
西部謙司が考察 サッカースターのセオリー
第59回 ルーカス・パケタ
日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。
今回はプレミアリーグ、ウエストハムで活躍するルーカス・パケタ。「守備のできる10番タイプ」は、来年W杯を戦うブラジル代表にとって非常に重要な存在だといいます。
【ブラジルでは希少なインサイドハーフ】
プレミアリーグのウエストハムで10番を背負っているルーカス・パケタに賭博規則違反の疑いが浮上していた。友人に便宜を図る目的で、意図的にイエローカードをもらった疑いで告発されたのだ。本人は全面的に否定、審問の結果は事実上の無罪となる見込みだそうだ。
もし有罪とされていたら過去の事例から数年間の出場停止は免れず、実質的な永久追放になるところだった。ウエストハムはもちろん、ブラジル代表にとっても大きすぎる打撃になっていただろう。
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フラメンゴ→ミラン→リヨンを経て、2022年にウエストハムと契約。左利きの攻撃的MFだが、ある意味パケタはブラジルらしくない選手と言える。
簡単に言うと守備のできる10番。つまりインサイドハーフでプレーできるタイプなのだが、歴代のブラジル代表にはこのタイプのMFが少ないのだ。
例えば、スペインは4−3−3の文化なのでインテリオール(インサイドハーフ)はいわば量産体制ができている。スペインが戦術的構造を模倣したオランダもインサイドハーフを生み出す背景がある。
ブラジルも個々にはインテリオールのタイプは存在してきた。1958年スウェーデンW杯で初優勝した時のジジ、1970年のジェルソン、1980年代のジーコ、ファルカン、1990年代にもリバウドやレオナルドがいた。ただ、左右対称のインサイドハーフの構造を持たないまま現在に至っている。
ブラジル代表の戦術的な基盤が確立したのは、1958年W杯の4−2−4システムだった。
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WMシステムの8番(右のインサイドフォワード)が中盤に下りる一方、10番(左のインサイドフォワード)が前線に残り、インナーが分裂した。8番(W杯での背番号は6番)のジジは守備的MFジトと組んで中盤中央に君臨するプレーメーカーとなり、10番のペレはセカンドトップとしてフィニッシュへ直結する役割を担った。
この時の4−2−4システムは4−2.5―3.5とも呼ばれ、左ウイングのマリオ・ザガロがMFとFWの両方の役割を左サイドで果たしていて、この変則的な形がその後もしばらく踏襲されていった。
2トップが主流になるとセレソンのシステムは4−4−2に変化したが、左右のMFに10番タイプを置くか、片側をウイングにするかで、いずれにしても中央はボランチふたりが組む形でインサイドハーフは置いていない。
4−3−3システムになると、インサイドハーフのひとりはボランチに吸収され、第二ボランチとしてプレーメーカー的な役割をこなしつつも、かつてのジジと比べると守備のタスクが増えていて、創造性についてはほぼ10番に託されていた。
攻守を同等にこなすインサイドハーフをふたり並べるシステムを持たなかった。攻撃能力の高いボランチと、献身的に守備をする10番の組み合わせがインサイドハーフふたりに近いのだが、ブラジルの10番で守備力の高い選手は希少なので、欧州型の左右均等の構造になりにくいまま現在に至っている。
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【インサイドハーフ不在の脆弱性とは?】
ブラジルは伝統的にゾーンディフェンスの国と認識されているが、欧州型のシステマチックなゾーンの埋め方はしていない。むしろ対人に重きが置かれていて、とくに2ボランチの守備力に依存する傾向があった。
ブラジル代表がかつての強さを失った理由のひとつとして、システム上の脆弱性があるかもしれない。
アンカー+インサイドハーフふたりの場合、中盤中央は3人で守る。対してブラジルは2ボランチでひとり少ない。それを補うために10番が守備に加わるわけだが、この10番の守備能力と運動量があてにならない。
カタールW杯では10番のネイマールが左インサイドハーフとしての守備を担っていたが、ネイマールを守備で消耗させすぎるのは得策ではなく、守備ラインに組み込んでもさほどの効果は期待できないので、10番の守備タスクが曖昧なままだった。
アルゼンチン代表はこうした構造的な脆弱性を持たない。10番(リオネル・メッシ)は守備タスクを負わせず前線に残し、残りのフィールドプレーヤー9人のハードワークでひとり分のマイナスを埋めるという方針が明確だった。ただ、これができるのはアルゼンチンだからだ。
アルゼンチンはエンガンチェ(トップ下)の伝統があるので10番信仰はブラジルと変わりがない。ただし、個人の集団への帰属意識は強く、エンガンチェを成立させるために周囲に犠牲を強いる文化が浸透している。ブラジルにもそれはあるけれども、簡単に言えばハードワークの質が異なり、ボランチという専門家に守備を集約させるのではなく攻守に働けるハードワーカーを輩出してきた。
つまるところインサイドハーフの人材はアルゼンチンのほうが豊富。エンソ・フェルナンデス、ロドリゴ・デ・パウル、アレクシス・マクアリスターは10番、8番、6番のどこでもプレーできる攻守両面に優れたインサイドハーフ的人材である。
ブラジルでそれができるのはパケタくらいしかいない。ブルーノ・ギマランイスやアンドレなどインサイドハーフ候補はいるが、パケタほどの万能性はないのが現状だ。
【欧州化するブラジル代表で最後の望みか】
ブラジルの構造的脆弱性を補うにはパケタを10番として起用すればいい。それが現実的な解決方法だと思う。
ただ、それをやってしまうと、もうブラジルはブラジルではなくなっていくだろう。
ペレ、リベリーノ、ジーコ、ソクラテス、ロナウジーニョ、カカー、ネイマール......。受け継がれてきた10番という魔術師のいないブラジルの味気なさは想像に難くない。1994年アメリカW杯に優勝したブラジルは10番のライーを欠き、機能的で強かったけれどもブラジルらしさは薄れていた。いわば欧州化したブラジルがそこにあったわけだが、もうそれしか選択肢はないのかもしれない。
ネイマールの後継者としてはロドリゴがいるが、ロドリゴしかいないとも言える。欧州的な視点からみれば非論理、無秩序、混沌から即興を生み出すには、ひとりの魔術師ではもうどうにもならない。カタールW杯ではネイマールと連係できるロドリゴとパケタがいたが、それでも効果は限定的だった。現代サッカーでジーコ、ソクラテス、ファルカンを並べるような手法はギャンブルでしかないし、もはやそれだけの人材もいない。
かつてザガロが言っていた、「プランを廃して選手を完全に自由にする。監督の指示など必要としない選手とともにいることが重要だ」という伝統的な方針、わかっている選手を集めればプランはいらないという、ブラジルを唯一無二の存在にしていた手法が不可能になっている。
現代のブラジル選手は、欧州に売却するために育成されていると言っていい。欧州に適応した選手たちを集めるセレソンなのだから、むしろ完全に欧州化したほうがたぶん強い。ブラジルの芸術性は失われるが身体能力の高さは残る。パケタはその象徴として新しいセレソンを背負っていくべき存在で、もしかしたら機能性と芸術性の接点になり得る最後の望みかもしれない。
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