プロ野球界にも広がるチャリティの輪 ロベルト・クレメンテが遺した「差し伸べる手」の教え

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2025年07月20日 07:30  webスポルティーバ

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ロベルト・クレメンテのDNA〜受け継がれる魂 (全10回/第10回)

 中日ドラゴンズの通訳を務める加藤潤氏は、異なる文化や価値観が交差するプロ野球の現場で、ジャッキー・ロビンソンやロベルト・クレメンテの精神を胸に、選手たちの社会貢献の意義を問い続けてきた。この連載の最終回となる今回は、多様性の尊さと「支え合う手」の意味を見つめながら、次世代へとつながる"善意のリレー"に思いを託す。

【多様性と共に生きるということ】

 現在、中日ドラゴンズには、思いつくだけでも韓国、中国、フィリピン、インドネシア、アメリカ、メキシコ、ベルギー、ガーナにルーツを持つ関係者がいる。かつて在籍していた北海道日本ハムファイターズにも、ベトナム、インド、イランの血を引く者がいた。

 もし自分の体の中に、「オレたち」と「あいつら」が同居しているとしたら、どうすればいいのか。片方の拳で自分自身を殴らなければならないのか。そんなことがあっていいはずがない。異なる国のルーツを併せ持つということは、誇るべき財産以外の何物でもない。

 言うまでもなく、ここで語っている属性とは、単に国籍だけを指すのではなく、人種、宗教、言語、社会階層といった要素も含まれている。こうした違いを、「オレたち」と「あいつら」を分けるための材料にしてはならない。そうでなければ、いまを生きる私たちは、人種という堅固な壁を打ち破ったジャッキー・ロビンソンと、彼を支えたブランチ・リッキーに、顔向けできなくなってしまう。

 握手の大切さを理解する──それは国家に限らず、個人にとっても同じだ。野球選手であれば、片手にボールやバットを握りしめながら、もう一方の手を他者に差し伸べることができる。「野球に集中するために」と、両手でバットを固く握るだけが野球選手の姿ではないと、クレメンテが身をもって示した。

 運命の日、飛行機に乗らないよう説得する妻のベラに対し、クレメンテは以下のように言ったといわれている。

「今、この時にも子どもたちが死んでいっているんだ。支援物資が彼らには必要なんだよ。私の身に何かあったなら、その時はその時だ。逝く時は逝く。それだけだ」

 ニカラグアの子どもたちが死すべき時は今ではない。そう考えて行動したクレメンテ自身に、その時がやってきてしまった。なんという神のいたずらか。

 もちろん、誰もがここまでの覚悟を持てとは言えない。私自身も持ち合わせていない。だが、中田翔が発した「神様っていないね」という言葉を聞いた時のネメシオ・ポラス氏の答えに、我々がとるべき態度のヒントがあるように思う。

「人生は完璧じゃない。誰だって、いい行ないだけをして人生を終えることはない。人間は、間違いを犯すものだ。でも、それでも自分なりに正しいと思う決断をして、よりいい道を行くしかないんじゃないか。クレメンテは若くして亡くなった。でも、みんないつかは逝くことになる。ならばできるだけ人として誠実でいたいよね。神はいるよ」

【大野雄大を突き動かした幼き日の記憶】

 村上雅則氏が現役だった頃、チャリティをしようものなら、先輩たちから「おまえ、そんないい格好してんじゃねえよ」と言われた時代だった。いまでもなお、「そんなことをする時間があるなら、野球に集中しろ」といった声が周囲から聞こえてくる。必要なのことは、誠実に行動したいと願う人々が、揶揄されることなくその思いを実行できる環境を整えることだ。

 参考になるのは、藤浪晋太郎が在籍していたオリオールズだろう。彼をチャリティ活動へと誘ったジェームズ・マキャンのような選手がいることで、チームの環境は大きく変わりうる。

 慈善活動に積極的な現役選手がチームの中心となり、さらに彼らが引退したあとにこそ、古い価値観が少しずつ変わっていくのではないか。藤浪が指摘していたように、見本となる大人が増えていくことこそが、未来へとつながっていく。NPBでも、マキャンのような存在がひとり、またひとりと現れることを願ってやまない。

 その兆しはある。中日の大野雄大が、自身の経験を語ってくれた。彼もまた、中田翔や大塚晶文コーチと同じく、母子家庭で育ったという。

 そんな大野が、母子家庭の子どもたちを球場に招くようになったきっかけは、テレビで見た和田毅の姿にあった。小さな頃に受け取った思いが、今、次の世代へと手渡されている。

 和田は一球投げるごとに、10本のワクチンを提供するという活動を行なっていた。大野は、その様子をテレビCMで見て、心を動かされたという。

「もし将来、プロ野球選手になれたなら、自分もいつか、あの人のように誰かのために行動したい」

 そう思ったことが、彼の原点となった。

「やっぱりひとり親家庭って金銭的に裕福でないことが多いんです。僕の家庭もそういった環境でしたが、それでもいろいろと遊びに連れていってくれました。招待したご家庭から後日手紙をいただきます。初めて野球を観戦したという子が多いんですね。その手紙には『野球が好きになりました』とか『息子が野球を始めました』と書かれているんです。『ああ、やっていてよかったな』と思える瞬間ですね」

 大野が球場に招いた子どもが、遠い未来にプロ野球選手になる──誰もその可能性を否定することはできない。なぜなら、それを大野自身が体現しているからだ。

【善意はバトンのように受け継がれる】

 和田から大野へ、そして大野から名もなき未来のスター選手へ。その未来のスターもまた、彼らから善意を受け継ぐ。時間をかけながらも、善意のサイクルが小さいながらも日本球界で起きている。

 例えるなら、善意のリレーだ。片方の手は握手をするためだけに使うのではなく、先達からバトンを受け取り、次の走者へと手渡すために使おう。

 栄えある第一走者は言うまでもなくクレメンテである。彼がスタートを切った時には、まだまっさらだったバトンは、半世紀もの長い時間をかけて手渡されてきた間に、各走者の色が染み込み、独特の色合いを帯びていることだろう。

 和田がワクチンを提供した団体・JCVの創設者は、細川佳代子氏。そう、村上氏を慈善活動へと誘ったキーパーソンである。彼女もまた、野球選手たちがつなぐバトンリレーとは異なるトラックを走る第一走者なのだろう。そして時に、野球界の走者を支える伴走者の任にあたる。

 この連載を終えるにあたり、ひとりの新米走者に向けてメッセージを送りたい。クレメンテのホームチームであるパイレーツに所属するプロスペクト、トニ・ブランコ・ジュニアである。

 名古屋のマンションを訪れるたびに、リビングを裸で走り回っていた君は、いまや将来を嘱望される選手へと成長した。慈愛の象徴であり、チームのアイコンでもあるクレメンテ。そしてなによりも、バファローズ時代のチームメイトをかばい、自らが犠牲となった父、トニ・ブランコ・シニア。君は、その誇るべきふたりから、善意のバトンを両の手で確かに受け取っている。

 君のバトンはどんな色に染まるのか。父の友人のひとりとして見届けたい。

おわり


ロベルト・クレメンテ/1934年8月18日生まれ、プエルトリコ出身。55年にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビューを果たし、以降18年間同球団一筋でプレー。抜群の打撃技術と守備力を誇り、首位打者4回、ゴールドグラブ賞12回を受賞。71年にはワールドシリーズMVPにも輝いた。また社会貢献活動にも力を注ぎ、ラテン系や貧困層の若者への支援に積極的に取り組んだ。72年12月、ニカラグア地震の被災者を支援する物資を届けるため、チャーター機に乗っていたが、同機が墜落し、命を落とした

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