしまうのは当然です」
◆リテラシーの鍵を握るものとは?
情報リテラシーが欠如しているのは、選挙を“推し活”化している有権者に限らない。情報の真偽を見分けるリテラシーを養うにはどうすればいいのか。
「オールドメディアを活用すべきです。新聞をはじめとする紙媒体はそもそもアナログなので、アルゴリズムは介入せず、フィルターバブルなど発生しようもない。こうした弊害がないばかりか、オールドメディアはSNSのように受け手が好む情報をリコメンドできないので、結果的として『セレンディピティ』(=思いがけない発見、価値あるものを偶然見つける力)が存在する。自分は関心はなく、接することがなかった有用な情報に触れることができれば、当然、リテラシーは高まるでしょう。
そんなオールドメディアの最もたるものが『親』です。しかも、先祖代々続いてきたレガシーメディアでもある。知見や経験の蓄積もあるし、何より情報の真偽の判断に重要な身体性が担保されています」
SNSを主な情報源とする人からすれば、オールドメディアなど“マスゴミ”にすぎないだろう。だが、久保田氏は言下に否定する。
「そうとも言えないのでは。ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも自分たちの子供にはテクノロジーを与えなかったくらいですから」
英『ミラー』誌の本人へのインタビューによれば、マイクロソフトを創業したビル・ゲイツは3人の子供が14歳になるまで携帯電話を与えていない。アップルを起業したスティーブ・ジョブズも、子供がパソコンやスマホなどテクノロジーを使うことを厳しく制限していた。
彼らだけでなく、ビッグテックの創業者たちの多くは同様のことを子供たちに課している。先端テックを生み出した天才ゆえに、テクノロジーの恩恵の大きさより、もたらす害の大きさを熟知していたのだろう。その姿勢は、テクノロジーの創造的な活用と受動的な大量消費を分け隔てて考えるよう警鐘を鳴らしているように映る。
では、子供たちに当時爆発的人気のiPadを使わせなかったスティーブ・ジョブズは、親子で何をしていたのか。毎晩、大きな長テーブルで夕食をとることを大事にしていたジョブズは、本や歴史などさまざまなことを子供たちを語り合っていた。子供たちもガジェットに依存することはなかったという。
久保田氏の言うように、父親・ジョブズは子供にとって情報リテラシーを学ぶメディアだったのだ。SNSにニセ情報が氾濫する今、オールドメディア=親の存在は再評価する意味がある。
【久保田 裕(くぼたゆたか)】
一般社団法人コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)専務理事。山口大学特命教授、国士館大学·東京工芸大学非常勤講師、公益社団法人著作権情報センター理事ほか。主な著書に『情報モラル宣言」(ダイヤモンド社)、『知っておきたい情報モラルQ&A』(共著:岩波書店)、『生を棒に振る スマホ・ネットトラブル」(共著:双業社)、『AI×クリエイティビティ」(共著:高社書店)ほか多数。
取材・文/週刊SPA!編集部
―[偽情報の作られ方]―