
夏になるとサンダルを履く機会が増えます。足先がソックスや靴で覆われていないだけで、涼しさの体感がまったく違う気がしますよね。ではそのサンダルを履いたとき、足爪にペディキュアはしていますか?
恥ずかしさのボーダーは人によって違うけど、みんなの考えは?
ママスタコミュニティに寄せられた投稿です。
『ペディキュアせずにサンダルを履くのって、恥ずかしいの? まったく気にしたことがなかった……!』投稿者さんはどうやら素爪でサンダルを履いていた様子。誰かに「それ、恥ずかしいよ」と指摘され、驚いたのだと推測できます。
ちなみに「ペディキュア」は足の爪にネイルカラーを施すことではなく、もともとは足全体のケアを意味する言葉のよう。「キュア」が「ケア」に当たるということですね。ただ「ペディキュア」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、やはり足爪のカラーではないでしょうか。今回はそのフットネイルを「ペディキュア」と考えることにしましょう。
『履くならペディキュアはマストかな』
『何が恥ずかしいのか、さっぱりわからん。他人の足元なんて見ないし、考えたこともなかった』コメント欄にはさまざまな意見が集まりました。「そこまで他人は見ていない」といった声もあります。投稿者さんの「恥ずかしい」というワードに反応した方もいて、「いちいちチェックするほうが恥ずかしいのでは?」といったコメントもありました。
『しないと恥ずかしいと思うかは、人それぞれでしょ。メイクでも同じこと』
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集まったみなさんのコメントをざっと見渡すと、「恥ずかしい」と答えた人は4割強。逆に「恥ずかしくない」と答えたのは約3割。それほど大差はなさそうですが、残りの3割弱がなんと回答したかというと……?
ペディキュアは自己満足?だからこそやりたい人もいる
全体の3割弱の人が「他人のペディキュアは気にならないけれど、自分がしていないのは恥ずかしい」と回答。人に見られてどうこうではなく、自分の意識が大きいようです。
『他人は気にしないけど、自分は恥ずかしい。足の爪があまりきれいじゃないから、色がないと気になる』
『自分の爪は何も塗らないと「貧乏くさいな」と思うから』これがメイクなら、同じように感じる人はもっと少ないのではないでしょうか。メイクには社会人として人前に出る場合のマナーという意味合いも、建前としてあります。一方でペディキュアはマナーというより、より趣味嗜好の意味合いが強いもの。仮にしていなくても「この人はしていない」と印象をわざわざ与えることは、メイクに比べればなさそうです。
『老化もあって、爪が汚くなってきた。恥ずかしいから塗っている』「年齢を重ねるほど恥ずかしく思うようになってきた」という声もありました。若い頃とは違って見える「きれい」とは思えない爪先を、少しでもカバーしたい気持ちもあるでしょう。
『人はあまり気にしたことがないけど、自分はしてないとサンダルが履けない。自己満の世界』
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「足の爪なんて適当に塗っても大丈夫だし、片足1分で塗れるから」「マニキュアはしないけど、ペディキュアはセルフでも塗りやすい」というコメントもありました。
一番恥ずかしい足先は手入れ不足か、はげたペディキュアか
ペディキュアの有無が恥ずかしいかどうかはそれぞれですが、多くの人が「恥ずかしい」と感じる足先もありました。
『かかとがガサガサのほうが恥ずかしい』
『指毛がそのまま生えている人、けっこういる』「手入れされていない足爪は、不潔っぽい」「ペディキュアうんぬんの前に、足の色や汚れ、かかと、爪の汚さが目立つ人が多い」といったコメントも目立ちます。「他人の足爪など誰も見ていない」という意見もあったことを考えると矛盾していますが……。ただ、例えば電車の中で向かいの席に座っている人、同じ行列に並んでいる人など、見知らぬ人としばらく同じ場所にいなくてはいけない場合。その爪先が、なんとなく視界に入ってくることはあるものです。そしてたまたま目にした足先が不潔なものだったら、強烈な印象を残すことはあり得ます。
『毎年春になったらフットケアに行き、いつでもサンダルが履ける状態にしているよ』
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『ペディキュアしなくても恥ずかしくないけど、放置してはげかかったペディキュアは恥ずかしい』“恥ずかしい”足先選手権があったとしたら、手入れ不足に匹敵するほど上位にくるのがこれではないでしょうか。はげかかっているのに放置してしまうズボラさが、透けて見えてしまいます。「自分ではおしゃれしているつもりなのだろうな」と思われるのも、恥ずかしさのレベルを上げる要因。とくに濃色のフットカラーははげた部分が目立つので、要注意です。
ペディキュアは、夏だからこそできるおしゃれ。期間限定なのですから、せめてその間くらいはこまめなチェックを忘れないようにしたいですね。