イーロン・マスクほど、夢想と実行を両立してきた人物は稀だろう。電気自動車「テスラ」で自動車業界に殴り込み、「スペースX」で宇宙開発の常識を覆し、果ては「X(旧Twitter)」で世論の場そのものに手を突っ込んだ。
そんな彼が手がけるプロジェクトのひとつに、通信衛星を使ったインターネット接続サービス「Starlink(スターリンク)」がある。
「Starlink(スターリンク)」は、派手なプロジェクトに比べてやや地味に見えるかもしれないが、「実はこれは、地球上の通信格差を埋める、極めて実用的なインフラ革命」だとITジャーナリストの西田宗千佳さんは語る。その西田さんに「Starlink」の革新性について話を聞いた。
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「スターリンク以前にも、衛星通信はありました。ただし、導入コストが高価なうえ、通信速度が遅かったんです。一般の人が使おうと考えるようなものではありませんでした。
一方で、スターリンクの衛星通信は、初期費用は数万円で、ノートPCサイズのアンテナを屋外に設置すれば、月額数千円で利用できます。しかも通信速度も速く、快適にYouTubeやNetflixなどを視聴できるんです」
なぜスターリンクは、革新的な通信環境を可能にしたのか? 西田さんは「普通の人ならやらないことを、本気でやろうとしてしまう、イーロン・マスクだから可能になった」という。
■衛星通信が遅くて高いのは過去のこと。スターリンクが覆した常識
スターリンクが従来の衛星通信と異なるのは、使っている衛星によるものだと西田さんは解説する。
「従来の衛星通信は、静止軌道衛星を使っていました。地上から36,000kmのかなたにある衛星とやり取りしていたんです。昔のテレビ番組で、例えばアメリカにいる誰かに話を聞く場合、かなり派手なディレイ(遅延)が起きていました。
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あれをイメージしてもらえるとわかりやすいです。一旦、静止軌道上の衛星にデータを送り、そこから地上に送り返すので、時間がかかるんです。一方で、スターリンクの衛星は、低軌道にあります。高度は約550kmで、ちょうど新幹線の東京駅から新大阪駅までの距離です。この距離であれば、より短い時間でやり取りできます」
つまりこれまでは、はるか彼方の山頂にいる人と声を張り上げながら会話していたのに対して、スターリンクは隣の部屋にいる人に話しかけるようなもの。では従来の衛星通信が、静止軌道衛星を使っていたのはなぜかと言えば、少ない衛星で地球全体をカバーできたからだという。
「地球全体で通信をしようとすれば、当然、全球をカバーする必要があります。地球から遠くにあるほど衛星数は少なくてすむ。静止軌道衛星であれば最低3基で運用できます。また、静止軌道まで行けば衛星はより安定した軌道を維持できます。搭載機器が壊れるまで運用できることもあります。
一方で、低軌道衛星で地球全体をカバーするには、膨大な数の衛星が必要です。しかも、わずかですが大気の影響を受けるため、徐々に高度を下げていき、数年後には大気圏に突入して燃え尽きてしまいます」
ちなみにスターリンクは、約7,000基の衛星で運用していて、SpaceXの発表によれば、最終的には42,000基の衛星で運用することを目指しているという。しかも数年ごとに複数基の衛星が使えなくなるため、サービスを持続するには、定期的な衛星の打ち上げが必要になるのだ。
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「低軌道衛星で通信しようという構想も、以前からありました。でも、実現するには何度もロケットを打ち上げる必要があり、近い将来に個人向けとして実現できると考えていなかったんです。当然ですよね? ロケットを一から開発して、どんどんロケットを打ち上げて、数千数万の衛星を運用しようと考えるなんて、普通の発想だとできません」
イーロン・マスクは、SpaceXを2002年に創業。2006年にはファルコン1ロケットの打ち上げに、また2008年には軌道へ乗せることに成功した。その打ち上げ回数は、2023年には98回、2024年には131回にのぼり、今年は170回の打ち上げを目指しているという。
そして今では、低軌道を周回する数千のスターリンク衛星によって、空を見上げればほとんど見えないが、視界の中には常に数基のスターリンク衛星がある。その1つ1つが、通信基地局となっているため、高速で安定した通信が可能なのだ。
「イーロン・マスクは、膨大な数の低軌道衛星......衛星コンステレーションによる通信インフラを確立してみせ、それが可能なんだということを証明しました。彼は、地上ではテスラを、宇宙ではスペースXを成功させた、本当に天才だと思います。
まぁ、それ以外の政治的な活動やプライベートな言動に、かなり問題があるのも事実ですけれどね。本当に、天才とナントカは紙一重という感じですが、ものすごいことを成し遂げていますよね」
■まさかのスマホ直結!? auが仕掛ける"圏外ゼロ"計画
ここまでスターリンクについて解説してもらったが、実際に個人で使うにはどうすればいいのか?
「スターリンクの公式Webサイトで、必要になる専用アンテナなどを購入し、月額使用料を払えば良いだけです」
2025年6月現在は、スターリンクの標準キットが55,000円。自宅で利用する月額4,600円の「ホーム」か、世界を移動しながら使える月額6,500円の「ROAM」などから選べる。
スターリンクと直接契約して利用できるスターリンクだが、CMで見かけるようになった「au Starlink Direct」とは異なるのだろうか?
「KDDIのサービスは、スターリンクの専用アンテナなどを必要としないものです。普段使っている対応スマートフォンと、スターリンク衛星が直接通信するんです」
同サービスは、あくまでもauの4G/5Gの通信が圏外の場所で使えるもの。またスターリンクの本家サービスと異なり、高速通信でWebサイトを閲覧したり、動画などが視聴できるわけではない。
「スマートフォン内蔵のアンテナは非常に小さく、そのアンテナで550km先の衛星とやり取りするのは難しいです。現状では、せいぜいテキストメッセージを送るとか、シンプルAIチャットの利用、位置情報の共有などに限られます」
日本列島には、津々浦々に携帯電話の基地局が張り巡らされている印象がある。実際、auに限らずドコモやソフトバンクなどの携帯電話のエリアカバー率は、いずれも99%を超えている。だがこれは、あくまでも人口カバー率。人が住んでいる場所であれば、ほとんど携帯電話で通信できるが、山間部や島嶼(とうしょ)では、まだまだ使えないところが少なくない。しかし、そのような場所においてもスターリンクに対応したスマートフォンを使えばテキストメッセージ程度であれば通信できるようになる。
「特に高い山の山頂や陸から遠い海の上からなどから、誰かと感動を共有するといったことができます。画像は送れませんが、『無事に頂上に立ってます』というメッセージをSMSで送れます」
前述したとおり、基本的にテキストメッセージしか送れないのは、スマートフォンのアンテナが小さく出力も弱いため。スマートフォンに大きなアンテナを増設するのは「技術とビジネスの両面から非現実的」と西田さんは指摘する。
「今後、スターリンク衛星はバージョンアップされていく予定です。またスペースX以外の企業も、現在のスターリンク衛星よりも大きなアンテナを搭載することで、通信速度などを改善しようとしてきます。数年以内に、スマホから衛星経由で動画が見られるようになる可能性はあります。ただし、地上の携帯電話の基地局での通信に比べれば、不安定で遅いものであることに変わりはありません。本命はあくまで固定回線の代替であり、携帯電話での利用は災害時を含む特別なシーンでの利用、と考えるべきです」
ちなみに、au Starlink Directは、auの契約者であれば追加料金なしで利用できる。またau以外のドコモやソフトバンクユーザーでも月額1,650円(UQ mobileは550円)で利用でき、かつ現在は加入から半年間は無料で利用できる。もし携帯電話回線が通じない海上や山岳地帯などへ行く予定があれば、ぜひ備えておきたい。
■スターリンクが東京一極集中のゲームチェンジャーになりうる
日本の津々浦々に道路や鉄道が引かれ、高速道路や新幹線が張り巡らされたように、通信インフラもまた、現代のライフラインとして全国に広がっていった。携帯電話の基地局が整備され、人が暮らす場所であれば、今やほとんどのエリアで通信が届く、日本国内に限れば、もはや"圏外"は例外的な場所だ。だが、その"例外"をも埋め、通信の空白地帯を塗りつぶしていくのがスターリンクだといえる。
「まだまだ山間部などへ行くと、携帯電話の電波が届きにくい場所は少なくないですよね。そうした場所では、高速なインターネット回線も望めません。でも、スターリンクを使えば、例えば山間部でフェスをする時に、その時だけ高速な通信インフラを簡単に整えることができます。
また、地方の古民家を買って移住した際にも、スターリンクを設置すればいいだけです。高速な通信があれば、どこでも仕事ができる人もいますし、移住しやすいですよね。都市部と山間部との通信格差がなくなっていくんです。
さらに、そうして移住する人が増えていったエリアでは『人口が増えたので光ケーブルを引っ張ってきましょう』という動きが生まれて、ますます移住しやすくなるかもしれません。そうしてスターリンクのようなサービスが、東京への一極集中を緩和させるゲームチェンジャーになる可能性はあると思います」
スターリンクは高速通信の普及を促進し、都市と地方、または被災地とそれ以外の場所との間に横たわる通信格差をなくすことができる。どこにいても、いつでも都市部と同等の情報を得られて、発信できるようになる。これは、天才イーロン・マスクによる、通信インフラ革命と言っていいだろう。
ただし......イーロン・マスクが描いた未来だけに、人類にとって好ましいものなのか、不安を感じてしまうのも正直なところだ。
取材・文/河原塚 英信